将来の夢と服飾師 (3)
入った先は作業場だった。
それほど広くはないが、四つのテーブルの上に様々な布とレース、そして、ボタンが並んでいた。赤、白、青、そして黄色。その色合いはまるで花畑のようだった。
「こちらの白いドレス二枚は、結婚のお披露目用だ。
その二枚は、まだ仮縫い中らしい。裏返されたそれには、丁寧な糸目が見えた。
デザイン画は、片方が少しタイトでレース付き、もう片方はフリルが多めになっている。
女性同士のご夫婦らしい。オルディネ王国では同性婚もあるので別段珍しくはない。
だが、揃いの白いドレスというのはなんとも素敵だ。実際に着ているところがすごく見たくなる。
「こっちの赤と青のドレスは花街で働く方に頼まれたものだ。酌をしていると酒をこぼされることもあるからね。綿だから水で普通に洗えるんだよ」
「それは便利だな、浄化魔法なしで済む」
父が感心したように言っていた。
絹でも高級なものは、洗濯屋さんで浄化魔法をかけてもらわねばならない。家で普通に洗えるというのは着る側としてありがたいだろう。
四つ目のテーブルの上、開かれたスケッチブックにあるのは、かわいいレモン色のワンピース。
それが横のトルソーに、デザインそのままの服として着せられていた。サイズからして子供用だろうか。リボンにふわふわとした切り替えのスカートラインがとにかくかわいい。
「かわいい! すごい! 魔法みたい!」
大興奮して声をあげてしまったが、ラニエリはうれしげに笑った。
「ありがとう。でも、魔法じゃないんだよ」
スケッチブックをめくると、型紙のメモと寸法の計算がびっちりと並んでいた。その細かさに目を丸くしていると、テーブルの下の箱から、そのワンピースの型紙を出して見せてくれる。何度修正したのか、追加の紙が厚く貼られていた。
「考えて、デザインして、数値を決めて、型紙を描いて、布を切って、仮縫いして、補正して──途中で間違って、窓から全部投げ出したくなることもしょっちゅうだよ」
「でも、やるんですよね?」
「ああ、どの工程を抜いても、服はできないからね」
「やっぱり魔法みたいです。かわいい画が、そのまま、こんなかわいいワンピースになるんだから」
見た夢をそのまま現実化したようで、とても素敵である。
「そう言ってもらえるとうれしいね。では、次は私の『宝物庫』へご案内しよう」
そのまま部屋の奥へ進むと、壁にかけられたカーテンを開いた。飾りカーテンかと思ったが、そこにあるのはドアだった。
「ここが布と糸の素材の保管庫だ」
中に入ると、窓には厚いカーテンが引かれており、真っ暗だった。
「布は光で退色することがあるからね。窓は換気以外では開けないんだ」
彼がカーテンを開けると、部屋の棚に並んだ大量の布と糸が見えた。色とりどりのそれらは、端に布が縫い付けられており、すべて番号が振られている。
そして部屋の奥、大きな銀の魔封箱も多数見えた。
「布台帳があって、番号で管理している。奥のは魔蚕の布や魔糸だね」
「布台帳はやっぱりあった方がいいだろ、ラニエリ? 昔はよく
「ルーベルト、それは言わない約束だよ」
ラニエリが半笑いで答えている。こうして聞くとやはり父とは親しい友人らしい。
「父さんは前からジャケッタ様と友達?」
「初等学院の同級生で、入学式当日からの友達だ」
「教室に行くのに迷子になって、大泣きしようとしていたらルーベルトと会ったんだ」
ルチアはちょっとだけ遠い目で思い出す。初等学院の入学式といえば自分も迷子になった──もっとも、父と自分は逆で、迷子になったのはラニエリのようだが。
「俺も迷子で先に泣いてたんで、ラニエリがハンカチを貸してくれた。その後に手を取り合って教室探しをした」
「そうなの……」
父も自分と同じだった。ファーノ家は初等学院の入学式で、教室に行く前に迷子になる習性でもあるのか。帰ったら兄に確かめてみようと思う。
「さて、これが魔蚕の魔糸で織った布だ。こっちは通常の蚕の絹。触れてみるといい」
ラニエリは魔封箱と棚から、一枚ずつ白い布をルチアに見せた。
見た目はとても似ている、糸は細く上質、滑らかで艶があり、高級そうだ。
だが、触れてみて驚いた。蚕の絹はつるつるしてとても気持ちがいい感じで、魔蚕の絹は、ぬめるようにもったりしながらもつるりと滑る、なんとも癖になる感じだ。
「魔蚕の方が、こう、ぬめつるりとしています」
「ぬめつるり! なるほど、その通りだ!」
ラニエリが上機嫌で笑い出す。
「魔蚕の方が密着性が高いんだ。魔力があるから耐久性もいい。防御のために、貴族のアンダーウェアにも使われやすい。ただし、夏は暑いという欠点があるが──それを言えば、夏は安い麻のざら編みのシャツが一番涼しいよ」
高級品だからいいというわけではないらしい。だが、安い麻のざら編みのシャツは、肌に刺さるような硬さもあるので難しいところである。
「魔蚕の高級品は、本当に丈夫でね」
そう言いながら彼は、その爪で布を強くひっかいた。しかし、破れることはもちろんなく、一瞬見えたまっすぐな線もたちまちに消え、何もわからなくなった。
「魔物素材は丈夫なものが多いけれど、制作も加工も大変なんだ」
言いながら、ラニエリは上着の内側からハサミを取り出した。
刃部分から青銀の光を放つハサミは、ルチアがいつも使っているものとは確実に違う。
「普通のハサミでは刃こぼれしてしまう。これは、刃のところだけミスリルを張ったものなんだ。本当なら丸ごとミスリルの方がいいんだけど、いい馬が買える値段だからね」
ルチアには、そのいい馬の値段がわからない。ただ、お高いことだけが理解できた。
そしてミスリルのハサミで音もなく切られた布は、ハンカチくらいの大きさ。表と裏でその白さがわずかに違い、織りの細かさに目が釘付けになる。
「おみやげだよ。この手触りは覚えておくといい」
ルチアの手に、ぬめつるりとした魔蚕の布が渡された。
「ありがとうございます、ジャケッタ様!」
宝物が増えた、そう思いつつ笑顔で礼を言う。
「どういたしまして。それにしても、『ジャケッタ』と姓で呼ばれると落ち着かないね。『ラニエリさん』でいいよ、『ルチアちゃん』──いや、後輩といえども服飾師に対しては失礼だな、『ルチアさん』」
「『ルチア』でいいです」
ラニエリは服飾師の大先輩である。教わるならば自分のことは呼び捨てでかまわない。
だが、ラニエリは意外な提案をしてきた。
「じゃあ、私も『ラニエリ』でいい。服飾師同士、対等にいこうじゃないか」
「ラニエリ、サービスが過ぎないか? ルチアは服飾師を目指して勉強を始めたばかりだ。この先はまだわからないじゃないか。他になりたいものが出てくることだってありえるぞ」
父もさすがに驚いたのだろう。尋ねるように言うと、ラニエリは首を横に振る。
そして、その黒い目を猫のように細め、ルチアを見た。
「いいや、この子は服飾師──間違いなく、私と同じ生き物だ」
ひどくどきりとした。
自分はまだ子供で、服飾師の勉強も駆け出しで、
けれど、大先輩のラニエリは、服飾師として見てくれた。子供扱いも女扱いもしなかった。
ならば、自分ができることは精いっぱい勉強して近づくことだけである。
「がんばります、ラニエリ!」
「そうしてくれ、ルチア!」
出会った初日に名前を呼び合うこととなった二人は、固く握手を交わした。
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