【書籍試し読み増量版】服飾師ルチアはあきらめない ~今日から始める幸服計画~/甘岸久弥
甘岸久弥/MFブックス
青空花の少女 (1)
世の中は不条理だ。
この大陸で一番大きく豊かな国と
その王都は国内でも一番華やかで、美しい場所だと言われている。
だが、この王都生まれのルチアの髪は深い緑。そして、目は濃すぎる青。
肌は青白く、背は小さく、地味で目立たぬことこの上ない。
祖母の家でたまに会う同じ
時々遊んでくれるちょっとだけ年上のイルマは、
周りの女の子達は、皆、ルチアより華やかで、きれいで、そして、かわいい。
自分が地味なのはよくよく知っている。
それでも、ルチアも少しはかわいくなりたい、きれいになりたいと、毎日髪をきちんと
それが今日、先ほど、近所で遊んでいた男の子に言われた。
「ルチアって、
言うに
路地の端っこに咲いている雑草。小さくて青くて存在感の薄い花。
それを嫌だとも言えず、その場から逃げるように走り去り、途中から泣いていた。
ルチアはちょっと悲しかったり、悔しかったりすると、涙目になってしまう。
その後は相手には何も言い返せない。己のそんなところも嫌いだった。
どうせなら輝く金の髪に、珍しい紫の目、背が高く生まれたかった。
そうしたら、自分が大好きな、かわいい服が着られたのに。
母方の祖母が勧めるような、白いレースがついたレモン色のワンピースが似合っただろう。艶やかで青く長いリボンも、花飾りのついた赤い靴も似合っただろう。
でも、そんなかわいいものが似合う女の子には、きっとずっとなれない。
「不条理だわ」
『不条理』というのは、父が昨日ぼやいていた、覚えたての言葉だ。
どういう意味かと尋ねたら、『道理に合わなくて、自分が納得いかないことだ』と言われた。
好きでもない
これが不条理ではなくて、一体何だというのか。
いじめられたわけではないけれど、どうにも視界がにじんでしまう。
それでも、泣き顔を家族に心配されるのが嫌で、ルチアは家の少し手前、路地の奥へ進んだ。
夕焼け空の下、涙が止まったら、裏口から家に帰り、顔を洗おう──そう思って路地を進むと、倉庫の白壁がある突き当たりに、先客がいた。
春なのに、黒いフード付きマントを身につけた男が、路地の段差に腰を下ろしている。
これはもしや、家族が気をつけろと言う『ヘンシツシャ』という者ではなかろうか?
気づかれぬうちに来た道を戻るべきか──そう警戒したとき、彼が片手で鼻を押さえるのが見えた。続いて、ぐずぐずと小さく湿った音が響く。
どうやら泣く場所としても先客だったらしい。
ルチアはポケットを探ると、迷いに迷った末、一枚のハンカチを握りしめた。
そして、男に向かって足早に歩み寄る。
「これ、使ってください!」
「え? あ……」
ルチアに気づいていなかったのだろう。ひどく上ずった声がして、彼がこちらを見た。
フードから一瞬見えたのは、日焼けした褐色の肌と赤茶の髪。
そして、泣いたとはっきりわかる赤茶の目。
自分も涙目だったので、その顔ははっきりとわからなかったが──四つ上の兄より、もう少し年上の少年に見えた。
すぐにフードを
「……ありがとう。でも、汚してしまうから」
「大丈夫です! 二枚あるから」
泣くのにハンカチがないと洋服を汚してしまうことになる。後の洗濯と言い訳が大変だ。
少年の膝に白いハンカチを置くと、ルチアは少し離れた段差に腰を下ろす。
そして、ポケットの二枚目のハンカチを取り出すと、目と
「……すまない。じゃあ、遠慮なく」
少年がごそごそとフードの下で顔を拭いだしたと思ったら、鼻をかむ音がしっかり三度響いた。ルチアは自分が泣いていたのも忘れて安心した。
「汚してしまってすまない。代金は銀貨で足りるだろうか?」
「練習だから、あげます」
「練習?」
「
渡したハンカチは、始めたばかりの刺繍の練習用だ。
靴下や手袋を作る工房を家族でやっているので、ルチアも初等学院に入る前から縫い物を練習している。いつか母や祖母のように花や鳥をきれいに刺繍したいが、まだ×模様のクロスステッチがやっとだ。
よって少年が持っている白いハンカチには、ルチアにより大量の青い×印が刺されていた。
フードで顔はわからないが、少年はじっとハンカチを見ているようだ。
「もったいないことをしてしまった。きれいな刺繍なのに、すまない……」
「きれい? ホントにそう思う?」
褒められたことに驚き、それまで取り繕っていた言葉が崩れてしまった。
だが、少年はハンカチを手に、しみじみと言ってくれた。
「ああ、縫い目がちゃんとそろっているじゃないか。俺の母は、刺繍をしたらハンカチを入り口のない袋にしていたが……その歳でこれだけ刺繍ができるなんて、すごいな」
ルチアは素直にうれしくなった。それと同時に、この少年が心配になった。
「お兄ちゃん、どこか痛い? それとも怒られた?」
このあたりで今まで会った覚えはないが、引っ越してきた家の子供ということもありえる。
他にも、王都の外から若くして出稼ぎに来たり、各種の職人に弟子入りしたりする子供も多いのだ。
家族や師匠に
まあ、自分も友達の言葉に泣いていたわけだが。
「いや……屋台で買ったクレスペッレが、ちょっと辛かっただけだ」
声が上ずっている。きっととても辛かったのだろう。
クレスペッレは、クレープのような小麦粉の衣を少し厚めに焼き、中にいろんな具を入れて四角く包んだものだ。ルチアも時々、屋台へ買いに行く。
よくあるのは細かく切った野菜と肉の炒めもの。他にもエビやタコ、イカ、クラーケンを細切れにして、玉ネギや香草などと炒めたもの、果物を小さく切って、蜂蜜をかけたものなどもある。屋台ごとに中身の配合が違ったり、ソースが違ったりするので、食べていて飽きない。
ルチアの家では仕事が忙しくなると、余り野菜のスープと共に、このクレスペッレが昼食や夕食になることが多い。
「
「……たぶん」
経験者として尋ねると、少年が小さくうなずくのがわかった。
「じゃあ、次のクレスペッレは
「そうする……」
風に揺れたフードを指先で下げ直した少年は、ためらいがちにルチアに声をかけてきた。
「それで、かわいらしいお嬢様は、どうして泣いていたのか、伺っても?」
かわいらしいお嬢様──ルチアはその響きについ固まる。
過去に一度も呼ばれたことのない響きである。ちょっとこそばゆい。
言うべきかどうか迷ったが、少年が涙の理由を教えてくれたので、自分も素直に答える。
「
ぽつりと声にすると、また涙がにじみそうになった。
「
少年が不思議そうに聞き返す。確かにこれだけではわからないだろう。
「近くに住んでいる男の子が、あたしが
「不条理……」
「『道理に合わなくて、自分で納得いかないことだ』って、父さんが言ってた」
「まあ、世の中はいろいろと不条理なこともあるから……」
小さくつぶやいた少年は、口を押さえ、浅い
「
「あたしには、きっと似合わないもの……」
己の着飾った姿を想像し、ルチアは声を小さくする。鼻の奥がまたツンとしそうだった。
そんな自分に、少年が少しだけ声を大きくした。
「君なら、『
「『
見たことも聞いたこともない花の名に、首を
「青空のような空色の花だ。東街道の先に、一面に空色の花の咲く場所がある。見渡す限り、地面を青空にしたかのように花が咲く。背丈は低いけれど、最高にきれいな花だ」
少年はひどくなつかしげな声で言った。
その名の花が咲き誇る、地面を青空にしたかのような場所──ルチアには想像できない光景だ。
王都暮らしでは、大きな花壇や庭を見ることはあっても、見渡す限りの花畑を見たことはない。まして、空色の花の群生など、想像したこともなかった。
「似合わないと言って、ここであきらめたら、ずっと着られないじゃないか。人のことなんか気にするな。本当に好きなら着てしまえ。君はレースもリボンも、きっと似合う」
少年の声が、胸に反響するように聞こえた。
確かに自分は、何もしないうちに、あきらめていた。
着る前から似合わないと、ただぐじぐじと残念がっていた自分に、その言葉はひどく刺さる。
目の前に大好きなかわいい服があるのに、髪に付けたいきれいなリボンがあるのに、自分はずっと袖を通せず、手を伸ばすことができなかった。
人の目が気になった。
笑われるのが怖かった。
似合わないと馬鹿にされるのが嫌だった。
でも、このままあきらめて、大好きな服もレースもリボンも、この手にはできず、ずっと遠目でうらやましがって見ているだけ──
こんなぐじぐじした意気地なしの自分でいるのは、もう嫌だ。
「本当に、『
「ああ。俺が保証人になろう」
大きくうなずいた少年のフードがずれ、一瞬だけ、夕焼けの光を宿した切れ長の目があらわになる。
ルチアは、ひどくどきりとした。
でも、この瞬間、そんな花のような人になりたいと思った。
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