第15話「Between 男 To 女」

 渡辺綱ワタナベノツナ茨木童子いばらぎどうじおぼしき鬼の腕を切り落とした逸話……その後半はこうだ。

 茨木童子は、自分の腕を取り戻すために綱の伯母おぼに化けて屋敷を訪れる。茨木童子の襲来を警戒していた綱も、屋敷に入れておくれと泣く家族には逆らえず……門を開いたところ、まんまと腕を取り返されてしまうという結末である。

 だが、今の平安時代でそれを再現させる訳にはいかない。


「まあ、俺たちの時代とは繋がってなくても、見過ごせないよな」


 今、セツヤは暗闇の中で身を伏せている。

 場所は昼間に訪れた寺で、庭園のそこかしこに武装した侍がひそんでいた。寺自体が安倍晴明アベノセイメイを名乗るリネッタによって、魔法の力で守られている。陰陽術おんみょうじつということにしてあるが、この時代のことわりに合わせてアレンジした魔法のようなものだ。

 今宵こよい、恐らく茨木童子に乗るリッタが腕を取り返しにくる。

 それを大軍で迎え撃つ作戦だ。


「なあ、カナミ。本当にこれ、俺たちの時代とは関係が……お、おいっ、カナミッ!」


 大樹の影に隠れて、セツヤは背後を振り返る。

 そこには、身を寄せるようにしてカナミが居眠りをしていた。

 さっきまで起きてたのだが、やはり慣れぬことの連続で疲れているのかもしれない。大きな病気が治って、ようやく数年ぶりに退院したばかりなのだ。顔見知りのクラスメイトもおらず、周りは年下ばかり。そして、ゲートに関わる異変でタイムスリップだ。

 だが、カナミの知識にセツヤは何度も助けられたのである。


「おーい、カナミ。起きろって」

「むにゃ……ふ、ふふふふ……これでソロモン王の指輪は、わたしが……うふふふふ」

「おいおい、なんだ? どういう夢見てるんだよ」


 なんどか揺すってみたが、カナミが起きる気配はない。

 互いに背中を合わせるようにして座っているのだが、カナミはセツヤの背にもたれかかるようにして眠りこけていた。

 そんな彼女の言葉を、今も思い出してしまう。

 

 過去を改変することで未来が変わる、現代の状況も変わってくるというのは、これは今は否定される文脈らしい。つまり……過去が変わると、未来が二つになる。今までの未来と、改変された未来の二種類が生まれ、それらは別個にそれぞれ続くのだ。

 ここで鬼から平安京を守っても、セツヤたちには関係のないことだ。

 だからといって、見過ごす訳にもいかない。

 そう思っていると、耳元にそっと静かな声が吹き込まれた。


「ふふふ、よく眠ってますわね……ああ、どうかそのままで。起こさなくてもよくてよ」


 いつのまにはそばに、綱が屈んでいた。

 いつ接近されたのか、気配がまるで感じられなかった。流石さすがはこの時代でも随一の武人である。

 そういえば、史実では渡辺綱は男性のはずだ。

 そして、そのことを綱自身は先程カナミから聞かされたという。

 綱は静かにカナミの寝顔を見やり、僅かにほおを緩める。


「こんな大戦おおいくさの前に眠れるなんて、とても豪胆な娘ですわ」

「いや、疲れてるだけじゃないかなーって」

「カナミさんには助けられました。わたくしが鬼の腕を切り飛ばしたあと、物語での顛末を知るというのは大事なことですの」

「……でも、ちょっとずつ食い違ってますけどね、今のこの時代」

「例えば……わたくしが女であることとかがそうですわね」


 ゲートの力は、単なる瞬間移動テレポーテーション時間移動タイムトラベルだけではないようだ。

 何故なぜなら、この平安時代はカナミが本で読んだ史実や伝承とは違っている。

 その理由や謎も、今のセツヤにとっては知りたいことの一つだった。

 それに、なんとなく思うのだ。

 あのチギリが今もどこかで、ニヤニヤしながら見てるような気がする。

 妙な期待を込めて、セツヤがどう選択して動くかを楽しんでると思うのだ。

 そしてもう一つ……キリカを探して全員で戻るためには、ここで源氏の侍たちに協力しておくことは決して遠回りじゃない。セツヤはセツヤなりに、ようやく日常生活に戻れたカナミを絶対に帰してやると誓っているのだった。


「そういえば、ええと、お綱さん」

「あい。なんでしょうか、セツヤさん」

「その……なんでお綱さんは、女だてらに侍を? 俺、詳しくないんですけど侍の時代って」

「ええ。わたくしの父上もずっと、お前が男であれば、とおっしゃってましたわ」

「……大変じゃないですか? 周りはみんな男ばかりだし」


 意外な言葉に、綱はわずかに目を丸くした。

 そんな表情もまた、行方不明のキリカによく似ている。

 だが、すぐに綱は優美な笑みを浮かべるのだった。


「わたくしがいるから、男ばかりではなくなるのですわ。紅一点こういってん、というのも悪くありませんの。それに……」

「それに?」

「女が女らしく生きるためにも、男の世界に切り込んでゆくことは必要でしてよ?」

「ああ、なるほど」


 ひそやかな綱の言葉には、強い意思が感じられた。

 セツヤは詳しくはないが、この時代は女性の社会進出などほとんどなかった筈である。家庭のなかにあって家族を守る、そういう立ち位置が女性の全てだったのだ。

 だが、綱は腰に剣を帯びて男たちと共に戦っている。

 みやこと民を守るため、そして……自分と同じ多くの女性のために。

 源氏でも一番の少女剣士は、鬼を斬り裂き、時代へも切り込んでゆく。


「それに、頼光ライコウ様はこんなわたくしを信用してくださいます。そのあかしが、これですわ」


 綱は誇らしげに、腰の刀に触れる。

 きらびやかなさやに収められた、長く反りの強い太刀である。

 セツヤにも、それが貴重な業物わざものであると知れた。


「これなるは、名刀髭切ひげきりですわ」

「髭切……え? 髭を切る、で髭切?」

「ええ。昔、これで罪人の首をねた際に、その者の髭まで綺麗に切れたという逸話がありますの。それ以来、源氏の宝刀にして棟梁とうりょうの証として大切にされてますわ」

「じゃあ、本当は」

「ええ。頼光様が腰に帯びるべきもの……それを頼光様は、このわたくしに貸し与えたのです。この意味が……ふふ、わかりまして?」


 なんとなく、わかる。

 そしてそれは、綱から言わせれば勘違いを通り越して無礼千万ぶれいせんばんな答だった。

 平安時代や武家社会に詳しいカナミなら、そうは言わなかっただろう。

 けど、セツヤにはそれしか考えられなかったし、そう感じるのだ。


「お綱さん、信頼されてるんだよ。そ、それに……きっと、頼光さんはお綱さんのこと、大事に想ってるんじゃないかな。あ、あれだよ、その」

「まあ! それは流石に……無礼が過ぎますわ」

「す、すみません。でも」

「聞かなかったことにしますの。これは、女であるわたくしに権威をもたせて立場を補強する、そういう刀でしてよ」

「は、はい」

「でも、確かに聞きましたわ……そう、だったら……ふふ、いいですわね」


 そこにはもう、鬼をも斬り捨てる豪傑の姿はなかった。

 闇夜に月明かりだけが照らす中、僅かに綱が頬を赤らめる。

 だが、それも一瞬のことだった。

 不意に彼女は、真剣な表情で空を見上げる。

 ざわわ、と木々の葉が風に歌って、そして……空気がしんと張り詰めた。


「――来ましたわね」

「えっ? ど、どこに」

「門は開けてありますわ……足音は一人」

「な、なにも聴こえないですけど」

「これは……女が、一人? 昨夜の者ですわね」


 そっと気配を殺しつつ、セツヤは境内を見渡す。

 そこに、雑に着物を羽織はおった女性の姿があった。

 間違いない、昨夜襲ってきた茨木童子……その操縦者であるリッタだ。

 彼女は安置されたロボットの腕を見つけて、周囲に気を配る。

 その時にはもう、ガシャガシャと武具を鳴らして侍たちは飛び出していた。篝火かがりびかれ、炎が夜空を焦がす。あっという間にリッタを、鎧武者よろいむしゃたちが包囲した。

 綱も物陰を出たので、セツヤも追いかけようとする。

 だが、大きく動いたせいで、寄りかかっていたカナミを起こしてしまった。


「んあ? 指輪が……魔神が、あれれぇ? ……あ、セツヤ君。わたし、もしかして」

「ああ、爆睡してたぜ。そして、お客さんみたいだ」

「あれは……あっ! 昨夜の!」

「目が覚めたか、行くぞっ!」


 わたわたと立ち上がるや、カナミがよろける。それを支えて押し戻しながらも、セツヤは走り出した。すぐに追ってくる気配がして、背後のカナミが妙に頼もしい。

 カナミはこの時代では、歴史を知る重要なポジションである。

 リネッタもまた、術を行使すべく寺の本堂に籠もっていた。

 セツヤは改めて、自分に問う。

 俺にはなにができるのか?

 やりたいことは決まっているのだから、それを自分で探して自分でみつける。なければ自分で作ってみるつもりだ。

 みんなで帰るために、今は鬼を倒す。

 無数の明かりに照らされたリッタへと、綱の声が鋭く刺さった。


「そこまでですわ! 観念なさい、茨木童子!」


 抜刀と同時に、ゆっくり綱が歩み寄る。

 だが、リッタは着物を脱ぎ捨てるや余裕の笑みだ。


「腕を……愛機の腕を、返してもらう!」

「あら、嫌だといったらどうしますの?」

「力ずくで、ということになるだろう。不本意だよ……守るべき地球人類を、それも絶滅危惧民族の純血日本人を攻撃しなければならないなんてさ」


 多勢に無勢という孤立の中でも、リッタは全く動揺していない。

 そして、彼女は手首の端末を操作して手を振り上げる。

 頭上で、狐月が不意に消えた。

 月をむ鬼の双眸が、真っ赤に燃えて浮かび上がる。

 甲高い駆動音を響かせ、巨大な青いロボットが境内へと舞い降りたのだった。

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