びとぅいーん!

ながやん

第1話「Between 始まり To 出会い」

 春日井カスガイセツヤは今、酷く実感していた。

 自分はこの春、今日から中学生なのだと。

 真新しい詰襟つめえりの学生服を着ても、どこか現実感がなかったのに……今はもう、中学生という身分を酷く自覚していた。

 まだまだ子供だけど、子供のままではいられない。

 そんな日常が、今日から始まったのだ。


「しかし、参るよなあ……俺が家で勉強なんてしないって、母さんだって知ってるだろうに」


 時刻はすでに、深夜。

 セツヤは一人、今日から通うことになった学び舎を訪れていた。

 ――市立狭間中学校しりつはざまちゅうがっこう

 目の前に今、静かな闇をたたえた校舎が広がっている。

 人の気配は全くない。

 夜の学校は、小中高を問わず不気味だ。

 朝から始まり昼過ぎには終わって、部活動も夕暮れ時には解散となる。必定、学校という施設は夜に子供たちのいることがない場所だからだ。


「さて、どこから入り込むか」


 セツヤは特に気遅れした様子もなく、フェンスに取り付く。

 正門は閉まってるし、学校の敷地は周囲を金網のフェンスに囲まれていた。

 だが、町一番の悪ガキで通してきたセツヤには関係ない。

 校舎の裏側に回って、ジャンプして金網をよじ登る。そのままヒョイと、フェンスを越えて学校の敷地内に降り立った。

 地面に降り立つと同時に、周囲を見渡す。

 自慢の軽業かるわざを見ていた人間は、どうやらいないようだ。


「でも、どうやって建物の中に入るか、だよなあ」


 真夜中の潜入劇には、理由がある。

 今日、めでたくセツヤは狭間中学校の新入生となった。

 だが、昼間のセツヤはそれをわかっていなかった。

 頭では理解していたかもしれないが、実感していなかったのだ。

 決められた制服に、決められたかばん。そして、その鞄に詰めるべき大量の教科書と資料集……教材の数だけでも、小学校とは段違いに多かった。

 なにもかもが違って、新しい日々の始まりだった。


「けどさ、あの量を毎日背負って通えってのは……俺は勘弁してほしいな」


 セツヤは始業式のすぐあと、退屈な話から解放された時に決めた。

 家では使わないアレコレを、毎日律儀に背負って歩く必要はない。所詮しょせん、学校でしか使わないし、授業中も読むことは稀だ。わざわざ重い思いをして運ぶ必要を感じなかった。

 セツヤは、

 机の中に詰め込み、入らない分はあてがわれたロッカーに突っ込んだ。

 教科書を学校に置いて帰る……いわゆる置き勉おきべんである。

 だが、夕食の時間に担任教師から電話がかかってきて、母親の雷が落ちたのだった。


「さて、俺の教室はあっちか」


 ザクザクと学校の裏庭を歩く。

 闇夜に月明かりだけがまぶしくて、周囲には虫が鳴いていた。

 とりあえず、教科書一式を持ち帰る必要がある。

 セツヤには必要がなくても、カンカンに怒った母親には必要なことだ。

 入学早々に担任教師から電話でお小言を言われて、流石さすが肝っ玉母きもったまかあさんも少し落ち込んだらしい。けど、だからってこれは理不尽だ。

 手早く教科書を回収しようと、セツヤは小走りに闇を突き抜ける。

 だが、異変に脚を止めたのはそんな時だった。


「ッ! 警備員とかいるのかよっ! この光っ!」


 突然、背後でまばゆい光が弾けた。

 それは突然現れ、轟音で空気を震わせた。

 一瞬の爆音で膨れ上がった光は、そのまま消える。

 まるで白昼夢はくちゅうむのような光景だったが、セツヤは確かに見た。

 突然、夜の星空から光の柱が降り注いだ。

 それはあっという間に消えたが、その中に人影を残していた。


「なっ、なな……なんだよ! って、おい、オッサン! 大丈夫かよ! 怪我してるぜ!」


 現れたのは壮年の男だが、その姿は普通ではなかった。

 鈍色にびいろに輝くよろいを着込んでいる。そして、擦り切れたマントと共に血に濡れていた。ひたいからも出血していて、その血はもう乾いている。

 髭面ひげづらの男は、ガシャガシャと甲冑を鳴らしてセツヤに歩み寄った。

 強面こわもての表情とは裏腹に、酷く優しい声が静かに響き渡る。


「ここは……私は死を悟り、アヴァロンを目指していたはずだが」


 掘りの深い顔立ちは外国人のようだが、不思議とセツヤには言葉がわかった。

 そして、その驚きをまずは保留してよく観察すると……男の両手には、鎧と同様に血塗られた剣と槍が握られている。

 思わずセツヤは数歩下がって、そのまま尻もちを突いて倒れた。

 突然、ゲームや漫画でよく見る騎士ナイトが現れたのだ。

 そう、憔悴しょうすいした様子で疲れ切っているが、その男は騎士に見えた。物語の主役として、悪い竜を倒してお姫様を救う……そういう風格を持った人物そのものなのだ。

 屈強な騎士の男は、自分の境遇をあまり驚いていないように見えた。


「む、少年……君がゲートキーパーなのかな?」

「は? い、いや、俺は……違うっていうか、そもそも、ゲートキーパー? それって」

「魔術師マーリンや妖精たちは言っていた。理想郷アヴァロンで眠るならば、ゲートを使えと……私はもう、戦いに疲れた。これからの世は、力と剣ではない。円卓の精神はすでに、並んで座る者たちの血筋や出自を問わぬ時代に向かっているのだ」


 なんの話をしているのか、さっぱりわからない。

 セツヤにわかったのは、目の前の騎士が嘘や演技で言葉を連ねているのではないということ。それだけは、はっきりと感じられた。

 ならば、色々と考えるのはあとだ。

 感じたままに、感じるままに……行動あるのみである。


「オッサン、とりあえず怪我の手当てだ! 救急車を呼んでみるからよ!」

「……いや、よいのだ。礼を言おう、少年。だが、私の戦いはここまで」

「よくねえよ! 戦いが終わっても、その次があんだろ!」

「その、次? フッ、なるほど」

「その、アヴァロン? とかってのに行くんだろ? なら、まずは――」


 男が寂しげに笑った、その時だった。

 突如として、校舎に明かりがともった。

 裏庭に面した通用口が、音もなく開かれる。

 そして、濃い闇の中を静かに声が突き抜けた。


「お待たせした、王よ。アヴァロンへの案内、このボクが引き受けよう」


 女の声だ。

 しかも、若くて通りがよく、言葉の歯切れもいい。

 ぼんやりとした明かりの中に、奇妙な女が立っていた。

 よく神社で見る、紅白の巫女装束みこしょうぞくを着込んでいる。そして顔には、きつねのお面を被っていた。その存在自体が既に、ミステリーでサスペンスだった。

 だが、不思議とセツヤは怖くはなかった。

 そして、騎士がガシャリと前に出る。


貴公きこうがゲートキーパーか」

「そう呼ぶ者もいるが、名など大したことではないよ。さ、こちらへ」

「助かる。……確か、対価が必要だとマーリンが」

「うんうん。ここは神域しんいき、ありとあらゆる『あちら』と『こちら』が繋がる場所。ゆえに、その接続を安定化させるためには供物くもつが必要なのさ」


 その言葉に、男は迷わず右手の剣を突き出した。


「では、これを。これなるは聖剣、妖精たちがきたえし――」

「ん、そっちはまずい。それは湖の妖精に返還されたことになっているからね」


 狐貌こぼうの巫女は、うーむと腕組み考えこんでからうなずいた。


「そっちの槍をもらおうかな。叛逆はんぎゃくした息子を刺し貫いた槍……持っていて気持ちのいいものでもないだろうしね」


 そう言って、謎の女は槍を受け取った。

 日本で戦国武将が持つようなものじゃない、異様に長く円錐状えんすいじょうになった槍……確か、馬上で使うランスとかいうやつだ。西洋の騎士を象徴するような一撃必殺の武器である。

 素人しろうとのセツヤにも、それが業物わざもの逸品いっぴんに見えた。

 同時に、白銀に輝くその穂先ほさきが泣いていた。

 まだ、赤い血がポタポタと滴っているのだ。


「では王よ、行くとしよう。……その前に、少年!」


 不意に呼ばれて、セツヤははたと我に返った。

 自分を指させば、狐のお面がうんうんと頷く。


「少年、キミみたいな人間がたまに出るから……まあ、率直に言って、その、なんだね。実に困る」

「は、はあ」

「この世界の人間には秘密にしよう、そうしよう、って話になってるんだけどさ。うーん、どうしよう。……消しちゃおうか」


 一瞬、ぞわりと背筋を悪寒おかん擦過さっかした。

 それで慌てて、セツヤは身構えつつ一歩下がる。

 だが、すぐに殺気は消え去った。

 そう、殺気としか思えぬ気配が全身に浴びせられたのだった。


「冗談だよ、冗談。神域を血でけがすと、あれだね、ボクも怒られちゃうんだ。だから、他言無用でいいね? 吹聴ふいちょうするようなら、少しおきゅうをすえる。それも楽しそうだけど、そうならないことを祈るよん?」


 それだけ言うと、女は騎士の男を連れて扉の向こうへと消えた。

 同時に、校舎に灯った明かりもふっと消える。

 慌ててセツヤは立ち上がると、通用口のドアへと駆け寄った。


「ま、待ってくれ! 教科書を……じゃない、あんた誰なんだ! そのオッサンは!」


 だが、ドアは既に施錠せじょうされていた。

 そして、誰もいなくなった……これぞまさしく、狐につままれたような話である。

 信じられないが、セツヤの目の前をどこかの騎士が通り抜けていった。この学校を経由して、どうやらアヴァロンとかいう場所に行くらしい。

 そして、行ってしまった。

 春の夜に静寂が広がる中、セツヤはしばらく呆然ぼうぜんと立ち尽くすことになるのだった。

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