第8話「Between 激怒 To 観念」
エルフの姫君、リネッタとの再会。
セツヤに取れる選択肢は、一つしかなかった。
当然のように保健室を訪れたが、昨日の様に話がトントン拍子に進むことはなかった。
扉を開けるなり、リネッタは怒りの声を張り上げる。
「チギリ、入るわよ! いるわね? いるならいる、そうでないのならすぐ来る! いいかしら!」
不遜で横柄な態度のままで、ずんずかとリネッタが保険室に乱入した。
当然、机に座っていた校医のチリギが振り返る。
椅子を立つ彼女は、ぼさぼさの髪をかきながら微笑んだ。
「あらあら、元気な子ねえ。でも、先生を呼び捨てはいけないわよぉ」
「なにが先生か、このペテン師っ!」
「まあ、先生悲しい……どうしてそんな乱暴なことを言うのぉ?」
「気持ち悪いっ! いいからさっさと、今度こそ! 我を故郷へと帰すのだ! すぐに!」
多分、話が噛み合わない。
やれやれとセツヤが肩を竦めていると、少し遅れてカナミがやってきた。
あいかわらず体力がない様子で、二人分の鞄をひーひー言いながら持ってくる。その片方を受け取り、すぐにセツヤは中へと手を突っ込んだ。
「お、お待たせしました、セツヤ君」
「おう、サンキュな。重かったろ」
「だ、大丈夫、です……ふひい~」
逆にすればよかったとも思ったが、カナミに激昂状態のリネッタを任せるのも心配だ。
「それで、どうです、か? リネッタさんは無事に……あ、あれ? あの方は」
「ああ。どう見てもチギリ先生だよな? 表の方の」
「髪がもっさりしてますね……やはり、普通の優しいチギリ先生のようです」
あわあわと状況が呑み込めないまま、チギリはリネッタに問い詰められて半べそ状態である。それでもリネッタの怒りは収まらず、まさに噛みつかん勢いである。
そんな二人の間に割って入ると、静かにセツヤは手を伸べる。
その手には、例の狐のお面が握られていた。
「ちょっとごめんなさいよ、っと。……どうだ?」
スポン、とチギリにお面を被せた。
多分、セツヤが想像するに……二人のチギリは一つの肉体を共有してて、どういう訳か片方が眠っている時しかもう片方は出てこれないらしい。そして、その二人を隔てているアイテムがこのお面という訳だ。
実際、思った通りに事が運んだ。
突然チギリは身体を硬直させ、長い長い黒髪を四方八方に尖らせた。
そして、どこからともなく風が吹いてストレートになった長髪をなびかせる。
片手でお面を取った表情は、飄々と薄い笑みを湛えていた。
「やあ少年、よくわかったね。そうさ、このお面がいうなればボクの本体だ」
「いや、まあ、とりあえず関係ありそうだなと思って。それより」
「わかってるさ。またリネッタが出戻ってしまったんだろう? まったく、運がいいのか悪いのか」
まるで知っていたかのようにチギリは言葉を並べる。
だが、怒り心頭のリネッタはすぐに食って掛かった。
「チギリッ! また違う場所に飛ばされたわ! どうなってるのよ!」
「それは興味深いねえ。今回はどんな場所だったのかな?」
「ここと似てるわ。ナントカケンキュージョ、って言ってたわね。泣きつかれたから、数日だけ手伝ったけど……人間の薬学って、遅れてるのね」
「まあ、ハイエルフの秘術に比べればそうだろうさ」
リネッタはよほど起こっているのか、尖った耳がピンと立っている。
改めてセツヤは、ちょこちょこ授業中に隠れて読んだ本のことを思い出した。カナミの貸してくれた本によれば、エルフとは森にすむ民で、いわゆる人類とは違う種族……亜人と呼ばれているらしい。
森に棲んでいる。
弓が得意だ。
排他的で、他種族とは交わらない。
そして――
「な、なあ、カナミ。エルフって確か」
「はいっ! 魔法を使います。もしかしたら今、それが見れるかもしれませんねっ!」
「いや、まずいだろ……流石のチギリだって、って、おいおい! マジかよ!」
そう、エルフは魔法に長けた種族だ。
その魔法を今、リネッタは使おうとしているように見えた。
「もう我慢の限界ね! チギリッ!」
「おやおや、キミがなにかを我慢したことがあったかい? わがままで高飛車な、ハイエルフのお姫様。君が時空の放浪者になったのも、もとあと言えば」
「うっさいわね、もぉ、あったまきた! ――炎よ!」
一度飛び退き、リネッタが身構えるなり右手を突き出した。
だが、なにも起こらない。
映画や漫画なら、燃え盛る紅蓮の火球が飛び出しそうなものだが……虚しく保健室を静寂が包むだけだ。ワクワクしながら見守るカナミだけが、真剣に瞳を輝かせていた。
「何故だ、どうしてっ! 炎よ! こらっ、火の精霊! 我に力を貸せっての! いつもみたいに!」
「フフ、あのねえリネッタ」
「うっさい、チギリ! 今すぐ火だるまにしてあげるわ! ……あ、あれ? えっと」
やはり魔法は発動しなかった。
そして、チギリは我慢できないとばかり大笑いを始める。
気の毒になる程の爆笑で、リネッタは目に涙を浮かべてグヌヌと唸った。
「ハハハッ! リネッタ、君は数多の魔法を駆使する偉大な魔法使いかもしれない。けどね……それはキミの世界での話だ。ここはキミの世界とは理が違うんだ」
「し、知ってるわよ! 転移や飛翔の魔法も使えないし、そんなの……知ってたわよ」
「経験や知識は使えても、魔法はキミ自身の力じゃないからね。思うに、世界の元素を司る精霊の力を借りてるんだと思う。今の思念や術式の体系は精霊魔法っぽかったから」
チギリの言ってることが、半分も理解できない。
それでぽかんとしていたのだろう。隣でそっとカナミが耳元に囁いてくれた。
「セツヤ君、精霊っていうのはその世界の火や水、風、土などに宿った自然の象徴です。神秘的な存在で、それぞれが司る力を人間に貸してくれることがあるんです」
「なるほど、それが魔法か。火の精霊に頼めば、炎が出せると」
「恐らく、そういう感じかと。凄いですね……本に書いてある通りで、しかもそれが……セツヤ君、わたしはもう、もう、もぉ!」
「ま、待てカナミ。喋りまくりモードは少し我慢だ」
大きく頷き、カナミは自分の両手で口をおさえる。
そして、セツヤは一歩を踏み出した。
「なあ、チギリ。リネッタがどんな事情で帰れないのか、俺は知らない。けど」
「けど、なんだい? フフ、なにか言いたそうだね、少年」
再びサッと、チギリは狐の面で顔を覆う。
表情の消えた顔に向かって、真っ直ぐにセツヤは言葉を選んだ。
「リネッタが帰りたがってるのはわかるだろう? 故郷に繋がってるゲート、開けてやれよ。あんた、ゲートキーパーとかいう大層な名前なんだから、できるんだろう?」
短い沈黙。
そして、チギリは僅かに面をずらして素顔を覗かせる。
「少年、ゲートキーパーはその名の通り門を守護する者だよ。残念ながら、ゲートを自分で開くことはできないんだ。いつどこに開くかはわかるけど、その先がどんな世界かもわからない」
「じゃ、じゃあ」
「リネッタはもう、一年近く試してみてるんだけどね……悪いけど、どんどんゲートに飛び込んで試してみるしかないよ」
なんてことだろう。
その話を聞いて、リネッタは黙りこくってしまった。
だが、彼女は瞼をゴシゴシと手の甲で拭って、毅然と顔をあげる。
「……わかった。まあ、それが報いってことね」
「因果応報、ということだね。リネッタ、諦めるかい?」
「まさか! チギリ、次のゲートよ。我は、絶対に国に帰らなきゃいけないんだから!」
「わかったよ。とりあえず、コーヒーでもどう? そっちの二人も一緒に。今日もあと一つだけゲートが開く。挑んでみるといい」
「当然! という訳で、セツヤにカナミだったわね。お茶の時間よ、付き合いなさい! 炒った豆の煮汁みたいなものだけど、結構美味しいのよ」
この日、セツヤは生まれて初めてコーヒーの正体を知った。なんとなく、チョコレートの親戚だと思ってたのだが……当たらずとも遠からず、栽培されたコーヒー豆が原料らしい。
勿論、保健室にあるのはインスタントの粉末タイプだ。
けど、ここはリネッタを元気付ける意味でも、カナミと招かれることにする。
「ん? 今、誰かが」
「どうしましたか? セツヤ君」
「いや、誰かが見てたような気が……いや、なんでもない」
ふと視線を感じた気がしたが、振り返っても扉は閉まっている。
そして、チギリがその先を、向こうを見るように目を細めているのだった。
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