拾伍:忍び(上)
「マダラぁ、用事があるんでしょ? ほら、これ、用意しといたからさ」
耳元でモモが甘ったるい声を出す。なんだっけ……。声のする方に腕を伸ばすと、モモの柔らかくて温かい肌に触れた。そのまま腕を絡めながら、彼女を抱き寄せて布団に引き込んで口付けを交わす。舌を入れて、目も醒めてきたしいいことを始めようとしたところで、珍しく胸を叩かれて朝の情事が中断される。
「……あれぇ? どうした?」
「もう、あたしの話、聞いてた? お仕事、あるから早く起こしてって言ってたから声かけたのに」
頬を膨らませて、腰に両手を当てて胸を反らしているモモを見ながらオレはようやく上半身を起こす。
仕事……仕事……なんか言ったっけぇ?
「妹ちゃんと遊びに行くから、服貸してて言ってたじゃん」
「……あー」
あやかしの正体は、モモのお陰で大体掴めたらしい。だから、沙羅を連れて例のクリニックの場所を聞き出そうと静が提案したんだった。
どうせクソ真面目な沙羅のことだ。そういう場所に行くための服なんて持ってないだろうから……とモモに服を貸してくれと頼んだのを思い出した。
「ごめんってぇ……。超助かってる。モモちゃん大好き」
「まーた適当に好き好き言うんだから。もうっ」
慌てながら近くに散らばっている服を身に纏う。
まあ、多少墨が見えていようが通報さえされなけりゃいいか。
テーブルの上に目を向けると、女子に人気のブランドメーカーの紙袋がちょこんと置いてあった。
「ほら、間に合わなくなっちゃうよ。いってらっしゃい」
モモが手渡してくれた紙袋を受け取って中身を見る。ウィッグまで入っているじゃん。
玄関まで見送ってくれたモモの腰に腕を回して抱き寄せる。
「そういう後腐れがなくてめんどくさくないところ、マジで好きだよ」
「はいはい。またね」
唇を軽く触れあわせて別れると、オレは小走りで大きな通りへ向かう。まあ、タクシーを飛ばせば間に合う時間だろう。
さっさと車を捕まえて、オレは沙羅の学校近くまで辿り着いた。
まだ早い時間だからか、学生もまばらだ。ちらほらといるボランティアの老人たちが一度目を留めてから、露骨に視線を逸らす。
まあ、そうだろうなぁ……なんて思いながら校門へ向かおうとして、濃い褐色の髪が見えた。セシーリアだ。
一年前……呪い屋を始末する前にあったときと一見変わらない見た目だが、背後にはなにやら禍々しいオーラのようなものを纏っている。
笑顔で挨拶をしている彼女は、何かに気が付いたのか一人の女生徒に近付いて行く。
こいつの調査は後にしようと思っていたがちょうど良い。
気配を隠しながら忍びより、聞き耳を立てる。
「みゆきから、あなたのこと聞いて……その、わたしも、生理が来なくて」
女生徒が血の気を失った顔を伏せ、弱音を漏らした瞬間、セシーリアの口角がぐにゃりと持ち上がった。
不気味な表情はすぐに慈愛に満ちた表情に代わり、彼女は優しく少女の背中を撫でる。
「何も心配いリません。わタシが、なんとかシてあげましょう。今夜……ここデ……」
ポケットから名刺大の紙を取りだして、セシーリアは女生徒に渡した。
ここからでは紙になにが書いてあるのかまではわからないし、待ち合わせ場所までは良く聞こえなかった。
まあ、沙羅の近くにいる子供たちにちょっかいを出しているのを確認出来ただけで良しとするか。
まだ二人が何か話しているのをいいことに、オレはさっさとその場から離れた。
さて……本家に行くわけにもいかねえしなぁ。
学校の中に入るのも不味いだろうし……。とりあえず、沙羅の通っている学校の入り口で待つことにした。
日光がじりじりと照りつけてじんわりと汗が浮かび上がってくる。
なんとなく視線を感じたので顔を上げてみると、少し遠巻きになってオレを見るための人集りができはじめていた。
こそこそと聞こえてくる会話からは、成井家という単語も耳に入ってくる。そういや、静もここが母校だったっけ。
面白半分に手をひらひらと振って見て笑ってやると「きゃあ」と小さな黄色い歓声が返ってきて面白い。
そうして周りの反応を楽しんでいると、唇をへの字に曲げながら、不機嫌そうな表情を浮かべた沙羅が人混みをかき分けるようにしてこちらへ近付いて来た。
グイッと腕を引っ張った彼女はオレの顔を自分の耳元へ引き寄せる。
「目立つ真似はよしてちょうだい」
苛立ったまま、沙羅は近くにある喫茶店へオレを引きずるように連れて行く。
ぶっきらぼうにアイスコーヒーを店員に注文した彼女はオレを壁際の席に押し込むようにして座らせて、向き合うような位置に腰を下ろした。
「そぉんな照れるなよ。お兄ちゃんが可愛い妹のために学校まで来ただけだろう?」
オレが「妹」というと、沙羅はわかりやすいくらい顔をしかめて、オレをじろりと睨み付けてくる。
これでも必死に感情を抑えようとしているのだから、本当に面白い。
人間は、うまく自分を押さえ込めていると思っているが、
静だけが、見た目も纏っている気配すらも隠していた。
「お前は兄様ではありません。それに……兄様も通っていた清く正しいこの学校へお前みたいな者が来ては風紀が乱れます」
運ばれてきたアイスコーヒーのグラスを掴み、勢いよく半分ほど飲んだ沙羅は、飽きもせずにこっちを睨んでくる。
嫌がらせをするために、わざわざ早く起きてここまで来たわけじゃない。オレは、昨晩モモの家で拾った灰褐色の羽根を懐から出してテーブルの上に並べて見せた。
「この鳥の
羽根を拾うためではないが、この鳥のあやかしを調べるついでにここまで来たのは本当だ。
「さっさと用件を述べなさい」
だから、嘘なんかじゃない。羽根をチラッと見て訝しげな表情を浮かべている沙羅が話を続けろと急かしてきた。
オレは素直に持っていた紙袋を、沙羅に手渡す。
「……は?」
中身を確かめた沙羅の目が見開かれて、頬はみるみるうちに赤くなっていった。
「おぼこのお嬢様にはちょぉっと難しいかもしれないけどさぁ……この服を着て家、抜け出してくんない?」
紙袋を持つ手が震えている。キュッと下唇を噛みしめる沙羅を見ながら、オレはアイスコーヒーを一口いただく。
ああ、楽しい。まあ、いつもの地味で清楚な格好で行っても問題はない場所だが、こうしてこいつをからかってやるのはとても愉快だ。
もう一押しすれば、きっとこいつは腹を立てながらも、オレの条件を呑んでくれるだろう。
「できねえなら、どーしよーもねえし、オレとしてはここで終わりでもいいんだけどさぁ。そしたら、お嬢様は対価を支払わなくて済むし、オレの仕事を骨折り損にできるってワケ」
クックックと肩を揺らして笑ってやると、沙羅は歯を食いしばりながら紙袋を持つ手に力を入れた。
紙袋に皺が寄るのを気にもせず、沙羅は顔を真っ赤に染めて大きな声を出す。
「
「じゃあ、やるってことでいいんだな?」
しっかり頷いてから、沙羅はコホンと咳払いをして時計を見る。
「次期当主代理に二言はないわ。兄様のためならこんなことくらい平気よ」
「ああ、美しい兄妹愛ってやつだねぇ」
虫けらや生ゴミでも見るような冷たい視線をオレに投げたが、何も言わないまま彼女はオレに背を向けた。
待ち合わせ場所も聞かずに出て行くなんて、よっぽど頭にきたらしい。
仕方が無いので、残りのアイスコーヒーを啜りながら、オレはスマホでメッセージを打つ。
「今夜23時門の外で待つ」
返事は返ってこなかった。
まあ、いつものことだ。
セシーリアの様子を探ろうと思ったが、ここで警戒されても面倒だ。ムリに探し回る必要は無いだろう。
オレはアイスコーヒーを一気に飲み干して、帰路へ付いた。
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