【書籍試し読み増量版】服飾師ルチアはあきらめない ~今日から始める幸服計画~/甘岸久弥

甘岸久弥/MFブックス

青空花の少女 (1)

 世の中は不条理だ。

 よわい六歳のルチア・ファーノは、心からそう思う。


 この大陸で一番大きく豊かな国とうたわれるオルディネ王国。

 その王都は国内でも一番華やかで、美しい場所だと言われている。

 だが、この王都生まれのルチアの髪は深い緑。そして、目は濃すぎる青。

 肌は青白く、背は小さく、地味で目立たぬことこの上ない。

 祖母の家でたまに会う同じとしのダリヤは、赤い髪に明るい緑の目をした女の子だ。笑うと、ポンポンダリアの花がぱっと咲いたようにかわいい。

 時々遊んでくれるちょっとだけ年上のイルマは、つやつやの紅茶色の髪に、赤が強めの茶色の目をしている。とても器用で、自ら編み込みをした髪型が似合って、きれいだ。

 周りの女の子達は、皆、ルチアより華やかで、きれいで、そして、かわいい。

 自分が地味なのはよくよく知っている。

 それでも、ルチアも少しはかわいくなりたい、きれいになりたいと、毎日髪をきちんとかし、顔を丁寧に洗い、洗いたての青いワンピースを着ていたのだ。

 それが今日、先ほど、近所で遊んでいた男の子に言われた。

「ルチアって、つゆくさみたいだよな」

 言うにこといてつゆくさ

 路地の端っこに咲いている雑草。小さくて青くて存在感の薄い花。

 それを嫌だとも言えず、その場から逃げるように走り去り、途中から泣いていた。

 ルチアはちょっと悲しかったり、悔しかったりすると、涙目になってしまう。

 その後は相手には何も言い返せない。己のそんなところも嫌いだった。

 どうせなら輝く金の髪に、珍しい紫の目、背が高く生まれたかった。

 にたとえられるような、きれいな女の子になりたかった。

 そうしたら、自分が大好きな、かわいい服が着られたのに。

 母方の祖母が勧めるような、白いレースがついたレモン色のワンピースが似合っただろう。艶やかで青く長いリボンも、花飾りのついた赤い靴も似合っただろう。

 でも、そんなかわいいものが似合う女の子には、きっとずっとなれない。

「不条理だわ」

 『不条理』というのは、父が昨日ぼやいていた、覚えたての言葉だ。

 どういう意味かと尋ねたら、『道理に合わなくて、自分が納得いかないことだ』と言われた。

 好きでもないつゆくさみたいだと言われること、大好きなかわいい服が似合わぬ見た目。

 これが不条理ではなくて、一体何だというのか。

 いじめられたわけではないけれど、どうにも視界がにじんでしまう。

 それでも、泣き顔を家族に心配されるのが嫌で、ルチアは家の少し手前、路地の奥へ進んだ。


 夕焼け空の下、涙が止まったら、裏口から家に帰り、顔を洗おう──そう思って路地を進むと、倉庫の白壁がある突き当たりに、先客がいた。

 春なのに、黒いフード付きマントを身につけた男が、路地の段差に腰を下ろしている。

 これはもしや、家族が気をつけろと言う『ヘンシツシャ』という者ではなかろうか?

 気づかれぬうちに来た道を戻るべきか──そう警戒したとき、彼が片手で鼻を押さえるのが見えた。続いて、ぐずぐずと小さく湿った音が響く。

 どうやら泣く場所としても先客だったらしい。

 ルチアはポケットを探ると、迷いに迷った末、一枚のハンカチを握りしめた。

 そして、男に向かって足早に歩み寄る。

「これ、使ってください!」

「え? あ……」

 ルチアに気づいていなかったのだろう。ひどく上ずった声がして、彼がこちらを見た。

 フードから一瞬見えたのは、日焼けした褐色の肌と赤茶の髪。

 そして、泣いたとはっきりわかる赤茶の目。

 自分も涙目だったので、その顔ははっきりとわからなかったが──四つ上の兄より、もう少し年上の少年に見えた。

 すぐにフードをぶかにかぶり直した少年は、ハンカチを受け取ってはくれなかった。

「……ありがとう。でも、汚してしまうから」

「大丈夫です! 二枚あるから」

 泣くのにハンカチがないと洋服を汚してしまうことになる。後の洗濯と言い訳が大変だ。

 少年の膝に白いハンカチを置くと、ルチアは少し離れた段差に腰を下ろす。

 そして、ポケットの二枚目のハンカチを取り出すと、目とほおの涙をごしごしぬぐい、容赦なく鼻をかんだ。このハンカチは本日の入浴時にこっそり洗う予定である。

「……すまない。じゃあ、遠慮なく」

 少年がごそごそとフードの下で顔を拭いだしたと思ったら、鼻をかむ音がしっかり三度響いた。ルチアは自分が泣いていたのも忘れて安心した。

「汚してしまってすまない。代金は銀貨で足りるだろうか?」

「練習だから、あげます」

「練習?」

しゅうは、家の仕事なので」

 渡したハンカチは、始めたばかりの刺繍の練習用だ。

 靴下や手袋を作る工房を家族でやっているので、ルチアも初等学院に入る前から縫い物を練習している。いつか母や祖母のように花や鳥をきれいに刺繍したいが、まだ×模様のクロスステッチがやっとだ。

 よって少年が持っている白いハンカチには、ルチアにより大量の青い×印が刺されていた。

 フードで顔はわからないが、少年はじっとハンカチを見ているようだ。

「もったいないことをしてしまった。きれいな刺繍なのに、すまない……」

「きれい? ホントにそう思う?」

 褒められたことに驚き、それまで取り繕っていた言葉が崩れてしまった。

 だが、少年はハンカチを手に、しみじみと言ってくれた。

「ああ、縫い目がちゃんとそろっているじゃないか。俺の母は、刺繍をしたらハンカチを入り口のない袋にしていたが……その歳でこれだけ刺繍ができるなんて、すごいな」

 ルチアは素直にうれしくなった。それと同時に、この少年が心配になった。

「お兄ちゃん、どこか痛い? それとも怒られた?」

 このあたりで今まで会った覚えはないが、引っ越してきた家の子供ということもありえる。

 他にも、王都の外から若くして出稼ぎに来たり、各種の職人に弟子入りしたりする子供も多いのだ。

 家族や師匠にしかられた、家族のことを思い出してさみしくなった、兄弟や友達とけんをした──子供が泣く理由など山のようにある。

 まあ、自分も友達の言葉に泣いていたわけだが。

「いや……屋台で買ったクレスペッレが、ちょっと辛かっただけだ」

 声が上ずっている。きっととても辛かったのだろう。

 クレスペッレは、クレープのような小麦粉の衣を少し厚めに焼き、中にいろんな具を入れて四角く包んだものだ。ルチアも時々、屋台へ買いに行く。

 よくあるのは細かく切った野菜と肉の炒めもの。他にもエビやタコ、イカ、クラーケンを細切れにして、玉ネギや香草などと炒めたもの、果物を小さく切って、蜂蜜をかけたものなどもある。屋台ごとに中身の配合が違ったり、ソースが違ったりするので、食べていて飽きない。

 ルチアの家では仕事が忙しくなると、余り野菜のスープと共に、このクレスペッレが昼食や夕食になることが多い。

からのつけすぎ?」

「……たぶん」

 経験者として尋ねると、少年が小さくうなずくのがわかった。

「じゃあ、次のクレスペッレはからじゃなくて、塩味か、トマトソースで頼まなくっちゃ」

「そうする……」

 風に揺れたフードを指先で下げ直した少年は、ためらいがちにルチアに声をかけてきた。

「それで、かわいらしいお嬢様は、どうして泣いていたのか、伺っても?」

 かわいらしいお嬢様──ルチアはその響きについ固まる。

 過去に一度も呼ばれたことのない響きである。ちょっとこそばゆい。

 言うべきかどうか迷ったが、少年が涙の理由を教えてくれたので、自分も素直に答える。

つゆくさみたいって、言われたの」

 ぽつりと声にすると、また涙がにじみそうになった。

つゆくさ?」

 少年が不思議そうに聞き返す。確かにこれだけではわからないだろう。

「近くに住んでいる男の子が、あたしがつゆくさみたいだって。見た目が、緑の髪で青い目だし、小さくて地味だから。でも、好きでこんなふうに生まれたわけじゃないもの。大好きな白いレースがついたワンピースも、きれいなリボンも合わないのは、不条理だと思うの」

「不条理……」

「『道理に合わなくて、自分で納得いかないことだ』って、父さんが言ってた」

「まあ、世の中はいろいろと不条理なこともあるから……」

 小さくつぶやいた少年は、口を押さえ、浅いせきをした。

つゆくさもかわいい花だと思うが。君がレースのついた服が好きなら、着ればいいじゃないか」

「あたしには、きっと似合わないもの……」

 己の着飾った姿を想像し、ルチアは声を小さくする。鼻の奥がまたツンとしそうだった。

 そんな自分に、少年が少しだけ声を大きくした。

「君なら、『青空花ネモフィラ』の花の方が似合う」

「『青空花ネモフィラ』?」

 見たことも聞いたこともない花の名に、首をかしげて尋ねた。

「青空のような空色の花だ。東街道の先に、一面に空色の花の咲く場所がある。見渡す限り、地面を青空にしたかのように花が咲く。背丈は低いけれど、最高にきれいな花だ」

 少年はひどくなつかしげな声で言った。

 青空花ネモフィラ

 その名の花が咲き誇る、地面を青空にしたかのような場所──ルチアには想像できない光景だ。

 王都暮らしでは、大きな花壇や庭を見ることはあっても、見渡す限りの花畑を見たことはない。まして、空色の花の群生など、想像したこともなかった。

「似合わないと言って、ここであきらめたら、ずっと着られないじゃないか。人のことなんか気にするな。本当に好きなら着てしまえ。君はレースもリボンも、きっと似合う」

 少年の声が、胸に反響するように聞こえた。

 確かに自分は、何もしないうちに、あきらめていた。

 着る前から似合わないと、ただぐじぐじと残念がっていた自分に、その言葉はひどく刺さる。

 目の前に大好きなかわいい服があるのに、髪に付けたいきれいなリボンがあるのに、自分はずっと袖を通せず、手を伸ばすことができなかった。

 人の目が気になった。

 笑われるのが怖かった。

 似合わないと馬鹿にされるのが嫌だった。

 でも、このままあきらめて、大好きな服もレースもリボンも、この手にはできず、ずっと遠目でうらやましがって見ているだけ──

 こんなぐじぐじした意気地なしの自分でいるのは、もう嫌だ。

「本当に、『青空花ネモフィラ』みたい? レースもリボンも似合うと思う?」

「ああ。俺が保証人になろう」

 大きくうなずいた少年のフードがずれ、一瞬だけ、夕焼けの光を宿した切れ長の目があらわになる。

 ルチアは、ひどくどきりとした。

 青空花ネモフィラがどんな花かはわからない。

 でも、この瞬間、そんな花のような人になりたいと思った。

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