第9話「BE TO IN THE FANTASY!」

 こんな悠長ゆうちょうなことをしてていいのかと思う程に、マッタリとお茶会をしてしまった。

 もう一人のチギリは、保健室に隠されたおやつを大盤振る舞いしたし、異世界の話でリネッタと盛り上がっていた。

 セツヤやカナミもご相伴しょうばんに預かり、異文化交流を楽しんだのだった。

 意外な事実の発覚や、近くて遠いリネッタの故郷の風景……少し退屈していた中学校生活が、急に活気付いてきた気がしたのだった。


「しっかしなあ……あの格好にそんな意味があったとは」


 腕組み首をひねりつつ、セツヤは校内の廊下を歩く。

 今、四人はチギリを先頭に移動中だ。

 すでに空は茜色カーマインに染まって、ゆっくりと夕日がビル群の向こうへと沈んでゆく。

 隣のカナミも驚いた様子で、いつもの息継ぎナシノンブレスで喋りまくるモードになりつつあった。


「ですねっ、セツヤ君。エルフは精霊たちとの感応のために、大気中のと呼ばれる成分を触媒にしているようです。そして、露出度が高い格好は、少しでも多くのマナを素肌で感じるためらしいですね! これは大発見ですっ!」

「まあ、素っ裸でうろうろする訳にもいかねーだろうしなあ」

「裸になれば、より強いマナをもって精霊たちに呼びかけられる訳ですね!」

「いや、裸にはならねーよ、いくらなんでも」


 そのリネッタだが、チギリの隣で次のゲートについて矢継ぎ早に質問を飛ばしていた。

 だが、チギリは時に真顔で、時にきつねのお面で表情を隠しながらのらりくらりと答える。どうやら本当に、ゲートキーパーはこの場所を守るだけで、ゲート自体に干渉はできないようである。

 チギリは少し得意げに話を続ける。


「そもそも、過去にリネッタのようなビトゥインダーが紛れ込んだ例は複数存在する。そういう人たちは、元の世界では神隠しにあったような扱いになってるのさ」

「じゃ、じゃあ、われの故郷では今頃……いやあ、ないない! 心配なんてされてないって」

「うん、ボクもそう思うよ? それでも帰りたいっていうんだから、面白いよね」

「なにおう! 人を珍獣みたいに!」


 リネッタは意外と気が短い。

 今も握った両の拳を振り回してチギリに食って掛かる。

 だが、悲しいかな華奢な矮躯のリネッタはリーチが短い。

 チギリが無造作に手を伸ばせば、頭を軽く押さえられるだけでパンチが全て空を切った。傍目に見てて面白いが、これでもリネッタは百歳を超えるハイエルフだというから驚く。

 そんな時、歩く廊下の向こう側から下校途中の生徒たちがやってきた。


「あっ、チギリ先生だ。お疲れ様でーす」

「先生さよーならー」

「ってか、なにそのお面! めっちゃかわいいんですけど!」


 女子生徒の一団は、キャイキャイと賑やかに通り過ぎていった。

 チギリも「はいはーい、気をつけて帰るんだよ」などと呑気のんきに手を振っている。

 誰も、水着か下着かという派手な格好のリネッタについて言わなかった。

 まるで見えていないかのようで、セツヤも驚く。

 そして、セツヤが言いたいことを端的にカナミが口にしてくれた。


「あ、あのっ、チギリ先生」

「なんだい? 探求の乙女ちゃん」

「いえ、あの……その、乙女というのは、少し」

「おや、そうかい? 麗しき乙女の香りがするけど、まあセクハラもよくないね。それで?」

「先程の方たちは、リネッタさんが見えていなかったみたいですが」

「いんや? 見えてたよ。見てた。でも、


 意味がわからない。

 まるでとんちだ。

 そう思ったセツヤの心境に先回りして、フフンとチギリは鼻を鳴らす。


「例えば少年、キミは毎日歩いてても道端の石ころを全て記憶してはいないだろう?」

「ん、まあ、そりゃそうだ。犬とか猫とか、お金が落ちてるとかなら」

「それはつまり、キミがそうしたものに興味を持っているからだ。それをキミの無意識が自動的に選別して、興味のあるものだけど意識させている。逆を言えば」

「さっきの女子たちはリネッタに興味がないから、道端の石ころ程度に、グエッ!」


 みぞおちに鋭い肘鉄ひじてつが叩き込まれた。

 痛い、こんな乱暴なお姫様なんて見たことがない。そもそもエルフは非常に物静かで、戦いやいさかいを嫌う種族だとカナミは言っていた。

 絶対に嘘だと思う。

 本に書いてある知識も、偶には間違うということだ。


何故なぜ、我が石ころなどと言われなきゃいけないの! セツヤ、怒るわよ!」

「も、もう怒ってるじゃないかよ」


 つまり、どうやらチギリの仕業らしい。

 元々この狭間中学校はざまちゅうがっこうは、結界によって守られた神域だという。そして、結界の内側では管理者たるチギリにかなりの権限が与えられてるとのことだ。

 人間一人をまるまる認識させずに移動させるなど、朝飯前ということである。


「ただね、最近ちょっと結界の調子が……少年、キミのせいだぞ?」

「えっ? なんで俺なんだよ!」

「ゲートを行き来する者たちの存在を知られたのは、何百年ぶりか……キミという一般人によって認識されることにより、神域自体が持つ神秘性が薄れているんだ」

「……ちょっと、わかりやすく言ってくれ」

「秘密がバレたから、秘密自体のパワーが下がってるってことさ」


 そんなこと言われても、セツヤだって困る。

 それでも、一同はそのまま校内から出てプールへ向かった。体育館の横に併設された屋内型で、春夏秋冬しゅんかしゅうとういつでも水泳競技ができるようになっている。

 先日リネッタを「水泳部の先輩です」などと苦しい嘘でごまかせる程度には、この狭間中学校が誇る目玉施設だった。

 静まり返った場内はひとけがなく、既に水泳部の練習は終わっているようだ。


「さ、ついたよ。リネッタ、次はここにゲートが開く」

「うむ、では短い間だったが、さらばだ!」

「まあ、また戻ってきちゃっても恨まないでおくれよ? ボクにはどうしようもないんだ」

「なに、こちらの世界で覚えた言葉にこういうのもある。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、だ! 我は不屈! 諦めるもんですか!」


 ぴょんと一足飛びに、リネッタが飛び込み台の上に上がる。

 その時、プールの水面がほのかに輝き出した。

 だが、妙な違和感……何度か見たゲートの光だが、今日は少し弱く感じる。セツヤはそれで、リネッタの隣の飛び込み台に駆け上がった。

 見下ろせば、やはり違和感がある。

 プール全体が光っている訳ではないのだ。

 プールの右半分……それも、半円を描くように輝いている。


「なあ、リネッタ! 妙だぞ、このゲート」

「なによ、虎穴こけつに入らずんば虎子こじを得ず! これもセツヤの世界の言葉よね!」

「いや、知らないけど」

「はぁ? あんた、ちゃんと勉強しなさいよ。虎の子供でバターを作るなら、虎の巣穴に入らなきゃ駄目って話じゃない」

「そ、そうなのか?」


 チラリと見れば、カナミが微妙な顔でくちびる一文字いちもんじに結んでいる。

 どうやら、トンチキな解釈は全てが間違ってはいないらしい。

 あと、リネッタの国にもバターがあるということを、セツヤは初めて知った。


「じゃあね、セツヤ。カナミも、ついでにチギリも。はあ、とんだ大冒険だったわ……それっ!」


 トントンとその場で少しはねてから、競泳選手のようにリネッタはプールへと飛び込んだ。だが、ゲートの光に変化はない。

 ブクブクと小さな泡が浮かんでは消え、そして尽きる。

 同時に、お姫様が絶対にしてはいけないような顔でリネッタが浮かんできた。


「ちょっと、なによ! 今回はゲートですらないじゃない! ああもう、ずぶ濡れだわ!」

「おやおや、困ったね。さて、どういうことかな?」

「チギリッ! それはこっちの台詞せりふ!」

「うーん、確かにこの場にゲートが出ることは明らかなんだけど」


 その時、悲鳴があがった。

 読書好きのカナミに言わせれば、これぞまさに「きぬを裂くような女の悲鳴」である。

 しかも、それが同世代の少女のものだとセツヤにはすぐわかった。

 そして振り返れば、プールの横……泳ぐ前に身体を消毒する場所が光っていた。


「そ、そうか! あっちがゲートで、プールの光はそこから漏れ出てる分だ」

「つまり、セツヤ君っ! あの洗体槽せんたいそうが本命で……た、確かに洗体槽を中心に同心円状に光が広がってます!」


 ああ、あの小さな階段を登ったり降りたりする消毒の場所、洗体槽っていうのか。また一つ知識が増えたセツヤだったが、さらに目を凝らして驚愕きょうがくする。

 そこには、一人の女の子が溺れている。

 ありえない話だが、腰ほどまでしか深さのない場所で再度悲鳴が響いた。

 そしてそれは、セツヤがよく知る女子だった。


「なっ……! おまっ、なにやってんだよ!」

「た、助けて! 脚が……嘘っ、なにこれどうなってんのよ!」


 学級委員長にして幼馴染おさななじみの腐れ縁、峯沢ミネサワキリカが溺れていた。

 そして、ゲートの光はいよいよ強くなってゆく。

 真っ先に行動したのは、プールから這い上がったリネッタだった。猛ダッシュで駆け付け、キリカに手を伸べる。


「早く出なさいよ! そのゲートは我が使うんだから!」

「えっ、なに? 水泳部? じゃない!? なんなの、変質者!?」

「失礼ね! いいから早く手を!」


 迷わずセツヤも走った。

 考える余地はなかったし、考えるまでもなかった。

 そしてそれは、すぐ後ろに続いてくれたカナミも一緒のようだった。


「急ぎましょう、セツヤ君! キリカさんが……あのままでは、キリカさんは見知らぬ世界へと飛ばされてしまいます!」

「ああ! 急いで引っ張り上げるぞ!」


 だが、無情にもゲートの光は膨らみながら強さを増してゆく。風をはらんで空気が逆巻き、いよいよ輝きが臨界点に達した、その時だった。

 駆け寄り手を伸べたセツヤが、ふわりと浮かび上がるような感触に包まれる。

 身体が溶けて解けるような感覚の中……手を握ってくれたカナミのひんやりとした肌、その柔らかさだけがはっきりと伝わってくるのだった。

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