拾壱:憑み

「さぁて、じゃあ、作戦通りにするとしますか……」


 ぐいーっと思い切り腕を上に上げて背筋を伸ばす。

 夏の夕方はまだ明るい。少しずつ赤くなり始めた空を見ながら、誰に言うでも無く口に出してから、オレは目的の場所まで歩き出す。

 約束の場所は、成井家の別宅近くだった。

 静が白尾しらおと別れを味わった場所。ここには沙羅が来ることはない。

 それに、厳流いかるも亡き今、訪れる者もほとんどいない。せいぜい、修行をしたい分家の者たちくらいか?

 まあ、外の人間は立ち寄らないし、見られたとしても身内の人間だけだ。口封じもしやすい。他人に目撃させたくない密会を行うには、とても好都合な場所だが……まあよくもここを選んだなと笑ってしまいそうになる。嫌がらせのつもりすらも、宗玄あいつはないんだろう。

 少し歩くと待ち合わせ場所が見えてくる。

 歴史を感じる四脚門の前には、宗玄そうげんが一人で佇んでいる。静から作戦の中止を提案する声はない。

 ああ、心配しなくてもオレはやってやるさ。静からのだからなぁ。


 別に聞かなくてもいいものだ。オレは今、静の命令やお願いに背いてもなんのペナルティも与えられない、そういう契約で結ばれている。

 オレが静の体に居座れるための条件は「名を呼ばれたり、静に変わってくれと他人から請われたりしたら、それに応えなければならない」という一点だけだ。

 だけど、オレはバカ素直に静からのお願いを聞こうとしている。なんでかって?

 いつも鉄仮面みたいな表情の静が、オレに無理をさせるときは楽しそうに目を細めたり、声を僅かに弾ませたりする。それに、なにより静がオレを求めている。だから、それで十分だ。


「よぉ御大、待たせちまったみたいだなぁ」


 無駄話をするなとでも言いたげに、宗玄そうげんはオレをじろりと睨み付ける。でも、オレはそんなこと聞いてやるわけにはいかない。


「なんで遅れちまったか話を聞いてくれよ御大将、静かにしろ……そう言われたらオレも考えないこともないが、慣れないヒトの体で静様の体を害さないように暮らしているんだ。少しくらいこうやって無駄話をしたっていいと思わないかい?」


「斑」


 眉を顰めて口をへの字に曲げた宗玄そうげんが、腕組みをしたままオレを睨む。まだだ。止まってやるわけには行かない。

 なにも気付かない愚かな道化のフリをして、オレはへらへらと笑いながら話を続ける。


「いや、わかるよ。わかるんだよ。御大将が言いたいことはさぁ、こうして大切なご子息である静様の体をこんな風にお絵描きだらけにしちまって、なに害をなさないようにって言いたいんだろう? これには理由があってさぁ、こうでもしないと碌に伝手もない優男が怪異に関わる仕事をしようにも舐められちまうのさ。ああ、心配しないでくれよな御大将。ちゃあんと成井家の種をどこの馬の骨ともわからない女に与えるつもりはねぇからさぁ……毎回行きずりの女とやるときだって……」


「黙れ、斑」


 宗玄そうげんは苛立っているように、指で肘をトントンと叩いている。まだだめだ。あの言葉が出るまでオレは黙ってやるわけにはいかない。

 もう少しだ。オレは一歩前に出て、宗玄そうげんの肩に手をポンと置いた。あいつのこめかみに浮かんだ青筋がピクリと動くのがわかる。

 静に散々言っていた感情のコントロールなんて、あんたも全然出来てないじゃあないかと言おうとして、それは必要ないと自制する。

 その代わりに、にたりと微笑みながらオレはひらひらと手を振った。


「御大将、アツくなるなよ。ああ、そうか、大切なご子息の体を使った下の事情なんて父親としては知りたくなかったか。そういう気遣いはまだヘタクソなんだ。悪気があったわけじゃあねぇんだ。悪いねぇ。で、静様の体を使う上での苦労なんだがさぁ、これがおもしろいことに……」


「もういい。、斑」


「ああ、わかった」


 片足を軸にしてクルリと体を回す。ぐらりと視界が歪んで、オレの視界は真っ暗になる。

 一瞬の間にオレは静の影にずるりと溶け込んでいた。宗玄そうげんから一歩離れた静が、伏せていた顔を上げる。

 鳶色に変わった瞳で、宗玄そうげんを正面からはっきりと見つめた。


「……オレが静様に体を明け渡すには、成井家の者が捧げる対価が必要だ。だから、あんたの霊力をいただくぞ」


 オレの真似をしている静の声を聞くのは、なんだか妙な気持ちになる。

 本当は、オレが静に体を明け渡すためには名前を呼ばれたり、静の存在を求められたりするだけでいい。

 だから、これは嘘だ。でも、オレの魂は痛まない。だって、今話しているのはオレではなく静だからだ。


「でないと、静様と母親を会わせるって約束を反故にすることになる。オレは成井家の者あんたたちに嘘を吐けない。わかるだろ?」


「ああ、かまわない。私の霊力をくれてやろう。持っていくがいい」


 宗玄そうげんは、うんざりしたとでも言いたげに大きな溜息を吐いて、腕を差し出した。

 静が唇の両端を持ち上げて笑っている。けれど、その瞳から放たれる光は恐ろしい程に冷たい。


「ああ、あんたが静のことをどう思っているのかよくわかったよ。礼を言う」


 残念だったなぁ……と笑い出したい気持ちを堪えて、オレは静の影から尾を伸ばして、宗玄そうげんの腕から霊力を吸い取った。

 軽蔑の色と疲労、慢心と嫉妬……不味くはない。ごちそうさまっと。


「父上、ボクのために霊力を……。ありがとうございます」


 影の中で大人しくしていると、静が一歩前に出て宗玄そうげんに頭を下げる。

 腹の中が煮えくり返っているくせに、よくもまあ平気な顔で礼が出来るな……とからかっていると、静が顔を伏せたままオレの方を見て目を細めてくる。

 まるで、余計なことを言うなといわんばかりの無言の圧力にオレは笑ってしまいながら、影から先端だけ出した尾を僅かに振って「わかったよ」の代わりに返事をした。

 顔を上げた静は、宗玄そうげんが指し示した方向へ歩き出す。四脚門を越えて、池に渡された石橋を渡った先にある中庭に、あいつの母親が立っていた。

 上品な藤色の和服に身を包んだ線の細い女性はこちらを見て、儚げに微笑む。

 駆け寄ってきた母親を、右手を前に出して制した静は、冷たい目で自分の胸元までしかない背丈の彼女を見下ろした。


「斑、この女からボクに関する記憶を全て奪え」


「もうちょっと、感動の再会ってふりはしねぇのか?」


 影から飛び出したオレを見て、静の母は小さな悲鳴を漏らして、後退りをする。


「……父がボクに気がつけなかった時点で、成井家こいつらに抱いていた僅かな情も消え失せたよ」


 からかうように尋ねると、僅かに眉を寄せて不快さを露わにした静は、自分の母親をまるでゴミでもみるような疎ましい視線を向けて答えた。


「……初めて会った女ですら、ボクに気がつけたんだぞ。あいつらのボクへの関心はそれ以下だって事だ」


 モモは、かなり特別な類いの人間だと思うが、まあ折角の決意に水を差すのも悪い。おもいっきりやってもらうとしよう。

 静が腕をナイフで軽く切って滴った血が、オレの背へポトポトと落ちる。尾で静の腕を撫でて傷を癒やしてから、オレは目の前にいる怯えた女にゆっくりと近付いた。


「命まで取ろうってわけじゃねぇからさぁ」


 目をじぃっと見てから、女の目が焦点を失うのを確かめて、オレは彼女に思い切り噛みついた。

 なんてことはない思い出。生まれたての静、父の教育に反対した母親、静と妹を見守る姿……ああ、本当に不幸なことだ。愛情、後悔、悲しみ……これが無くなりゃ少しは普通の母親に近付けるだろうよ。

 残った妹を大切にしてくれよな。そう思いながら、オレは静の母から奪った記憶を飲み込んだ。


「静! 貴様ぁ!」


 どさりと膝を着いた音と共に、背後から怒鳴り声が聞こえる。

 振り向くと、宗玄そうげんが握った拳をわなわなと震わせて、こちらを見ていた。


「感情をしっかりと制御しなきゃいけないんじゃねぇか?」


 けっけっけと肩を揺らして笑いながら、オレは静と宗玄そうげんの間に降り立つ。


灰鳴カイメイ!」


 青白い稲妻を身に纏わせた灰鳴カイメイが、唸り声を上げながらオレの前に現れた。

 しかし、静は慌てる様子もない。涼しい表情を浮かべたまま、静はオレに告げた。


「その怪物ケモノ宗玄そうげんの記憶も奪ってくれ。面倒だから殺すのはやめておくとしよう」


「小僧が舐めおってぇええ!」


 バリバリと音がしたかと思うと、空に急に立ち籠めた黒雲から雷が灰鳴カイメイに向かって落ちる。

 凄まじい音と振動が響いて、チリチリとしたがオレの体は髭の先が少しだけ焦げただけだ。

 オレの尾で包まれていた静ももちろん無傷だった。

 小さな舌打ちが宗玄そうげんから聞こえてきた。焦っているのが丸わかりだ。あやかしは焦りや怒りを見抜いて攻撃をしてくるのだと、静に教えたのはお前達だろう。

 舌なめずりをしながら、オレは体をもう一回り大きくした。雄牛くらいの大きさはあると思う。

 小さな小さな古株の怪物ケモノを前肢で押さえつける。噛みついたり唸ってひっかかれたりしているが、蚊に刺された程度の刺激しか感じない。

 オレは、そのまま宗玄そうげんに顔を近付けた。唇を震わせたまま宗玄そうげんが何かを言おうとしたようだったが、その言葉は掠れて言葉にならない。


「んじゃあ、いただきまぁす」


 オレは大きく口を開いて、宗玄そうげん灰鳴カイメイを口の中へ入れた。

 泣く静、死にそうになっている静、白尾しらおを失って呆然とする静……オレだけの静が増えていく。

 オレが静を独占していく。


 意識を失った静の両親を四脚門まで運んだところで、ぐらりと視線がゆがんで暗転する。少しだけ締め付けられるような窮屈さを味わって、肺いっぱいに空気を吸い込んでから目を開く。

 ああ、疲れた。そのまま去ろうとしていると、二人が目を覚ました。

 よろよろとしている二人が立ち上がってこちらに近付いてくる。


「マダラ……またお前か。こんなところで何をしている」


「いやあ、ヤボ用があったんでここらに寄っただけでさぁ」


 どぎまぎしながら答える。

 溜息を吐きながら立ち上がった宗玄そうげんは、不思議そうに首を傾げながら妻の手を引いて彼女を立たせると、もう一度オレの方を見た。


「何があったのかわからないが……また私はお前の世話になったのか?」


「へえ、よくわかりませんねぇ」


 髭を撫でた宗玄そうげんは、ふんと鼻を鳴らして不快そうな表情を浮かべたが、特にオレに食ってかかる様子もない。記憶を喰っちまったとは言え、一般人相手にやるのとはわけがちがう。流石にヒヤヒヤするもんだ。


「便利屋、お前は相変わらず食えないヤツだ」


 記憶を奪ったとは言え、オレはまだ成井家の怪物ケモノだ。嘘は吐けない。

 下手なことを言う前に、さっさと立ち去るとしよう。


「ひっひっひ……お褒めの言葉ありがとうございます。まじない、呪い、悪霊祓いなんでもござれ。便利屋マダラ、御用がありましたらいつでもお声掛けください」


 そう言って、頭を下げてからオレは二人に背を向けた。

 頭の中で静が『上出来だ。ありがとう』と珍しく柔らかい声色で褒めてくれたのがやけに嬉しくて、スキップしそうになるのを耐えながら、オレは捕まえたタクシーに乗り込んだ。

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