第6話「Between 憂鬱 To 不可思議」

 翌朝、セツヤはまんじりともせず登校時間を迎えていた。

 その手に今、きつねのお面がある。

 先日、チギリとかいう謎の女が忘れていったものだ。正確には、校医のチギリの中にいる、もう一人のチギリとでもいう存在……自らゲートキーパーを名乗る、不思議な女性の所有物である。


「ま、あとで返しときゃいいか。それより」


 セツヤは周囲も気にせず、お面を後頭部に被った。

 同じ制服で同じ方向に、多彩な表情が流れてゆく。

 改めて自分が中学生になったんだと、セツヤは思い知らされていた。教科書や教材でかばんはズッシリ重いし、小学校の浮かれたような毎日が全然感じられない。

 遊び気分どころか、遊び心もない一日の始まり。

 なんだか憂鬱ゆううつだが、これが義務教育なのだから仕方がない。


「それよか、エルフ、アヴァロン、アーサー王……神域しんいき。訳がわかんねえぜ」


 ひとりごちて進めば、不思議と足取りが重くなる。

 周りには仲間と笑ってる学生、走ってる学生や携帯電話をいじってる学生で活気だけはある。そんな子供たちの列が、丘の上の狭間中学校はざまちゅうがっこうへと続いているのだ。

 なんだかちょっと、セツヤは馴染なじめそうもないなと思った。

 昨夜、一人でネットで調べてみても、正直チンプンカンプンだった。エルフはゲームにも時々出てくるからわかるが、あれは架空の物語に登場するキャラクターである。ドラゴンや魔法使いと同様に、実在しないはずだ。

 だが、エルフの王女リネッタは確かにいた。

 光から出てきて、次の光へと旅立っていったのだ。


「『あちら側』も『こちら側』も、無限にある……それらを繋げるのが、学校? いやいや、ちょっと待て……って、ん?」


 不意に背後で、名前を呼ばれた気がした。

 それで振り向くと、長身の少女が手を振りかけよってくる。

 ショートカットに眼鏡めがね、そして顔半分を隠すような長い前髪はカナミだ。

 彼女は通学用の鞄の他に、大きな手提げ袋を持っていた。


「おはようございます、セツヤ君っ。はぁ、はぁ、ふうー」

「おう、おはよ。なんだ? どうしたよ、カナミ。その大荷物」

「ちょ、ちょっと待ってください。まだ、呼吸が、ひー、ふー……運動不足、ですね」


 カナミは前屈みになりながら、上下する胸に手を当て呼吸を整える。

 そして、ゆっくり身を起こすとにこやかに微笑ほほえんだ。その表情を見上げて、自然とセツヤもゆるい笑みが浮かぶ。


「貸せよ。荷物、持ってやるからさ」

「あっ、ありがとうございます! これはですね、セツヤ君に読んでもらおうと思って」

「俺に? って、うわなんだお前、全部本じゃないかよ!」


 手提げ袋の中身は、全部が全部まるっと本だらけだった。

 文庫本サイズのものかから、辞書みたいな分厚いものまである。

 そのことを言われて、さらにカナミは笑顔を輝かせた。


「アヴァロンに関する本を全部持ってきました! あと、エルフのことについても調べてみると面白いですよ? そうそう、この本なんかが」

「ま、待て! ここで広げるな! わかった、わかったから!」

「わたしも驚きました……エルフは架空の存在だと思われていましたが、実在したんですね。彼女たちは非常に長寿で、先日のリネッタさんも見た目は同世代ですが本当は」

「待てってば! はあ、お前さあ……ちょっと前のめり過ぎ」

「あっ……わたし、また……す、すみません、セツヤ君」

「怒っちゃいねーよ。でもなあ、俺ってあんまし本は読まないんだよ」

「……マンガ本もありますよ?」

「マジ?」

「はいっ、マジです!」


 クイッと眼鏡のブリッジを指で押し上げ、妙に生真面目きまじめにカナミが表情を引き締める。

 なんだかおかしくて、セツヤの憂鬱な気分が吹き飛んだ。

 どうやらカナミは、わざわざセツヤのために色々と資料を集めてきてくれたようだった。そのことが嬉しくて、ちょっとこそばゆい。

 聞き慣れた声が響いたのは、そんな時だった。


「ちょっと、セツヤ? なにしてんのよ! ……な、なんでその子と、一緒なのよ」


 その子、と言われてカナミは自分を指差し首をかしげた。

 そんな彼女と振り向くと……通学路のド真ん中に腕組み仁王立ちの冷たい視線。

 何故なぜか不機嫌そうな顔で、キリカがセツヤたちを睨んでいた。

 ちょっと周囲も脚を止めて、なにごとかと遠巻きに見守っている。

 だが、キリカはポニーテールをひるがえしながら、気にした様子もなく詰め寄ってきた。


「朝からなに騒いでるのさ、セツヤ。それに……なに? 年上好きなの? やらしいんだから、このスケベ! 渡良瀬ワタラセさんも気をつけなきゃ駄目だよ?」

「おう、ちょっと待てぇ! おいおいキリカ、俺ぁなにも……年上?」

「知らないの? 渡良瀬さん、病気でずっと入院してたの。二年以上ね」


 思わずセツヤは、ちらりとカナミを見やる。

 呆気あっけに取られていたカナミは、ふと思い出したようにブンブンと首を縦に振った。

 そして、またしてもズガガガガ! とマシンガンのように喋り出す。


「そう! そうなんです峯沢ミネサワさんっ。あっ、わたしのことはカナミって呼んでくださいね。同級生なんですし。それで、ようやく病気が治ったので学校に通えるようになったんです。セツヤ君とは意気投合してしまって! あっ、峯沢さんもご本とか読まれますか?」

「ちょ、ちょっと待って、いっぺんに喋らないで」

「あ、ごめんなさい……わたし、また」

「まあでも、よかったじゃん? 学校、これるようになってさ。いいわ、あとであたしの友達にも紹介したげる。ほら、行こ? 遅刻しちゃう」


 気圧けおされたのも一瞬で、キリカはすぐにいつもの自信過剰な態度を取り戻した。

 昔からキリカは、面倒見がよくて世話焼きで、ようするにお姉さんづらしたがる奴なのだ。セツヤにも口うるさいが、大人へ悪戯いたずらをする時は一番の知能犯だ。

 毎日一緒に、裏山や街の路地裏を走り回っていた。

 そんなキリカが今は、まるで別人に見える。


「セツヤもほら、行くってば」

「お、おうっ」

「ちゃんと予習復習してきたんでしょうね?」

「そういうのはいいって、なんだよお前。カナミよりお前の方がよっぽど年上面してるぜ」

「う、うるさいわね! セツヤはだらしないんだから、少しうるさいくらいが丁度いいの!」


 クスクスとカナミが笑っている。

 なるほど、自分より少しだけ大人びて見えた理由がセツヤにはわかった。

 実際に年上なのだ。

 多分、14か15くらいだろう。

 それでホッとしたことも一つある。


「へへ、でもよかったぜ。カナミの方が背が高いからさ、なんか負けたーって勝手に思ってたんだよ。でも、年上ならしょうがないよな!」

「あんたねえ……カナミ、バカが伝染うつるから気をつけなよ?」

「い、いえっ。でも、そういうのは男の子には大問題ですから」


 そう、難しい言葉を使えば……沽券こけんに関わる。

 意味は知らないが、ようするに『めっちゃゆずれないこと』なのだ。

 セツヤは特別身長が小さい方ではないが、やはり女子より目線が低いと落ち着かない。でも、見上げるカナミの横顔は嫌いじゃないし、理由がわかってスッキリしたのだった。


「俺がカナミと同じ年まで追いつけば、きっと身長も追い越すぜ!」

「あんたバカなの? その時、カナミも年を取ってるでしょ。追いつかない、追いつけないってば」

「うるさいなあ。お前だって寸胴ずんどうでチビなの、そろそろどうにかしろよな」

「……言ったわね。気にしてる、ことを……このエロガキ、寸胴って……」


 やばい。

 朝から地雷を踏んだみたいだ。

 しかし、どうしても並ばれると比べてしまう。

 見慣れたキリカの姿は、どう見てもまだまだ制服に着られてる雰囲気の子供だ。自分だってそうだが、カナミは少し違う。

 よく見ればスタイルもよくて、本当にお姉さんという感じだった。

 そのカナミが、あわあわと顔を赤くしながら口をもごつかせる。


「おっ、おお、お二人共喧嘩けんかは駄目ですよぉ。それに、セツヤ君はまだまだこれから伸びるかと。きっと成長期は今後も続くでしょうし」

「お、そうなのか?」

「はい。入院中に病院の図書室で色々な本を読みました。あっ! じゃあ次は健康関連の本を――」

「い、いやっ! いい! もう本はいい! ……まあ、ちょっとは読んでみるけどさ」


 何故なぜか、キリカが不機嫌そうにむくれていた。

 そして、セツヤの視線に気付くと「ふんっ!」と目をそらしてしまう。

 もう、なにがなにやらさっぱりわからない。

 けど、年上と言われてもカナミへの態度を変えるつもりはない。

 同じクラスの仲間で、ちょっと変な奴だけどとっくに友達だった。


「ところでセツヤ、なぁに? あんた、そのお面……お祭り気分なの?」

「ん? ああ、これなあ。ちょっとした忘れ物みたいなもんでさ、届けようかなって」

「ふーん、いいとこあるじゃん。落とし主は?」

「学校の人、かな」


 改めてセツヤは、狐のお面を手にする。

 お祭りの屋台で売ってそうな、ごくごく普通のお面だ。

 だが、それをふと顔に当てて見て、驚きに絶句する。

 お面を通して見た先、道の向こうに……狭間中学校の校舎が異様な空気を湛えていた。目に見えるオーラというか、まるでオーロラのような七色の光がほんのりと敷地全体を囲んでいる。

 ――結界。

 ふと、そんな言葉が脳裏を過ぎった。

 これはまるで漫画やゲーム、おとぎ話の世界だ。


「はっ! っ、はあ……気のせい、か? でも」


 お面を外して改めて見ると、生徒たちを吸い込む校舎は普通だ。よく晴れた日の朝に、予鈴のチャイムを響かせている。

 それでセツヤは、お面を鞄にしまうと走り出した。

 キリカが急ぐように言ってきたが、カナミに合わせて心持ち足取りを緩めて横に並ぶ。息せき切って全力疾走でとろとろ走るカナミは、額に汗する表情もまた眩しく見えるのだった。

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