第3話「Between 現実 To 物語」
傾きかけた西日の光に、セツヤは一人目を細める。
場所は静寂が満ちて、かえって落ち着かない。
小学校の頃から、セツヤは図書室というものを使ったことがなかった。今は先ほど知り合ったクラスメイト、カナミによって強引に連れられてきた。周囲を見渡せば人影はない。
「ま、新学期そうそうに図書室でお勉強なんてな」
入り口近くのカウンターでは、上級生の女子がスマートフォンを熱心にいじっている。その彼女も、手にするスマホが鳴るなり図書室を出て行った。
そしてセツヤは、静けさの中に一人きりになる。
だが、この退屈な空間に
すぐにカナミが、大量の本を抱えて戻ってきた。
「お待たせ、しました、
極めて危ういバランスを保っていた、本の塔が倒れつつあった。
どう見てもカナミは、運動神経がいいタイプの人間には見えない。ひょろりと
慌てて立ち上がったセツヤは、重力に屈した本の群れを両手で押し返す。
自然と手が手に触れて、妙にひんやりとした柔らかさに驚いた。
「とっとっと、大丈夫か? こんなに持ってくるなよ、ったく。しかも、
「ご、ごめんなさい、春日井君」
「セツヤでいいって。その代わり、俺もカナミって呼ぶからさ」
「はあ、それでは……ありがとうございます、セツヤ君。わたし、助かりました」
二人でなんとか、一冊も落とさず本を机の上にならべる。
そのタイトルはどれも、同じ単語が並んでいた。
「なんだあ? 円卓の、騎士? おう、騎士か! それってつまり」
昨夜のことが思い出された。
映画の撮影やコスプレとは違う、本物の騎士をセツヤは見たのだ。
その証拠に、今も
そして、王と呼ばれた騎士は学校の中へと消えた。
彼を導く不思議な存在、狐の巫女には秘密にするように言われたのだ。
「で? カナミ、アヴァロンってのは――」
「はいっ! セツヤ君はどの騎士が好きですか? わたしは断然、ランスロット
「ちょ、ちょっと待て! なんの話だよオイッ!」
「円卓の騎士は、どの方も
突然早口でまくしてたと思うと、はたとカナミは硬直する。
そして、耳まで真っ赤になって顔を手で覆った。
「また、やってしまいました……ごめんなさい、セツヤ君」
「あ、いや……とりあえず日本語で頼むな? なっ? 俺、馬鹿だからさ」
「そんなことないです! ば、馬鹿かどうかはわかりませんが」
「……フォローになってないぞ、おいおい」
「でも、馬鹿なだけの人じゃないです。優しくて、さっきもわたしを助けてくれました」
気付けば、
春になっても、まだまだ暗くなるのは早く感じられた。
だが、落ち着きを取り戻したカナミが時間も気にせず話を再開させる。
「ここに持ってきたのは、円卓の騎士に関する本です。円卓の騎士とは、ブリテン……今のイギリスとその周囲を舞台にした物語で、イギリス本国では実話だと思ってる人も多いですね」
「なるほど。……円卓って、なんだ?」
「要するに読んで字の
「えっと、凄い人と部下の人とで、偉い順に並ぶのが上座と下座か?」
「はい。では――」
ゴホン、と
次の瞬間、ドキリとするような声が透き通った。
「動乱の中にあったブリテンを、一人の王が統一します。彼の名は、アーサー……選ばれし王のみが抜けるとされた剣を台座から引き抜き、ブリテンに平和をもたらした騎士です」
朗々と、まるで歌うようにカナミが語り出した。
少しびっくりしたが、気付けばセツヤは聴き入っていた。
「アーサー王は信頼する騎士たちを円卓に招きました。
しかし、物語はハッピーエンドでは終わらなかった。
平和を求めて戦った円卓の騎士たちは、今度は平和を守る戦いに
そして、裏切りと不義理とがアーサー王を襲った。
最後は実の息子に反乱を起こされ、なんとか
「そしてアーサー王は、最後に聖剣エクスカリバーを」
「あ、その名前は見たことあるぞ。ゲームによく出てくるやつな!」
「はい。どんな
――妖精たちの楽園、アヴァロンへと旅立った。
それが物語の結末である。
そういえば、昨夜の騎士も手に剣と槍を持っていた。
あれが聖剣エクスカリバーだったとは、夢にも思わなかった。
「ん、だいたいわかった。サンキュな、カナミ」
「い、いえっ! それで、セツヤ君はアヴァロンをどこで? なにか、アヴァロンのことで知りたいことがあるのでは、と」
急にもじもじと身を畳むように、カナミは手と手を合わせて指を遊ばせ始めた。
今さらになって気恥ずかしくなったようだが、セツヤは感心してしまった。小学校の頃に朗読会なんてのもあったが、眠くなることばかりだった。だが、カナミの声を聴いていると脳裏に情景が浮かぶ。
ちょっと迷ったが、詳しそうなのでセツヤは聞いてみることにした。
「あのさ、アヴァロンてどこにあんだ? 結構近所なんだろ? イギリスからは遠そうだけど……騎士がいる時代ってほら、魔法とかあるからよ」
「あ、いえ、これは創作、物語ですし……ただ、ベースとなった史実の歴史があるとは言われています。アヴァロンは、その、妖精の楽園なので場所はちょっと」
「そっか。昨日のそのアーサーって人の話だと、近場に思えたんだけどな」
そう、昨夜の騎士は間違いなくアーサー王だ。
それもどうやら、物語の最後にアヴァロンへと旅立った、その直後といった雰囲気だった。ちょっとずつ、謎の手掛かりが見えてきた気がする。
カナミは小首を傾げて不思議そうにセツヤを見詰めていたが、やがてフフッと笑った。
なんだか、ぱっと小さな花が咲いたような笑顔だった。
「セツヤ君って、面白いんですね。円卓の騎士は今から1500年以上前の物語です。でも、不思議……嘘を言ってるようには聞こえませんでした」
「はは、秘密の話なんだけどさ。でも、母さんは全く取り合ってくれなかった」
「大人の人は、常識人ですから。この世の不思議を避けて遠ざけることで、毎日やりくりするのにいっぱいいっぱいなんです。きっと、多分、確実にそう」
そんなことを言うカナミの横顔が、どこか大人びて見えた。
それでついつい、もう一度だけという気持ちでセツヤは話してみる。
秘密と言われてアレコレ脅され、それでも話してしまいたくなるのは自分が子供だからだ。同時に、セツヤは知っている。秘密を共有する奇妙な興奮と連帯感、あれは忘れられないのだ。
昔は、そういう仲間が沢山いた。
失われたのではなく、いなくなったのでもない。
今も友達だけど、中学生としての付き合い方、距離感がまだよくわからないのだ。
「あのさ、こんな話をしたら……信じるか?」
「はいっ。絶対に嘘じゃありませんっ!」
「……せめてさ、話を聞いてから信じてくれるか? はは、お前だって面白い女じゃねえか」
「そうでしょうか。それで、どのようなお話で」
セツヤは、自分なりにわかりやすく要点を
カナミは一度も言葉を挟まず、
「つまり、真夜中の学校で突然光が降り注いで……その中から、アーサー王が現れたと」
「ああ、確かに見た……カナミの話を聞いたら、誰だってあれがアーサー王だってわかる。そして、狐のお面を被った妙な女が、そう、
「光から、人が……割と娯楽創作の中ではよくあるパターンですね」
「そ、そうか?」
その時だった。
二人しかいない図書室の中で、背後がじんわりと熱くなった。
本棚がカタカタと小刻みに揺れて、振り向けば眩しさに目を手で
「そ、そうだ! こんな感じの光だったぜ!」
「なるほど、興味深いです……って、えええっ!? セ、セツヤ君っ!」
「今度はなんだあ? ってか、この学校はどうなってんだよ!」
またしても、例の光がゆっくりと人影を浮かべる。
ほとばしる光の
それは、どうやら自分たちと背格好も変わらぬ少女に見えた。
そう、徐々に収束して消えゆく光の中に……裸の女の子が立っていた。
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