服飾ギルド長とワイバーン (1)

 ラニエリのハサミを持って三年が過ぎた。

 ルチアは陽光の下、本日納品の靴下を検品していた。窓から見えるのは雲一つない青空である。

 『青空からワイバーン』──それは、オルディネ王国のことわざの一つだ。

 あまりに突然のことで、まるで予想がつかないという意味である。

 そして本日、真っ青な空から、巨大なワイバーンが、ファーノ工房の玄関前に降り立った。

「急なことで誠に申し訳ありません。服飾ギルド長のフォルトゥナート・ルイーニの使いの者です。ファーノ工房長にお取り次ぎをお願いしたく……」

 先触れらしい男性が丁寧な挨拶をしている途中、応対していた父親がぐらりと壁に寄りかかり、そのまま座り込んだ。

 もしや急な病か、そう家族一同が心配して駆け寄ったが、正しい理由はすぐに知れた。

「ファーノ工房長! 大丈夫ですか? 医者を連れてきますか、それとも、今すぐ馬車で神殿に──」

 男性のすぐ後ろから、父を心配する声が響いた。

 そこには、まぶしい金髪と海を思わせる深い青の目を持つ、ちょうしんそうの美丈夫がいた。

 間違えようがない、服飾ギルド長のフォルトゥナート・ルイーニ、本人である。

 ルチアの家であるファーノ工房では、靴下や手袋を作っている。

 当然、服飾ギルドとも取引はあるし、仕入れや販売でもお世話になっている。

 しかし、その一番上に立つ服飾ギルド長、加えて貴族、ルイーニ子爵家当主である。

 直接話すことなどまずない。用があったところで日時をあちらが決め、父が呼び出されるのが普通だ。ファーノ工房に用事があるにしても、貴族は通常、先触れが来てから別日に本人が来るものだ。

 ドアを開けたらいきなり巨大なワイバーンがいたようなものである。気の弱い父にはきつかったのだろう。

「すみません! うちの人は驚いて目を回しただけです」

 母が深く頭を下げて謝っている。

 祖父と兄は立ち上がってはいるが、視線を落とし、その場において全力で気配を消している。

 ルチアは母と共に父をひきずって、工房の椅子になんとか座らせた。一応、本当に病気ではないか、心臓は大丈夫かと確認したが、驚いただけだというのでほっとした。

「先触れもなく、失礼致しました」

「いいえ、とんでもありません。狭くて申し訳ありませんが、よろしければ中へどうぞ」

 そうして入ってきた服飾ギルド長に、ルチアは思わずれそうになる。さすがに失礼にあたるので凝視したりはしないが。

 フォルトゥナートが着ているのは、夏向け素材の灰銀のスーツに、白のサマーシルクのシャツだ。

 スーツの素材はそのつやからしていと、おそらくはかいこによるけん。近づけばわかるが総織込で、布を作る段階から三色の糸を使ったぜいたくな仕様だ。スーツのズボンは裾までストレートと見せかけて、わずかに裾を絞っている。それが若々しさとスタイルの良さを一段上げていた。

 上着のポケットから指一本分のぞくのは、手袋ではなく、その青い目と似た艶やかな青のチーフ。背が高いというのに、さらに上半身に視線がいく、絶妙なポイントである。

 その上、馬革であろう靴は黒と見せかけて黒に近い濃灰。夏らしく重さを一段減らした色味できれいにまとまっていた。

 この場でなければ、スケッチブックを引っ張り出して上から下までメモを残したい、それほどに見事な装いである。

 さすが、服飾ギルド長! ルチアは内心で思いきり褒めたたえた。

 そして、その後にようやくその顔を見る。

 無駄のないすっきりとした輪郭、明るい海を思わせる目に濁りはなく、肌は滑らかだ。

 艶やかでよく手入れされた金髪を後ろに流し、黒色の細いリボン──こちらもおそらくは魔糸だろう──で、きりりとまとめている。

 二十代後半から三十──そうは見えるものの、話に聞く限りは三十五、六の働き盛りのはずである。これは貴族の手入れの差なのかもしれない。美人の奥様がいることでも有名である。

 美しくてお洒落しゃれな大人の男性──表現としては、それが一番しっくりくる。

 そのままマネキンとして店頭に立っていてもおかしくない顔と体型だ。

 ルチアは己の身長その他を振り返り、ちょっとだけ不条理を感じてしまったが、それは仕方がないだろう。

 それにしても、本人に合ったお洒落な装いをしている者を見るのは、男女にかかわらず楽しく、勉強になる。

 なお、服飾ギルド長である彼には、男女問わず服飾関係者のファンが多い。

 その整った見た目と着こなしもあろうが、一番は、フォルトゥナート・ルイーニ本人が、有能な服飾師だからだと言われている。

 今、間近でそれをよくよく確認できた気がした。

 その彼が、工房の古ぼけたソファーに座り、口を開いた。

「急なことになりますが、魔導具師のダリヤ・ロセッティ殿が開発し、こちらの工房で試作をなさったという、『五本指靴下』について、制作と販路のためにお話をしたいと思いまして……」

「ダリヤ……」

 赤髪緑目の友人を思い出し、ルチアは納得したくないが理解した。

 ダリヤ・ロセッティ──若いが腕のいい魔導具師で、魔石やスライムなどの魔物素材を使用し、様々な魔導具を作っている。給湯器やドライヤーなど、生活で使うものがほとんどだ。

 彼女は制作だけではなく開発も得意で、ちょっと前には、水をはじく防水布を開発していた。

 それからは、ルチアがレインコートやレインマントを作り、一緒に仕事をすることも多くある。今も、かわいい模様付きのレインコート向け防水布を頼んでいるところだ。

 ダリヤと初めて出会ったのは、まだ言葉もおぼつかない頃である。

 ルチアの母方の祖母は西区に住んでいた。家の工房が忙しいときはそこに預けられるのだが、祖母はよく近所の子に声をかけ、家で遊ばせてくれた。

 一番遊ぶことの多かったのが、ダリヤとイルマである。ダリヤは自分より半年ちょっと上、イルマは何歳か上だった。

 三人とも気が合い、初等学院を卒業してからも時々会っている仲である。

 特に、ダリヤとは初等学院の入学が同時だったのもあり、共に学び、共に遊び、卒業後も一緒に出かけたりしている。彼女の家である緑の塔にも泊まったし、ルチアの家に泊まりに来たりして、夜通し話したこともあった。

 フォルトゥナートが、ダリヤの名を出してもおかしいとは思わない。

 すでに亡くなっているが、ダリヤの父が男爵で魔導具師であること、そしてダリヤが有能な魔導具師であること、そしてもう一つ、彼女の性質というか、体質である。

 彼女の巻き込まれ体質、いや、巻き込み体質は、今に始まったことではない。

 初等学院の入学式では、迷子で半泣きの自分と大泣きしている男子生徒を拾い、その後にもう二人を先導して教室に連れていくお姉さんぶりだった。

 後に本人もじつは迷っていたと聞いて笑うに笑えなかったが。

 講堂から教室までの経路がわかりづらい、入学式では案内を掲示してほしい、次の新入生が迷ったらかわいそうだ──そうこそりと願った彼女に、担任は笑って聞き取りを始め、やがて深くうなずいた。

 翌月、規定位置に、各階案内板と経路図が設置された。

 迷子になる子供はもちろん、各業者、先生方までもわかりやすくなったと喜んでいた。

 体育の授業では、かけっこで横の生徒にぶつかられ、顔面から転び、医務室で治癒魔法をかけられることになった。

 だが、ダリヤは顔から血を流しているのに、自分は軽傷だから後でいい、あの子の話を聞いてあげてくださいと、膝をすりむいてぐずぐず泣く生徒に順番を譲った。

 医務室の教員はいたく感心していた。貴族位の親を持つ生徒は、えてして『自分の治療を先に』、女子生徒であれば、『顔なので早く治して』と言うこともおかしくないからだ。

 そして、膝をすりむいて泣く生徒が偶然を装ったいじめにあっていることを聞き出し、その対応に当たっていた。

 その後、その教員は助け合いの大切さを説くようになり、医務室は生徒の悩みも聞いてくれる場となっていった。

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