服飾魔導工房 (2)

 そして、本日の顔合わせはとりあえず終わった。

 フォルトはギルド長の仕事へ戻り、各自それぞれに動く。ルチアはヘスティアの付き添いのもと、技師達と打ち合わせの予定だ。

 フォルト以外がまだ部屋にいるうちに、技師の一人にぽんと肩をたたかれた。

「ルチアちゃん、大変だったなぁ」

 あまりにストレートに言われ、息をむ。

 さきほど自分の仮工房長役に不服を表明しかけたダンテは、まだ同じ部屋にいるのだ。

 だが、技師は軽く片目を閉じて続けた。

「昨日、親父のルーベルトが倒れたって聞いたが、大丈夫か?」

 言いながら、書類を持ち直した。そこにはとても小さい字で、『そういうことにしとけ』と書かれていた。

「ありがとうございます。たいしたことはないです」

「動けることは動けるんだよな?」

「はい、今朝、フォルト様からお見舞いを頂いて、むせび泣いていましたし」

 うそではない。父は大変に喜んで──また立てなくなっていたが。

「元々心臓が強くないんだ、しばらくは大人しくさせとけ」

「工房は息子に、今回の件は娘に任せられるんだ。安心して休むように伝えてくれ」

 二人の言葉に礼を言い、椅子に座り直した。

 自分達の会話に、服飾ギルドの者達が耳をそばだてていた気がする。

 技師達に、ずいぶんと気を使ってもらってしまった。

 父が倒れた、兄は工房を運営しなくてはいけない、結果、代理でルチアが来た──そういうことにし、風当たりを減らしてくれるつもりだろう。

 自分がよちよち歩きの頃から工房に来ていた彼らは、もはや、親戚のようなものだ。

「じゃあ、靴下編み機の変更についてお願いします!」

 ルチアは元気に自分の仕事を開始した。


 ・・・・・・・


 服飾魔導工房の副工房長となったダンテは、四階にある服飾ギルド長の部屋をノックした。

 フォルトの従者が扉を開けると、了承を得て入室する。ダンテは先ほどまでとは違い、きっちり上着に腕を通し、襟を整えていた。

「フォルト様、少しお時間をよろしいでしょうか?」

 白く艶やかな壁紙に大理石を磨き抜いた黒い床、調度も基本、黒。本と書類ケースはわずかの乱れもなく並べられ、窓からは青空しか見えない。

 いつ来てもここはのような部屋である。ダンテにはちょっと落ち着かない場だ。

「かまいませんよ。コーヒーをお願いします」

 従者にコーヒーを頼むと、ダンテにソファーを勧める。

 従者が出ていったため、二人だけで話す形となった。

「ダンテ、言いたいことがあるのでしょう? 今日は忙しいので、前置きなしで遠慮なくどうぞ」

「では、失礼して──あれは無理です」

 本当に遠慮なしに、きっぱりと言ってみた。

「『あれ』とは?」

 口角を上げつつ尋ねてくるフォルトにため息が出る。完全にわざとである。

「わかっているでしょう? ファーノ嬢ですよ」

「何がだめだと?」

「若すぎる上にかわいいときてます。どうやっても軽く見られるか、嫉妬されてつぶされます。でなければ、色恋の誘いでとされるでしょうね」

 二十一、間もなく二十二だというが、彼女は一段若く見える。いいや、この場合は幼く、と言った方がいいのだろう。

 服飾ギルドはいろいろと華やかな場所であり、恋愛は花盛り、容姿に自信のある者も多い。

 出入りする服飾関係者もまた華やかで──片っ端から花を摘み取ろうと声をかける者も、一定数いる。真面目でまっすぐな者ほど、そういった迷い道に堕ちやすい。

「大丈夫ですよ。彼女はそれなりに強いですから」

「まさか、ファーノ嬢にどこかの家の『糸』が?」

 庶民の素朴さが自然に見えたが、どこぞの貴族が糸をつけた者なのか──そう問いかけると、フォルトは首を横に振った。

「いいえ、ただの一本も。正真正銘、ファーノ工房在籍の服飾師ですよ」

 机の上に広げられた羊皮紙は三枚。それをちら見して、納得した。

 一番上に記された名前は、ルチア・ファーノ。

 そこだけしか見てはいないが、身元調査書だろう。

 昨日の今日で、詳細な経歴から交友関係まで情報を集めたか──服飾ギルド長、そして子爵家当主らしく、この上司の腕はなかなかに長い。

「ダンテは、わざわざ悪役ぶらなくてもよかったのでは?」

「悪役ぶってなどいませんよ。工房長の座に就けなかったのをひがんでみただけです」

 まるっきりの嘘ではない。

 王城とギルド、そしていずれは貴族相手の商売──聞く限りは自分が工房長になった方がましだ。服飾に関する経験値と、風当たりの強さに耐えうる神経なら上である。

 もっともなりたいかと言われれば、謹んでお断りしたいのが本音だが。

「それなら、副ギルド長を目指しませんか? 副ギルド長を二人にしてもいいと思っていますので」

「面倒なので嫌です」

 失礼を承知で言い切ると、フォルトが吹き出した。

 彼が自分に服飾ギルドの副ギルド長を打診してくるのはこれが三度目。

 冗談でない分、より悪い。

 現在の副ギルド長は四カ国語に通じ、国外を飛び回っている。国外の布に糸はもちろん、皮に毛皮、最近はようかいこつがいまで持ち帰ってくるすごうでだ。

 もっとも、国外での活躍に忙しすぎ、『幻の副ギルド長』とも言われているが。

「適材適所って言葉があるでしょう、フォルト様。私は高等学院にも入れない頭なんです。国外の言葉も無理ですし、金貨の勘定はできないですよ」

「それは経理の仕事です。あなたなら副ギルド長として、きっといい仕事をしてくれると思うのですが……」

 家庭教師をつけられても、高等学院の入学試験に三度落ち、母親に服飾学校にほうり込まれた。大変楽しい場所で青春をおうさせて頂いた上、目の前の男に拾われて服飾ギルドに入れたので、ありがたい限りだが。

 高等学院を出ていない者が、ギルド関係の役職持ちや幹部候補となることは少ない。

 もっとも、服飾ギルドの場合、フォルトがギルド長となってからは、年齢や学歴より、実力と各所との関係での昇進と異動が進められている。

 おかげで自分が『魔物素材担当長』などという役付きになれたわけだが──そこに今度は、『服飾魔導工房の副工房長』、それなりの出世には違いない。

「では、今回は、『服飾魔導工房』の副工房長として、ルチアの手助けと各種の取り回しをお願いします」

「微力を尽くさせて頂きます」

 目礼して言い切ると、上司は静かにうなずいた。そして、机の上の羊皮紙をまとめ、書類ケースにしまいこむ。

 しかし、フォルトがずっと『ルチア』と呼び捨てにしているのが、どうにも耳に残った。

 未婚のお嬢さんには『嬢』か『さん』、貴族位が上であれば『様』を付ける、それがいつものフォルトだ。

 彼が呼び捨てにする女性は、自分が知る限り、妻と子、そして親戚の一部ぐらいである。

「失礼ながらお伺いしたいんですが、ファーノ嬢は、フォルト様の『お気に入り』ですか?」

 それならば対応も変えるが──言葉の下にそう込め、遠慮なく尋ねてみた。

「意味合いはともかくとして、服飾師として気に入ったのは確かです」

「随分と買っていらっしゃいますね。功績を積ませて、いずれ、第二夫人に?」

「まさか。妻からはかされておりますが、忙しくて考える暇などありませんよ」

 気負いなく言い切るフォルトに、偽りの気配はない。

「では、鍛えて服飾ギルド幹部にスカウトする予定ですか?」

「それも一つですね。ルチアは工房長役をお願いしても断りませんでしたし」

「それは──フォルト様から勧められて、断れるわけがないでしょう?」

 服飾ギルド長で子爵当主からの依頼に、逆らえるはずがない。

 その上、振り返りたいほどの美丈夫からのスカウトである。若い庶民の娘ならばころりといって当然ではないか。

 まあ、ダンテも服飾学校で作ったドレスを見学者であるフォルトに褒められ、その場でスカウトされたからここにいるわけだが──自分には、この男に声をかけられた時点で、断るなどという選択肢は消えていた。

「違いますよ。ルチアは本当の服飾師です。私など目に入っていませんでしたから」

 青い目を糸のようにして笑う男に、思わず聞き返した。

「フォルト様が、目に入っていない?」

「初めて会ったときに、着ている服を先に確認されました。顔を見られたのはずいぶん後ですね。顔を褒める、家柄を褒める、地位を褒める。どれ一つなく、褒められたのは服と靴の組み合わせ、そして色の比率でした」

「あー……」

 申し訳ないが声が出た。

 それは完全に、服飾師フォルトの心をつかんだろう。

 このフォルトに対し、顔・家柄・地位を褒める女はごまんといる。

 服飾ギルド長の地位、裕福な子爵家当主。身体が強くないとうわさされる第一夫人に代わり、第二夫人を希望する者とて山ほどいるだろう。

 だが、己がデザインし、一部は縫ってまでいる服、その組み合わせを褒めてくれる者などそういない。

 本当にうれしげなの上司に、ダンテは内心でもろを挙げる。

 これは確かに、ルチアという服飾師がお気に入りになるわけだ。

「もちろん、ルチアに助けを求められたならば手を差し伸べましょう。害が及ばぬよう、雨風をしのぐがいとうも準備しましょう。もっとも、必要はないかもしれませんが」

「そうですか……」

 先ほどまで一緒だった緑髪の女性を思い返す。

 派手ではないが、華はあり、どこまでも明るく──大切に育てられた、チコリの青い花を思わせる者。

 服飾師として、フォルトの興味を完全に縫い付けただろう。

 後はここから、工房長としてやっていけるかどうか。

 自分は手助けは手抜きなくするが、実力がなければ下りてもらうだけだ。

 服飾ギルドは仕事と腕で地位が決まる場所である。例外はない。

 フォルトのお気に入りとて同じこと。

 ダンテは唇だけでつぶやいた。

「では──お手並み拝見といきますか」

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