軍医であるジーンは月の裏側にある難民収容所に転属される。その施設では人体実験が行われており、彼は激しい罪の意識に苛まれながらも、それに加担することを余儀なくされるのだった。
後戻りできない恐怖や緊張、覚悟に満ちたヒリヒリする導入から、緊迫に満ちた展開を繰り返し、物語は駆け抜けていきます。
ストーリーや明かされる真相、SF・戦争・アクションといった要素ももちろん楽しみましたが、中でも私が引き付けられたのは登場人物たちの内面でした。
登場する人物たちは、皆何かに押さえつけられ、自分の意思をねじ曲げざるを得なかったり、傷つけられたりしています。
しかし、望まないことを強いられ、苦悩していても、そのことを知るのは本人や近しい人のみです。何かに押さえつけられた人間は、自分もまた誰かの意思をねじ曲げ、傷つけ、押さえつける存在となってしまい得るのです。
そういった視点的なものに加え、登場人物ひとりひとりも本当に丁寧に描かれています。それは一人の人間が同時に抱える相反する感情等の複雑な心理にまで及び、人間の、時に矛盾を抱えた多面性や、儘ならなさや、激しい正負の感情を緻密に描き出します。
それらを手がかりに各登場人物に意識を向けると、どこまでも深く物語に潜ることができるように思いましたし、文字数以上の、膨大なものを受け取らせていただいたように思いました。
「作中に登場した人物たちだけでなく、登場していない名も無きこの物語の世界の住人たちも、きっと色んなものを抱えて生きている」なんて思いも馳せてしまいました。
人物たちに集中できたのは、ストーリーが上質で、物語の舞台設定が読んでいて自然と入ってくる巧みさもあったからだと思います。
行間の取り方等も配慮されていて、重厚な物語なのにとても読みやすかったです。
読み終わった今も、色々なことを考えます。私はこの作品から、今も様々なものを受け取らせていただいているようです。
この物語は死を悼み、弔い、嘆き悲しみ、遺志を継いで前を向く、人間への慈しみと強さ、愛と優しさのお話です。
ある人間が死したとしましょう。
何がしかやり残したこと、それにまつわる遺志があって、事情を深く知る者はその遺志を継承するでしょう。
尊敬の念を抱く者は嗣業するだけの価値も意義も、投げうつべき人生も覚悟もあるかもしれません。
この物語ではほとんどの登場人物がこうして遺志を継ぐ立場にあり、悼み悲しみつつ、傷つきながらも前進してゆきます。ある者は愛をもって、ある者は悔恨をもって、ある者は復讐心をもって。
いうなれば「痛みの継承、相続」ともとれるでしょう。
あるいは「死者が伝えきれなかった想いの探求」とも。
ほとんどの場合、本作の登場人物は両方とも該当します。また多くは大変な労力、人生すらをも賭しています。しかしその試みが成功するのはごくわずか。
かんたんに受け継がれる思いもあります。
恐怖でしたり、怨嗟や、嫌悪、偏見、敵意。
反対に難しいのは、
敬意、思慕、友情、愛——。
前者は立場や境遇、出自がそうさせたもので、個人の意思と無関係に起こり得ます。
後者、思いを次の世代に伝えるのに難しい理由は、それが極めて個人的な感情であるからです。
しかし本作ではある『装置』ともいうべき入念に練られた道具で(詳しい使い方は作中にて)個人が個人の範疇を越え、世代をまたいで愛や思慕を強く強く、伝承することが可能となりました。ただ、ときには一般個人が『装置』を使われた人間との差異や、軋轢にお互い苦しむこともあります。
本作は、そうした『装置』によって浮き彫りにされた、人間とその愛と死の物語です。誰だって死ぬのは嫌です。せめて生きた証を遺したい。存命中は無限にも思える『生』も『死』は瞬時に一刀両断します。その瞬間、誰の顔が目に浮かぶのか。せめて、自分は最期にあのひとを見て幕を閉じたかった――自分が誰かの最期のひととなっているとは露とも知らずに。
☆
「人間の歴史ってやつは、進化と退化を繰り返すもんだがなぁ、それでも、俺はそいつと上手くなんとかやっていきたいんだよなぁ。俺が斃れれば、他の誰かがその意志を、継ぐ。命は引き継がれる。そう信じることでしか、進む道は拓けないからなぁ」
(第66話 「ほどけていくもの」 より)
この物語は「罪」を犯したジーンの物語から始まります。戦争難民収容所、実は「人体実験施設」に赴任したジーンが負う過去はあまりにも重く、善人であるが故に彼の苦悩は計り知れません。罪を犯すのは何も悪人だけではない。それでも、善人たる彼は世間一般からすれば悪人でしかないのです。それでもあまりにも善人である彼の、娘を愛する気持ちに嘘はありません。
犯した罪と罰の重さを読者に問いかける物語でもあります。だからこそジーンの行動に、過去に、目を背けたくなりながらも目を逸らせない自分がいるのです。
ジーンの負うものを見た一部の後で物語は一転して、二部ではジーンの娘であるアイリーンの物語が書かれます。
罪を犯した父を知った娘の苦悩が書かれるのです。
ジーンが真に悪人ではないからこそ首を絞めつけられるような苦しみがありますがそれを真っ向から書いているのです。
一人一人の登場人物を丁寧に描いた作品は頁をめくる手が止まらない程に深く、深く惹き込まれていきます。彼らの人生を、彼女の苦悩を最後まで見届けずにはいられないのです。
どうか、この物語を最後まで見届けて欲しいです。
残酷な思想を持つ人間だけが罪を犯すわけではない。ままならぬ中でそれでも生きようとした人間を愛おしく思う物語です。
これはある意味で、一人の男が背負ったものと向き合い、そして見つめ、考える物語なのかもしれない。
じっとりとした温度がある。ずっとずっと揺蕩っているものがある。
それが、ジーンという男の存在かもしれない。それは第一部で彼を見届け、第二部で別の角度から彼を見るからこそかもしれない。
読んでいてずっと、頭の中にその存在があるのだ。
罪とは向き合うべきものか。
犯したものは逃れられぬものか。
歩いてきた道のりがそう問いかけてくるようでもある。
突き刺さって棘のように抜けないものがある。
決して彼が悪辣なはないからこそ、余計に苦しくて涙が出るのかもしれない。
ぜひご一読ください。
きっとあなたは、人間というものを知るでしょう。
誤解を恐れずに言うならば、とても難しい物語だ。
それは、物語が難解だという意味ではない。
むしろ物語の構成は丁寧で簡潔で、わかりやすく読者の手元にそれを届けてくれている。
読んでいて辛く苦しくなるのは、ジーンという一人の男が背負った人生の罪と罰が「妥当であるのかどうか」という点である。
彼は確かに罪を犯した。
しかしそれは彼の望んだことだろうか。
いや違う。
彼は、抗いがたい社会の波に吞み込まれて、図らずも罪を犯したのだ。
そして、その結果としての罰を受けた。
僕の胸は痛む。
彼はそれ程までに人々に、愛する娘に憎まれ恨まれ蔑まれなくてはならなかったのかと。そして僕は――そうは思いたくないのだ。
苦しい物語だ。
それ程までに、彼に感情移入して、涙している僕がいる。
いつか、彼の柔く、弱く、しかし善良な魂が娘アイリーンに届く事を願う。
ひたすら、願っている。
舞台は近未来。戦争が各国の垣根を取り払い、それでもなお人々が争う、そんな世界。とある事情から辺境の地へと飛ばされた軍医の男が主人公。彼が飛ばされた辺境の地とは、月だった。
主人公が一人娘とともに月の裏側にある難民キャンプへと左遷されたところから物語はまる。軍医として働いていたある日、主人公の元に1人の患者が運ばれてくる。後に被検体となる彼女との出会いが、主人公に新たな道を指し示す──。
三人称でどこまでも読みやすく、テンポよく進む物語。月(宇宙)が舞台ということもあって、どこか無機質で真っ暗な印象です。そこに軍関係者の様々な思惑が絡み合い、良い緊張感となって、物語を読む手を推し進めくれます。
常に主人公の目的を明確に示してくれているので、今彼が何をして、どう考えているのか、とてもわかり易い。また、娘さんが可愛い! 彼女が上手く物語の緩衝材になってくれるおかげで、陰謀渦巻く暗い世界観でもスイスイ読み進められました。
厚みのある世界観感も読み易さのおかげで、細部まで設定を把握でき、没頭できる。非人道的な実験に手を染める主人公。良くも悪くも常識人な彼の苦悩、葛藤。本作の魅力である丁寧な内面描写を隅から隅まで堪能できます。気づけば感情移入してしまっていて、描かれる一挙手一投足がまるで自分のことのように感じてしまいました。
SFらしい近未来的な時代背景、科学要素もしっかりとあります。世界観もさることながら、物語の根幹となる“薬”にはロマンを感じます。一方で被検体として、それを試される側からすると、どこまでも不気味に映ってしまうですよね…。その対比が美しく、登場人物たちが1人の人として生き生きとしていました。
世界観、人、物語…。すべてが整っているため、薄暗く緊張感のある近未来の物語に没頭し、クヨクヨしたりハラハラしたりと常に満足感のある物語を味わえる。
SFだと敬遠している方も、もとから好きな方も。一度読むと、重厚な世界観と、生きた登場人物に惹き込まれてしまうこと間違いなし。ぜひ読んで欲しい、素敵な作品です!
作品の舞台は月、そしてロシア。どちらも好きな自分にとっては、琥珀やらサモワールやらをイメージしながら、楽しく読めました。いずれ現実に起こりそうなテーマがまさにSFっぽくて現実味を増幅させてくれたと思います。
最後は「そうきたか…」と、思わず考えさせられてしまう展開でした。前半の主人公の葛藤を知っている側の読者としてはやりきれないですが、当事者であれば自分もああいった行動を取るかもしれません。
まさに“それでも生きて往かざるを得ない”んですね。関わる人間の視点によって、ハッピーエンドの概念がこんなにも変わるのかと思いました。
あと、主人公がめちゃくちゃ普通の人なのが、自分がとても共感できたところでした。おもしろかったです。
読み終わった後に、深いため息と感動が押し寄せました。
実は、普段はSFを殆ど読まない私ですが、とても惹き込まれてしまいました。
未来を舞台にしたお話。革命軍の軍医、ジーンが主人公です。
彼が赴任した難民収容所の正体は、ある薬を試すための人体実験施設で、ジーンは葛藤をかかえながも、陰謀の渦に巻き込まれていきます。
物語全体を通して、優しさ、愛、憎悪、戦争の不条理について考えさせられます。
シリアスな展開が続きますが、適度な緩急をつけて物語が綴られているので、スラスラと読むことができました。
SFがちょっと苦手な方にも、オススメしたい味わい深い人間ドラマが詰まった素敵な作品です。
是非、読んでみてください!
全面戦争が勃発したあとを描いたSF小説です。
現実の世界では、戦争廃絶に向かうのが人類の使命だと思いますけど、フィクションとしての戦乱や闘争は、これからも描き続けられることでしょう。
本作品は、落ち着いた渋めの文章で淡々と綴られます。SF小説に必要な要素もしっかり盛り込まれていて、楽しめることまちがいなし。
年表もあり、物語の背景が判りやすくなっています。そして、主人公を始めとする登場人物の心理が精緻に表現されているので、きっと作品内へと引き込まれるはず。
この小説の大テーマは、数百年後に訪れる架空の社会で特殊な事情を抱えながら生きる人間の葛藤や愛情や憎悪、あるいは国家や他者を思いやる人々の心なのでしょう。
この傑作に正面から向かい、ゆったりと腰を据えて読み進めることをお勧めしたいです。読み終えたあとの感動を保証できます。
【良い点】
・導入が完結で状況がわかりやすい。
月と言う簡単な表現でSFなんだな、とすぐに感じられた。
・余白や文量が適切で読みやすくて、文が先へ進みやすい。
・作者が読み手に説明していないところがすごく良い。
個人的に、色んな行動とキャラがキャラへ話す事で情報を落として行くのが良い物語だと思っていて、それを感じます。
・情報の開示タイミングが良く、読ませる力がある良作です。
【気になった点】
・全体的に改善して欲しいと思う点はなく、あえて隅をつつくなら。
ワンシーン毎に話を切るところが、キリが良いとも思いつつ、もう少し続いても良いかなと思う。
総評としては、キャラの行き方や言動で色々な背景が漏れ伝わり、それがどのように活用されていくのかが気になる、読ませる力がある作品だと感じました。
今後とも変わらず、お話を進めて行き、頑張ってください。