将来の夢と服飾師 (2)
そんなある日、家の工房でひたすらに糸車で糸を巻いていると、兄に尋ねられた。
「ルチア、最近、宿題が多くなったか? わからないところがあるなら聞けよ。友達にでもいいし」
「ううん、多くなってないわ。ちょっと勉強してただけ」
「勉強か……ルチア、あのさ、お前は頭がいいから、ずっと家で靴下と手袋を作っていなくてもいいんだぞ」
「え?」
いきなりの兄の発言に、その意味が
ここオルディネの成人年齢は十六歳。結婚もその年齢から許される。
同じ年に入学した貴族の少女は、高等学院を卒業していなくても、十六になった年に結婚が決まっていると言っていた。
兄は間もなく十五。もしや、気づかぬうちに兄には恋人ができており、成人後すぐ、つまりは一、二年先に結婚したくて、自分がいると邪魔になるとかだろうか?
「お兄ちゃん、もしかしてそれ、あたしに早く嫁に行けってこと? 恋人ができたの?」
「それはまだまだ早いだろ! あと、どうしてそうなるんだよ!」
兄に真顔で怒られた。気を使ったのになぜだ。
「おっ、
外から箱に入った糸を運んできた父が、自分達の様子を見て、楽しげに言った。
「違うよ! 父さんからもルチアに言ってくれよ。そんなに早く嫁に行かなくていいって」
「ちょ、ま、ルチア、そんな男がいるのか? いや、待て、よくよく考えるんだ!」
「よくよく考えるのはそっちよ!」
ルチアは久々に大声を出した。
結果として、その後にルチアは服飾師を目指したいと思っていること、その勉強をしていること、それで帰りが遅くなっていること、自分で型紙付きのお高い本を買ったことまで、あらいざらい話すことになった。
兄はそういうことかと驚いていたが、父は口をつぐんだままである。
「勉強って、そっちだったのか……」
「何の勉強だと思ったの、兄さん?」
「国語とか算数とか、高等学院向け。ルチアは俺より頭がいいから、高等学院に入って文官科とかに入ったら、ギルドとか役所なんかに勤められるんじゃないかと思ったんだ」
ルチアはそういった方面に進みたいとは思わないし、高等学院に行くつもりもない。兄がそんなことを言うのが意外だった。
「考えたこともないわ。それに兄さんとあたしの成績は同じぐらいじゃない。あたしは算数がちょっと得意だけど、理科は兄さんの方がずっとよかったもの」
「そのさ……うちは手袋と靴下を作っているが、数が出ないと思いきり
「ないわー。礼儀作法に細かいところは向いてないし、きれいな服は着たいけど、自分で作った方が楽しそうだもの」
半ば
「兄さんこそ、お嫁さんをもらう予定はないの?」
「お前は女友達すら一人もいない俺に、なんてことを聞くのか……」
「えっ、まだ一人もいないの?」
「うっ……」
見事に傷口に塩を塗り込んでしまったらしい。兄が壁にしくしくと貼り付いた。
これは妹として引き
「ルチア、父さんの友達に服飾師がいる。一度仕事場を見せてもらえないか、聞いてみようか?」
「お願い、父さん!」
ルチアは全力の笑顔で答えた。
・・・・・・・
数日後、ルチアは父と共に南区の奥に来ていた。
このあたりは歓楽街がある。その先をさらに進めば、大人しか入れぬ花街だ。
ルチアはこのあたりには来たことがないので、ちょっと落ち着かなくなった。その上、本日はフード付きマントなどというものまでかぶせられている。
とても前が見づらいのだが、父も似た格好なので素直に従った。
歓楽街に入ってすぐ、灰色のレンガ造りの三階建て──その前で、父は足を止めた。
一階は食堂だ。昼にはまだ間があるが、ぽつぽつと客が食事をしていた。
花街の者なのか、華やかな夜の装いの者、その護衛か冒険者か、襟なしの服で剣を持っている者などがいて、つい身構えてしまう。
だが、ルチアの父は気にも留めずに中に入って店員に挨拶をすると、奥の階段を上り始めた。
二階に進むと、両開きの黒いドアがあった。表面には
「その下はイシュラナの文字で、その下は
四カ国語の看板らしい。なんとも幅広い。
父はルチアのフードを外すと、目を合わせて言った。
「ルチア、父さんの友達は──ラニエリは、ちょっと変わった奴だが気にするな。服飾師としての腕は確かだ」
「……うん、わかった」
ちょっと変わった、の意味合いを聞き返そうかと思ったが、やめた。
服飾師としてしっかりしているならそれでいい。質問したいことは山とあるのだ。
ドアの横、飾り板をミニハンマーで三回
「いらっしゃい、ルーベルト! そちらがルチアちゃんだね!」
父の名前を呼び捨て、自分をちゃん付けにしながら、黒に銀のピンストライプのドレススーツを着た男性が出てきた。
昼だというのに、黒と銀が目の前で瞬いた。
ピンストライプの上着の下は、
上着の袖口からのぞく袖のカフスは、これまた白い
そして、靴は銀。スーツのピンストライプと同じ色で、
男性ながら華やかで、なんともお
「忙しいところ、すまないな、ラニエリ」
父が謝ったが、彼は無言のまま、じっと自分を見た。
そこでようやく、ラニエリに目がいった。
銀の髪は先にいくに従って黒さを増したグラデーション。そして、目は深い黒。
父と同年代とは到底思えぬ、
ルチアは慌てて挨拶をする。
「は、はじめまして。ルチア・ファーノと申します。本日はお忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます」
今日着てきたのは、持っている服の中では一番質がよく上品な、紺色の半袖ワンピース。母のお下がりだ。それなりに自分に似合っていると思う。
ルチアには少しゆるめなので、ラインは本を参考に補正した。肩と身体に添う部分だけだが。
腰と襟と袖と裾には、白いレースを縫い付けてみた。腰のリボンベルトは紺色を一段濃くしたものを、ウエストラインより少し高いところに付けている。
高い
「ああ、そうか……」
ようやくラニエリと視線が合った──そう思ったとき、彼は自分に笑んだ。
「ラニエリ・ジャケッタだ。お目にかかれてうれしいよ、かわいい『服飾師殿』」
「え、あの、私は学生で……」
「ルーベルト、この子は服飾師になる」
自分を飛び越し、ラニエリは父に言った。
「どうしてそう思う?」
「ドアを開けた瞬間、この子は私の服を見た。色合いと全体のバランス、色合いを確認し、その後でアクセサリーと靴に目を向けた。それからやっと私の顔を見た」
「す、すみません!」
ルチアはようやく自分がしていたことを認識した。
思わず
「謝ることはない。服飾師としては当たり前のことだ。まあ、一般人相手にするときには、気づかれない程度に──視線の熱さもほどほどにしておく方がいいかな、特に男性にはね」
彼は自分に再度笑いかけ、話を続ける。
「服飾師がまず最初に目がいくのは服なんだ。それは止めようがないじゃないか。ああ、その服は補正をかけているね。誰に教わったのかな?」
「本を見て、着て、自分で補正しました……」
見よう見まねである。調整して着ては脱ぎ、また調整して着ては脱ぎをくり返した。
「ちょっと後ろを向いてくれるかい?」
言われた通りに背中を向ける。
「これは驚いた。この歳でここまでわかるなら上等だ。説明に遠慮がいらなそうだ」
ラニエリは再び笑い、部屋の中へ招き入れてくれた。
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