第22話「Between 戦争 To 融和」

 白銀に輝く、それはまるで降りてきたお月さま。

 玉藻前の正体は、九本の尾を持つ純白の狐だった。その体毛が、夜の風に草原のようになびく。言われるままにセツヤは、その背に飛び乗った。

 周囲では、兵士たちの声が恐怖に凍って響いた。


「ひ、ひっ! どうしてここにノインシュヴァンツが!?」

「くっ、やっぱり戦いのない場所なんてないじゃないか!」

「とにかく、撃て! 撃てっ!」


 光が走って、少し遅れて空気が震える。

 闇夜を切り裂く粒子の弾丸が、何発もセツヤを襲った。

 しかし、それを知覚した時にはもう、その全てが置き去りに遠ざかる。

 玉藻前はまるで風に乗るように、風そのものとなって馳せた。

 音も光も、その翔ぶような疾駆には追いつけない。


「凄い……って、ノインシュヴァンツ? ああ、確かに尻尾が九本」

「ああ、うん。ま、そういう偶然の一致もあるよね。ボクは気にしないけど」

「……本当に、偶然?」

「ふふ、さてね。星の海を住処とするような遠い未来まで、ボクが生きてる保証もないし。そもそも、ボクが人間なんかを相手に戦ったりはしないよ。面倒くさいもの」


 その言葉には、不思議と嘘が感じられない。

 だが、不安がないかといえば、それが嘘だった。

 セツヤは今、現代を飛び出て過去にいる。そしてそこには、セツヤより遥か未来の人間も巻き込まれているのだ。時間が交錯するこの世界は、どこにも続いていない新しい可能性になっている。

 でも、無数の未来の一つだからと、中途半端にことを収めるつもりはなかった。


「玉藻さんの娘さんは? その人は……」

「ん? ああ、まださっきの話かい? そうだねえ……あの子は人間に肩入れし過ぎるし、妙に正義感や義理人情が強過ぎる。それが形を変えれば、あるいは」

「そ、それって」

「まあでも、どうだろうね。それより少年っ! 舌を噛むなよ……そーれ、久々の全力全開だ」


 玉藻前はまだまだ加速し、次第に周囲の景色が輪郭を滲ませてゆく。

 あまりの移動速度に、だんだんとセツヤも目を開けていられなくなった。

 それでも、風切る速さの中で必死に前だけを睨む。

 やがて、大勢の声が悲鳴と怒号を撒き散らしているのが聴こえてきた。その時にはもう、月夜に浮かぶ巨大な赤い背中が迫っている。

 あっという間に玉藻前は、紅きO-G……酒呑童子へと追いついてしまった。


「この間はこの大江山で、こてんぱんにやられたからね。源氏の一門、今日は随分頑張ってるみたいだけど」

「玉藻さんっ、あそこに! 一度あそこに降りてください!」

「気楽に言うなあ、っととと? 危ない危ない、ボクは痛いのはごめんさ」


 振り向いた酒呑童子から、苛烈な光がほとばしる。

 伸ばした両手のその指が、五本と五本の光条を撒き散らす。あっという間に夜空が切り裂かれ、玉藻前は大きく身を翻して全ての光線を回避した。

 僅かに触れた尾の一本が、シュッ! と穂先を焦がされる。

 それをちらりと振り向き、露骨に玉藻前は嫌そうな顔をした。

 狐の姿になっても、彼女のことは不思議とセツヤにはよく伝わってきた。


「ああ、毛先が焦げた! やだなーもう。っと、あそこだね初年。なるほど、お仲間さんもぞろぞろ来てる訳だ」

「はいっ! でも、俺は戦わないです!」

「好きにしたらいいさ。そら、揺れるよっ!」


 逆巻く空気を纏って、大気の層を突き抜ける。

 あっという間に玉藻前は武士たちがひしめく中に強行着陸した。

 驚きが刃を向けてくるが、臆せずセツヤは飛び降りる。


「待ってください、この人は敵じゃないです! 源氏の人たちですよね? 剣を収めてください。あと、頼光さんは――」


 瞬間、声と言葉が切り裂かれる。

 頭上に浮かぶ酒呑童子は、地表へ向けて光の雨を降らせてきた。

 そこからほとばしる声は、怯えて叫ぶ女性のものだった。


「鬼と呼ぶなら、鬼になればいい! 次にゲートが開くまで……鬼になってでも、食いつないでやる! 隊長も仲間も、私が守る!」


 リッタの声が悲痛な叫びとなって響く。

 どうやら彼女は、平安時代に溶け込んで生きることを否定したようだ。そして選んだのは、持てる武力を使っての君臨……恐るべき鬼として、恐怖によって全てを得ようというのだ。

 その決断を軽く見ることはできない。

 でも、許してもおけないのがセツヤという男だった。

 そんなセツヤの元に、飛び込むようにして駆け寄ってくる人影がある。


「セツヤ君っ! 無事だったんですね!」

「カナミッ!」

「あと、ええと、この方は」

「ああ、玉藻さんだよ」


 大きな狐に周囲の侍は呆然としているが、カナミは「ああ、なるほど」と奥した様子を見せない。そして、眼鏡をクイと指で上げるや、真剣な表情に身を正した。


「玉藻前……玉藻さん。やはりあなたは」

「うん、まあね。それでどうする? お嬢さん。ボクとしてはあまり関わりたくないし、早く内裏に戻って帝と平和に過ごしたいのだけど」

「でも、玉藻さんはセツヤ君を連れてきてくれました。だからきっと、手を借りられるのではと」

「はは、ボクみたいな女に借りを作るとあとが怖いよ?」

「大丈夫ですっ。セツヤ君と二人で、頑張って返しますから」


 だが、話している間も酒呑童子の攻撃は続く。

 白い尾を引く無数のミサイルが放たれ、それはあたかも炎の矢のように天上を埋め尽くす。

 すかさず飛び出した尼僧姿が、両手をかざして叫んだ。


「カナミ、セツヤ! そういうのはあとよ、あと! 空気を遮断、陰と陽……こういう感じで、おりゃあ!」


 狐のお面と頭巾とが脱げて、金髪が風に翻る。

 そして、夜空に無数の爆発が咲いた。

 リネッタの魔法、もとい陰陽術が周囲を守ってくれたのだ。

 その姿を見て、玉藻前も感心したように頷く。


「やあ、リネッタ。安倍晴明、板についてきたね」

「あったりまえよ! 陰陽術のコツは掴めてきたわ。けど、これじゃ解決にならない。そうでしょ、セツヤッ!」


 その通りだ。

 勝つか負けるかの戦いは必要ない。

 そのことを周囲にもまず、わかってほしかった。

 そして、リッタにも伝わると今は信じたい。

 そんな時、侍たちの中から源氏の中核をなす顔ぶれが現れる。

 頼光は勿論、綱や金時も今日は鎧を着込んでいた。


「頼光さん、お綱さん! 金時さんも!」

「無事だったか、セツヤ。あとは任せてもらおう。鬼を滅するは源氏の務め」

「いや、滅しちゃ駄目です! もう戦わなくていいんです!」

「いざいざっ! 皆の衆! 敵は酒呑童子一人、今こそ我ら――ゲフッ!?」


 総大将である頼光が鬨の声をあげそうになって、そして黙った。

 なんと、綱が横合いから剣の柄で殴ったのだ。


「お、お綱! なにをする、今は目の前の鬼を」

「頼光様、セツヤの話を聞いてくださいまし。きっと、なにか鬼との間であったのですわ。それに、無益な戦いは避けてこそ……頼光様は猪武者ではありませんわよね?」


 頼光は黙ってしまった。

 周囲の侍たちも同様である。

 なにより綱自身が、それっきり口を噤んでしまった。自分でもわかるのだろう……女の立場で源氏の棟梁に意見をする、その意味を噛み締めているようだ。

 それでも、綱の言葉をカナミが拾って繋ぐ。


「そ、そうですっ。皆さんが鬼と呼んでるもの、あれは未来の乗り物です。そこに乗ってるのは、同じ人間なんですから」

「なんと……あのような物を繰り出す鬼使いが、同じ人間とな」

「生まれて育った時代が違っても、人間でしかありませんっ。わたしにはわかります。セツヤ君も玉藻さんも、そう言ってます!」


 その通りだ。

 玉藻前が「いやいや、ボクは言ってないけど」と尾を振るが、まんざらでもない顔をしている。そして、真っ先に豪快な笑い声が響いた。

 前にドスドスと出てきたのは、金時だった。


「棟梁! 我らが棟梁、源頼光! 負けだ、負け! オレたち侍は、戦う相手を間違っちゃいけねえよ。鬼との死合は面白いだろうが、あとで相撲でも取ってよしとするか」


 金時が肩に担いだ巨大なマサカリを下ろした。

 そして、周囲の者たちも弓矢や剣を収める。

 頼光も大きく頷き、この場から戦いの雰囲気が去ろうとしていた。

 ただ、酒呑童子を操るリッタだけが、猛り荒ぶって再び攻撃してくる。


「戦わぬなら、私たちに食料と衣料品だ! それと医者もいる!」

「えっと……リッタさん、俺だ! セツヤだ! そういうのは、脅して取っても続かないよ! あと、リッタさんが思ってるよりずっと、ずーっとこの時代の文明はまだまだなんだ」

「知っているっ! でも、戦いのない場所と騙されて流れ着いた、それは」

「チギリ先生は騙してなんかないと思う! ま、まあ、おちょくったりはしたかもだけど」


 チギリの名に、玉藻前が以外そうな顔をした。

 だが、その時……新たな異変が一同を襲う。

 それは、誰にとっても予想外で制御不能な、奇蹟ともいえるタイミングだった。酒呑童子が浮かぶ空の、さらに上から光が注ぐ。

 その眩しい輝きを、セツヤとカナミ、そしてリネッタはよく知っているのだった。

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