玖:奇び
「モモちゃんさぁ、例の物、ポチっておいてくれた?」
「お急ぎ便で頼んだよぉ~! ほら、ここにある。……で、何につかうのこれ?」
扉を開くなり、オレを笑顔で出迎えたモモの額に口付けを落として、ふわふわの髪を撫でてやりながら耳元で囁く。
甘い匂いと共に立ち上るのは、僅かな腐臭。呪いと恨みの匂いだ。
首を傾げながら、オレを部屋にあげたモモは壁に立てかけてある薄くて縦長の段ボール箱を指差した。
「お仕事」
「しごと?」
段ボールを開いていたが、きょとんとした表情を浮かべて立ったままのモモを見て、オレも首を傾げ返す。
「そうそう、オレの本業! ってぇ……信じてなかったぁ?」
おいでおいでと手招きをすると、仔犬のようにちょこちょことした足取りでモモはオレの方まで寄ってくる。
箱を開封しているオレの横に座りながら、じっと作業を見ていた彼女だったが、しばらくしてハッと目を丸くして「あ」と小さな声を上げた。
「アレ、本気だったの?」
「クックック……そうだよ。モモちゃんの呪いを解くために、オレは結構がんばってたんだけど?」
箱の梱包を乱暴に裂きながら、オレはそう言って立ち上がる。
モモを取り囲むようにパーテーションを組み立てている間、彼女は寝転がってのんびりとした様子でゲームをしたり、スマホをいじっていた。
準備をひとしきり終えたオレは、テーブルの上に乱雑に積まれている育児本やら、マタニティスタイルと書かれた雑誌を静かに退けてモモの隣に腰を下ろす。
それから、彼女の肩を優しく抱き寄せて、髪を撫でる。モモが甘えるような声を出してから、目を閉じて小さくて厚い唇を軽く突き出してくるのでそっとキスをして、それから彼女の目を見つめる。
「それで、まあ、なんだ。モモちゃんの
「いいよ」
思ったよりも、あっさりとした返事だった。
柔らかく微笑んだ彼女は、膨らんでいない自分の腹をゆっくりと撫でる。
「あのね、マダラ……。あたし、ちょっと子供もいいなって思ってたのは確かなんだけどさ、今、マダラに諦められるか聞かれて、ほっとしちゃったんだ」
こういう寂しげな顔をしている女は、なんていうか、すごくグッとくる。
静が小さく溜息を吐いたのが聞こえた気がした。
なんだよ仕方ないだろ。そういうのが趣味なんだよ。
モモはすぐに顔を上げて、にこりをいつもの気の抜けた無邪気な笑顔を浮かべてオレを見る。
「残念な気持ちもあるけど……仕方ないよ。次はいい恋人作るぞー」
拳を作った右手を小さく上に持ち上げて「おー」というモモを見て、思わず笑ってしまう。
無邪気で儚く見える人間の女だが、こういう
心を痛めないから好きなのではなくて、痛みを受け止めても折れない
「そこは、オレにお願いしねえのかい?」
からかい半分で聞いてみる。
「しなーい! マダラは体の相性は最高だけど、旦那様って感じじゃないもん」
「ひっひっひ、見る目があるねぇ。んじゃあ、ここに寝てくれ」
オレはモモともう一度口付けを交わしてから、彼女をパーテーションで囲んだ場所の真ん中に寝転ばせた。
少しだけ眉を寄せて、不安げに瞳を揺らしたモモの額を優しく撫でて、オレは彼女の耳元に口を近付ける。
「魔法の呪文だ。
「ふふ……、変なの。それが魔法の呪文?」
「そう。言えるかい?」
「うん、マダラ、静かにして?」
オレを見つめていた彼女のクリクリした目が、急に遠ざかって視界が真っ黒になる。
「ああ、任せてくれ」
落ち着いた声がして、小さな声でモモが「え」と戸惑った声を上げた。
あいつからは見えないだろうが、一応静の影に潜り込んで息を顰めながら、オレはモモの方へ視線を向ける。
「……だれ?」
「気にするな」
体を起こそうとしたモモの肩を静がそっと抑えると、彼女は体勢を元に戻した。
仰向けになったまま、彼女は静のことを眉を寄せながらじぃっと見つめている。
「だって、目、色が違うし、話し方も……ちがうから……二重人格って、やつ?」
「……そのようなものだ。それじゃあ、君の呪いをなんとかするとしよう」
気付かれたのが意外だったのか、静はそっと目を伏せて彼女から目を逸らす。
それから、モモの腹に流れるような所作で手を添えると、ぼこりと彼女の腹が服の上からでもわかるくらいうねった。
「こいつは
「――っ! いぃい……っ」
静の腕を掴んでいるモモは、悲鳴をあげそうになりながらも、声を抑えるために歯を食いしばって耐えている。
「斑、逃げる前に引きずり出してしまえ」
「おうよ」
額一杯に粒のような汗を浮かべている彼女の股ぐらにオレは
静がモモの腹を押すと、キィキィという耳障りな音と共に、モルモットくらいの大きさの逆立った赤黒い毛をした獣のあやかしが顔を出す。
思い切り頭に噛みついたオレは、そいつをモモの体内から引きずり出して、そのまま顎に力を込めた。ガキンという鈍い音と共に、獣のあやかしは動かなくなり、静の二の腕を掴んでいたモモもだらりと脱力して床に腕を落とす。
「……記憶を弄るかは、好きにしろ。お前に任せる」
モモに掴まれていた部分を手で軽く払いながら、静はそう言った。グイッと体が引っ張られてオレはもう一度視界が真っ暗になる。捻れるような感覚がして、目を開くと血の気を失ったモモの顔がすぐ近くに見えた。
「……あ、マダラだぁ」
真っ青な顔色のままモモが、あまりにもいつも通りの表情で微笑む物だから、記憶を奪うとか隠すなんてことを忘れて、オレは彼女を思わず抱きしめた。
汗ばんだ彼女の首筋に舌を這わせて、それからふわふわのキャラメル色の髪に顔を埋めると甘いシャンプーの匂いに包まれて、心地よくなる。
「さっきの、綺麗な赤茶色の目をした、お兄さん……」
「どうした?」
彼女は穏やかなのに、オレは緊張してしまう。
これで脅してくるようだったら、流石に記憶をどうにかしなきゃいけなくなるが……。
そんなことを考えていると、腕を持ち上げたモモがオレの頭をそっと撫でた。
「お礼、言っておいて……あ、言えるの、かな?」
「……ああ、わかったよ」
面白い女だな。心の底からそう思いながら、オレは彼女を抱きしめて口付けをした。
『その女、鋭いところがある。今後も何かに使えるかもしれないな』
疲れてしまったのか、寝息を立て始めた彼女をベッドの上に置いてパーテーションを片付けていると、静が話しかけてきた。
よく見れば誰にでもオレと静の違いなんてわかるだろ? モモが言ってるように話し方も違えば、瞳の色まで変わるんだからさ。
『それでも……今まで気が付いたやつはいなかっただろう?』
まあ、そうだけどさ。あやかしに襲われている最中なら、些細なことには気が付かないだろうって言ったのは静だろ? 気が付かれて嬉しかったか?
『いや、そうではないが……試したいことは出来た』
なんだよ。教えてくれよ。
そう聞いたけど、静は何も応えないまま、気配を消した。
一瞬だけ、静がモモに興味を持ったのかと思って驚いていたが、そんなことはなかった。
オレの静。忘れられない憐れなあやかしをずっと想い続ける可哀想で可愛い静。
ああ、お前の傷が癒えていないようでオレはとってもうれしいよ。
パーテーションを片付け終わり、自宅へ帰り着いたところでスマホがブルブルと震えた。
「あいよ。まじない、呪い、悪霊祓いなんでもござれ。便利屋マダラでございやす。どんなご用件で?」
わざとおどけた口調で応答すると、電話口の向こうにいた
「ああ、わかったよ。明日の夕方、だな」
なあ、明日も忙しくなりそうだな、相棒?
『斑、聞いてくれるよな? ボクからのお願いを』
ああ、もちろんだ。
オレはベッドの中で、静が先ほど思いついたという
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