第7話「Between 無邪気 To 無関心」

 中等教育では、本格的な団体行動を学ぶ。

 全員が同じ制服を着て、多くの校則を守って暮らすのだ。

 そんな日々が始まって、セツヤは勿論窮屈な思いをしていた。

 そしてそれは、今まで一緒に遊んでいた多くの仲間たちを塗り替えてしまった。中学に上がるなり、誰もが塾だ習い事だと忙しくなったのだ。そうでない友人も多くが、勉強を優先するようになった。

 これが中学生かと思うと、少し息が詰まる。

 ようやく授業が終わった放課後、掃除の時間までも今までとは違った。


「っし、今日の俺様は、あっ、宮本武蔵ぃ! みんな、どっからでもかかってきな!」


 掃除中の教室で、ほうきとチリトリを手に見栄を切る。

 だが、いつものノリで襲い掛かってくる友人の姿はいない。今までそうだったものは、さっさと掃除を終わらせようと真面目に働いていた。

 いつもの「よっ、セツヤ! 日本一!」などという、浮かれた声もない。

 それどころか、ちょっと白けた冷たい視線が浴びせられた。

 終いには、一番の遊び友達だった人間が眉根を吊り上げ詰め寄ってくる。


「ちょっと、セツヤ! ちゃんと掃除しなって! みんな忙しいんだし、さっさと終わらせないと」


 キリカはあいかわらず、腰に手を当てプンスコと怒っている。

 一番変わってしまったのは、キリカだ。他の友達は皆、休み時間の談笑やふざけ合いには応じてくれる。だが、キリカは突然ガリ勉少女に変わってしまったのだ。

 そこには、以前にも増して口うるさい学級委員長が立っている。

 そう、今日のホームルームで正式に彼女は委員長になったのだ。


「……なーんか、ノリが悪いんだよなあ」

「もう中学生なんだよ? ちゃんとしてよ、セツヤ」

「ちゃんと、って?」

「すぐに中間テストもあるし、勉強のレベルだって高くなってる。遊んでる暇なんてないよ? セツヤっていつも、やればできるんだから」

「なんだそりゃ。やらなくてもできる、ってのが、いい、なあ、っと!」


 ポン、と軽くほうきでキリカの頭を叩く。

 叩くというよりは撫でるような一撃だったが、僅かに埃が宙に舞った。

 咄嗟にキリカは手で髪の埃を払いつつ、もう片方の手に握ったモップを振り上げた。


「やったわね、セツヤッ!」

「おっ、佐々木小次郎のおでましだなっ! 小次郎破れたり、ええと……確か鞘を」

「うっさいバカ!」

「うわっと!? へへ、やっとキリカらしくなってきたじゃねえか」


 ブンブンとモップの切っ先が振るわれる。

 その太刀筋をギリギリで避けつつ、避けきれぬ斬撃をチリトリで受け止める。

 乱痴気騒ぎに加わってこそこないが、クラスメイトたちから歓声が上がった。


「おいおい、またかよー! しょうがねえな、セツヤは」

「いいぞー、やっちゃえ委員長! セツヤも負けんなー!」

「つーか、夫婦喧嘩ならよそでやれよなあ」

「それな! ってか、二人に聞こえたら怖いことになるって」

「あーでも、懐かしー! ちょっと前までこうだったよな、俺ら」


 女子も黄色い声援を送ってくれるし、別の小学校から上がってきた連中も輪に加わった。

 なんだか、セツヤの好きないつもの空気が戻ってきた気がする。

 だが、はたと自分のふるまいに気付いたキリカが立ち止まる。


「……フン、バッカみたい! ほら、終わり終わり! セツヤも掃除に戻って」

「え? いやいや、これからだろー? かかって来いよ、佐々木小次郎!」

「そういうガキっぽいの、卒業だってば。ほら、みんなも手が止まってるよ!」


 やはり、ノリが悪い。

 だが、周囲も思い出したように掃除へ戻っていった。

 戻ってきたかに思われた昔の活況は、泡のように消えてしまう。

 ふむ、と唸ってセツヤも掃除する振りに逃げ込むのだった。

 なんだか寂しいような、ちょっと居心地が悪いような。

 しかし、今の気持ちを言葉にすることができないし、なんという心境なのかも知らない。無邪気な子供ではいられないという現実だけが、僅かにセツヤを消沈させた。

 どこか落ち着いた声が響いたのは、そんな時だった。


「では、わたしはゴミを捨てに行ってきますね。よっ、ととと」


 カナミが両手に大きなゴミ袋を持って、少しよろけた。

 穏やかな笑みが今、不思議と楽しげに口元を緩めている。

 すぐにセツヤは、ほうきとチリトりを片付けるや駆け寄った。


「貸せって、半分持つからさ」

「あっ、セツヤ君」

「なんだよ、ニヤニヤしてさあ。ちょっと俺、滑った気がして恥ずかしいんだよ」


 照れ臭い、ともちょっと違う。

 それに、恥ずかしいともまた異なる気持ちだ。

 ただ、突然周りが変わってしまったので、上手く流れに乗れないような、そんな不安感。そして、なんだか変化に納得もできないでいる、そんな状態だった。

 だが、ゴミを一つ渡してくれたカナミは、改めてよいしょと両手で袋を持ち上げる。

 セツヤは追加のゴミがないことをクラスに確認して、カナミと歩き出した。


「い、いえっ、ニヤニヤだなんて……でも、宮本武蔵が佐々木小次郎と対決した時は、確か二刀流ではなかったかと」

「いや、ちょっと待って。突っ込むところ、そこかよ!」

「試合の待ち合わせ時間にわざと遅れて行き、その船旅の最中に小舟の櫂を削って……しかし、これは後の世にできた創作と言われています! そもそも佐々木小次郎とは」

「いや、知らねーし。でも、知らなかった……んで? 続きはどうなってんだよ、って、カナミ?」


 隣を歩くカナミが、また笑ってる。

 なんだかとても温かくて、そして凄くこそばゆい。

 小さな頃に見上げた、母親の笑みにとても似ていた。


「だから、ニヤニヤすんなって」

「あ、すみません。でも、いいなって」

「なにがだよ、なにが。俺ぁもう、中学生とかいうのには疲れてきたぜ。やってらんないよ、こんなの」

「でも、セツヤ君には沢山のお友達がいます。まだ入学したてで、まだみんな新しい生活に不慣れなだけだと思いますよ? ……わたしには、ずっと友達がいなかったので」


 並んで廊下を歩けば、放課後の空気が声と音とで膨らんでゆく。

 もう既にグラウンドから部活動の掛け声が聴こえるし、微かに音楽室から吹奏楽の調べも届いてくる。誰もが忙しそうで、華やいでて楽しそうだ。

 そんな中を歩くセツヤは、一緒のカナミが寂しげに俯くのを見た。


「中学に上がってすぐ、わたしは心臓の病気で倒れてしまったんです。それからずっと、入院で、都会の病院に転院して……友人たちは皆、もう違う街で違う時間を生きてるんです」

「カナミ……」

「特効薬ができて、お医者様も驚くほどにわたしは回復しました。でも、過ぎてしまった時間は取り戻せません。ただ、違う場所でも追いかけていけるかなと。だからわたし、また学校に通えて嬉しいんです、けど」


 そういえば休み時間に、キリカがカナミを友人たちに紹介していた。

 けど、どこかよそよそしい同世代の中で、カナミはお客様みたいになって緊張していた。当然だ、同じクラスメイトでも年が違う。カナミはお姉さんであることや大人であることを期待されたり、時には求められるような言葉に苦笑していた。

 だから、セツヤは軽く肘でカナミをつつく。


「お前なあ、友達なら俺がいんだろ。他の連中だって悪いはねーし、それこそ不慣れなんだろ? すぐに仲良くなれって」

「そ、そうですね。わたしも打ち解けられるように努力してみますっ!」

「それ! そういうのが駄目なんだよ。硬い硬い、硬過ぎるって。もっと適当でいいと思うぜ? みんなも身構え過ぎなんだよな」


 とりあえず、セツヤも自分の中のもやもやした想いを胸に沈めた。

 少しギクシャクとした学園生活も、次第に収まりのいいものになるだろう。その時は多分、他の友人たちと同様にセツヤも勉強や部活に忙しい日々になるかもしれない。

 そして、きっとカナミもクラスに馴染んで溶け込める筈だと思った。


「まあ、友達作りなら俺に任せろよ! そうだなあ……カナミ、特技!」

「は、はいっ! 読書です!」

「趣味は!」

「読書、ですっ!」

「欲しい物とか、夢とか!」

「今丁度、新しい百科事典が欲しくて……えと、あとは、夢、ですか……うーん」


 なんか、前途多難な気がしてきた。

 周囲には全くいなかったタイプの、とても新鮮で驚きに満ちた少女、それがカナミである。セツヤも真剣に考え始めた、その時だった。

 ふと気付けば、ゴミ捨て場へ向かう途中の教室に妙な明かりが灯っている。

 そう、空き教室で物置同然に使われている教室だ。


「な、なんか光が……なあ、カナミ。あれって」

「昨日の光に似てますね! これはもしかして!」


 そう、またあの光だ。

 教室の奥、清掃用具を入れるロッカーが光っている。

 そして、おもむろにバン! と扉が開かれた。

 そして、意外と言えば意外な、やっぱりかと言えばやっぱりな人物が現れた。


「ッ、またなの!? やっぱりここに戻ってきちゃうじゃない! どういうことなのかしら!」


 そう、リネッタだ。

 彼女は、何故か例の露出が激しい装束の上から白衣を羽織っている。それを脱いで丸めると、リネッタはロッカーの中へと投げ込んだ。

 さらには、徐々に弱くなる光の中へと首を突っ込む。3


「とにかく、いいわね! エルフの秘薬ですもの、ちゃんと飲ませるのよ? 多少は材料が違っても、そっちの世界のアレコレでちゃんと上手くできてるんだから。じゃあね!」


 それだけ言って、バァン! と勢いよくロッカーの扉を閉じる。

 そして振り返ったリネッタは、二人の姿を見て固まった。

 セツヤもまた、瞳を輝かせるカナミと一緒に立ち尽くすしかないのだった。

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