拾捌:荒び
『……どんどん集まってるようだな』
山へ近付くに連れて、車窓の外に見える影が多くなっている。直接危害を加えてくる様子はないが、明らかに沙羅の気配に引き寄せられて近付いて来たあやかしたちだろう。
鳥のあやかしたちの他にも、こまごまとしたあやかしや怨霊のようなモノが増えている。
一応、あやかし除けの香を焚いてきてもこうなのだから本当にこいつの巫女としての資質はすごいものだ。
タクシーから降りて、山へ入るとよりいっそうあやかしたちの気配が濃くなる。これが見えていないような様子の沙羅だが、何か感じているようで周囲を見回して体を強ばらせている。
今は気配を感じないが、呪い屋の関係者が、式神やあやかしを放っている可能性もあるな……。
少し先を歩いてから、オレはポケットから取り出した布を沙羅へ手渡した。
「お嬢様、ここで成井家の
オレは
苦笑しながら、布をなかなか受け取らずにオレをじとっとした目付きで見上げる沙羅に言葉を続けた。
「こいつぁ、
渋々と言った様子で布を手に取った沙羅は、しっかりとそれを口に食んだ。
これで、少しは心配事も減るだろう。
この布は優れものだが、もう気配を掴まれちまってる相手には効果が無い。木々から降り注ぐあやかしたちの視線を感じながら、オレは辺りを警戒しながら山道を進む。
「……音がする」
何かを打ち付ける音だ。
オレは沙羅の手を掴んで、音が聞こえる方へ忍び寄った。
『粗末にされた胎児』
何か納得をしたかのような静の囁きが頭の中に波紋みたいにゆっくりと広がる。
崖から身を乗り出した沙羅の顔が一瞬で白くなったのを見て、オレもやっと何が行われているのか察することが出来た。
その時、強い殺気がこちらに向けられていることに気が付いた。クソ……バレたか。
オレは沙羅を置いて、先に走り出す。
あの小屋だ。
『ああ、うまく育ってくれたようだな』
オレの目がセシーリアを捕らえるのと同時に、ククク……と笑いながら静がそう呟く。
吹き抜けた風が木々を揺らして、辺りがざわめいた。足下を小さなあやかしたちが駆け抜けてこの場から逃げていくのが見える。
血走った目で虚空を見つめているセシーリアの影が膨れ上がり、どんどんと大きくなっていく。
「セシーリアさん」
やっとオレに追いついた沙羅が、彼女の名を呼んだ。
絶望したような、悲しみを含んだような声にも、セシーリアは反応しない。
気配隠しの布を落とした沙羅を、彼女の狂気に満ちた瞳が捕らえた。
「成井さん……こンなところデあいましたネ」
声色だけは昔と変わらない。だが、その口からは強烈な腐敗臭と共に、黒い靄のようなモノを吐き出している。
あやかしに魂まで持って行かれた人間が、言霊と共に怨嗟を吐き出している時によく起きる現象だ。もちろん、並の人間には靄は見えないと思うが。
水音がして、沙羅が怨嗟にアテられたことに気が付く。ここで倒れられると困る。
「お嬢様、静様を呼んじまった方がいいぜ?」
腰に手を回して、体を支えてやりながら、オレは沙羅に耳打ちをした。
首を横に振って、涙目になりながら沙羅は目の前に居るセシーリアを睨み付けている。
ここは折れるところだろうが。舌打ちを耐えて、オレは前を向いた。
まあ、ここであっさり折れるようなら、成井静の妹じゃあねえか。
「Emil,Kom med meg for a drepe fienden」
セシーリアが、隣に蠢いている黒い靄の頬を撫でる。ぶわっと膨らんで燃える炎みたいに揺らめいていたソレが、じわじわと輪郭を露わにしていく。
隣から、小さな悲鳴が聞こえた。つまり、沙羅にもこいつの姿が見えているんだろう。
ぞくりと背筋に寒気が走る。いつもの姿でならなんてことはないが、この体で碌に修行をしてない人間を守りながら戦うのは、
赤く膨れ上がった赤ん坊の頭をぶるぶると揺らしている梟のあやかしが、オレ達に殺気を向けた。
胸から突き出ている赤黒く浮腫んでいる手足がもぞもぞと動いているのを見て、膝を震わせているくせに、沙羅は一歩前に出てセシーリアに声をかけた。
「セシーリアさん……失った子供の代わりに地域の子を愛していたんじゃ」
「わたし、utburdになたEmilのトモダチ、つくりたかったダけヨ」
あやかしに寄り添いながら、うっとりとしているセシーリアに返すように、あやかしは血生臭い吐息と共にホウホウホウホウとけたたましい鳴き声を上げる。
思わず耳を塞ぐと同時に、周りの木々が大きく揺れた。
隙を窺っていたあやかし共が一斉にこっちへ向かってツッコんで来やがる。
先陣を切って飛んできたあやかしが、沙羅の方へ引き寄せられていく。仕方なく、オレは沙羅を思い切り突き飛ばす。
腕を振って何羽か地面に叩き落とす。だけどキリがねえ。
『さて、斑のお手並みとやらを拝見させて貰おう』
ああもう……。楽しそうにしやがって。
静の楽しそうな声が頭に響く。
あやかしは、口を開いて青い舌を伸ばしてくる。二本の足で立っているんじゃこうやって足を一本取られただけで転んじまう。戦うには本当に不便な体だ。
そのままセシーリアの隣に居る一際大きなあやかしの方へ引きずられていく。
早いところ沙羅には、静を呼んでもらわないと困る。
でも、まあ素直にオレの頼みを聞くわけが無いんだよな。
あやかしに取り囲まれて、頭を腕で覆いながらしゃがみこんでいる沙羅に聞こえるように、オレは大声を出した。
「これはオレの器じゃないからいーけどさぁ……」
沙羅は、勢いよく顔を上げてオレを見た。
ちょうどいいことに、オレの顔をあやかしが掴もうとしている。
墨を入れても、ピアスを空けても、こいつの美しさは損なわれることなんてなかった。きっと顔を多少傷つけられても、静は新しい美しさで他人を魅了してくれるんだろう。
だから、それはそれでいい。命が奪われそうになったら、奥の手を使ってこのあやかしをぶっ壊すだけだ。
でも、まだその時じゃない。沙羅、お前には耐えられないだろう? 完璧で完全に美しい成井静が損なわれることが、何よりも嫌いだもんな。
早く怒れ。早く命令しろ。早くお前の霊力をオレに寄越せ。
甘い香りが立ち上りはじめる。
「兄様……! 兄様を戻して!」
沙羅から伸びてきた霊力が、体に流れ込む。
意識が遠のいて、代わりに力がみなぎる。小さく頭の中で「
パッと視界が青白い閃光に照らされる。ギャという短く鳴いて、体を仰け反らせたあやかしの姿と、体に付いた粘液を無表情で手で払う静の後ろ姿が目に入った。
「なるほど……Utburd。日本ではたたりもっけという
たたりもっけと呼ばれたあやかしの舌からは、青い絵の具みたいな色の血が流れて地面に滴っている。
威嚇をするように身体中の羽根を膨らましたたたりもっけは、両翼の付け根を浮かせて、ギャッギャと甲高い声をあげて小さく跳びはねる。その隣にいるセシーリアもあやかしの怒りと同調しているように顔を赤らめ、目を見開きながら静に呪詛を吐いている。
彼女の口から出ている黒い靄を見て、静がオレに目配せした。だから、オレは尾を思い切り振って靄を風で吹き飛ばす。
あああああ、楽しい。体が震える。毛が勝手に逆立って、喉が勝手にグルルと唸り声をあげる。
沙羅から流れてきた霊力にだいぶ引っ張られているらしい。
オレを見て目だけで微笑んだ静が、顔を上げてたたりもっけを正面から見据えた。
「
「いいよぉ」
何も我慢しなくて良い。さっき取り込んだ沙羅の霊力に加えて、喉を焼くみたいな甘さの静の霊力が流れ込んでくる。
ばきばきと骨が軋む音がする。ああいますぐこいつの頭を食いちぎりたい。
意識するよりも早く前脚は地面を蹴っていた。
景色がゆっくりと流れる。たたりもっけとオレの間に体を捻じ込んできたセシーリアが見えた。
「そいつは、殺すな」
注文が多い相棒だぜ。
食いちぎろうと開いた口を一度閉じて、セシーリアの肩に前脚を添える。そのまま後ろに蹴り上げて、邪魔者を静の方へ放り投げた。
それから静から貰った霊力を使って封印を解除する。オレの本当の姿。オレの頸木から解き放たれた姿。
ひひひ……残念だったなぁ。
たたりもっけの頭を一呑みして咀嚼して、飲み込んだところで体が内側から強く引っ張られる感覚がした。
もうお終いか。
舌打ちをしながら、元の縛られた体に戻されるのを受け入れて、オレは残ったたたりもっけに食らいついた。
「たたりもっけは棄てられた遺体を供養すれば消える。警察に通報するだけでいいだろう」
「兄様……見ていてくれたのですね。沙羅は、がんばれましたか?」
後ろの方で、沙羅と静のやりとりが聞こえてくる。
兄さんと会いたいって依頼は叶えてやった。そろそろ対価を徴収する頃合いか。
口の周りに付いた血を舌で舐めながら、オレは静の脛に体を擦りつけた。
「静、可愛い妹にハグの一つもしてやらねーのか?」
「妹の世話、ご苦労だった」
きょとんとした表情でこっちを見る沙羅を無視して、オレは静の顔を見上げる。
無表情のまま、静はしゃがみこんでいる沙羅へ視線を向けた。
立ち上がった沙羅が、数歩、よたよたとした足取りでこちらへ近付いてくる。
気怠そうに腕を持ち上げた静が、沙羅の頭へ腕を伸ばした。
一瞬だけ、沙羅の瞳に光が宿る。ゆっくりと持ち上がった薄い唇の両端が、静の手が自分の額にそっと当てられて、微かに歪む。
鳶色の鋭い瞳に宿った光が消えて、絶望に沈む代わりに、静が目を細める。
沙羅とよく似た薄く形の整った桜色の唇が弧を描いた。
「沙羅、さよならだ」
そのまま、静は沙羅を軽い力で突き飛ばした。
「斑」
「あいよ」
静は、呼んだオレを振り返ることなくその場にしゃがみ込むと沙羅と目を合わせる。
「にい……さま」
泣き出しそうな表情をした沙羅が、ぎこちなく笑おうと表情を歪める。
そんな沙羅にもう一度、静はとても優しく微笑んだ。
きっと、沙羅が何度も何度も想像した理想の兄の顔で。
きっと、沙羅が幼い頃何度も何度も励まされたよく出来た完璧な兄という
「一番大切なモノを、対価にしたのはお前自身だろう?」
微笑んだまま、静は聞いたことも無いような柔らかい声色でそう言った。
目を見開いて、沙羅が唇を震わせる。鳶色の瞳が揺れて、目の端から小さな涙の粒が零れ落ちるのが見えた。
「お嬢様、あんたで最後なんだ」
「残りは分家の連中……か」
「ああ……でもまあ、怖くねえなあ」
沙羅にはもう興味を無くしたかのように、いつもの鉄仮面に戻った静が前髪を掻き上げて立ち上がる。
突風が吹き抜けて、烏の濡れ羽色をした綺麗な髪がそっと靡くのを沙羅は黙って見つめていた。
「待って……」
腕を沙羅が伸ばす。
ああ、たまらない。絶望と羨望が入り交じった色の瞳。
力なく伸ばした腕をそっと前脚で触れると、沙羅の腕はだらりと脱力した。
「大切なモノ、しっかり貰うぜ?」
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