服飾魔導工房 (1)

 晴れやかな朝、睡眠不足がはっきりとわかる顔を、ルチアはとことん水で冷やした。

 昨夜、どうにも眠れず起き上がり、キャミソールの胸元に小さなしゅうをした。

 図案は青空花ネモフィラ──ルチアには勇気の出るお守りのようなものである。

 服飾ギルドに行く服は昨日と同じ、襟と袖は丁寧に拭いた。

 昨日の夕方、服飾ギルド長であるフォルトから、正式な依頼状が父宛てに届いた。

 白封筒に金の飾りが描かれたそれは、ファーノ副工房長ルチアの、服飾ギルドへの派遣願い。別の言い方をすれば、『貸し出し』。

 初回契約期間は半年。提示された賃金は一ヶ月あたり、ファーノ工房の純利一ヶ月分に近い。破格の待遇である。

 ただし、ルチアの役職名は五本指靴下などを制作する仮工房、その『工房長』。

「ルチア、どうしてこうなった……?」

「わかんない」

 ぼうぜんとしつつ、父の問いかけに子供のように答えると、祖父がこくりとうなずいた。

「ルチアはかわいいからのうー」

 なぜそれが理由になるのかがわからない。

 だが、祖父が自分をかわいいと言ってくれるのは子供の頃からのことなので、ありがたく受け止め、否定はしないことにする。

「ルチア、嫌なら断るわよ」

 きっぱりと言ったのは母である。

 『これ、断れるのか?』と、後ろで苦悩する父に関しては無視された。

「受けるに決まってるじゃない。工房の窓のところ、雨漏りしてて直したいし、そろそろ糸巻きの機械を新しいのにしたいし、新しい服用の布も買いたいし。それに元々はダリヤからの仕事だもの、成功させたいわ」

「ルチアは、本当に『受けたい』の?」

「ええ、こんな機会は滅多にないもの!」

「わかったわ。困ったことがあったら言いなさい、絶対に一人で抱え込まないこと。いいわね?」

「はい、母さん」

 自分が強気に挑戦できるのは、きっとこの家族のおかげだ。

 何かあったとき帰れる場所がある、待つ家族がいる、それがとても恵まれていることを、ルチアは知っている。

「ルチア──いきなり嫁に行ったりしないよな?」

 なお、斜め上の台詞せりふを吐いた兄には、真横から全力で体当たりしておいた。


 そして本日、フォルト本人の迎えで服飾ギルドに行くこととなった。

 ご近所さんの驚きの視線を浴びつつ、なぜ服飾ギルド長が迎えに来るのだと問いつめたい思いだった。

 しかし、父に会っての挨拶、そして高級果物の詰め合わせかごをお見舞いに受け取って納得した。

 どうやら、昨日父が玄関先で目を回したのを心配していたらしい。

 家族は誰一人心配していなかったため、父はいたく感激していた。

 その後に連れてこられた服飾ギルドの三階、奥まった大部屋で、ここが五本指靴下の仮工房となると説明された。

 工房にするのがもったいないほどにきれいな部屋──それが第一印象だ。

 シミ一つない純白の壁、つややかな濃茶の床板、調度も白と濃茶。無駄な色合いがなかった。洋服が大変映えそうな場所である。

 ここで本日は顔合わせ、そして、ルチアが五本指靴下の説明をすることになった。

 そうして、白い丸テーブルについたのは六人。招集したのは服飾ギルド長であるフォルトである。

「資料は配った通りです。五本指靴下と乾燥中敷きは、服飾ギルド、商業ギルド、冒険者ギルドの連携事業となります。魔導具関係の品でもありますし、わかりやすく、『服飾魔導工房』と名付けることにします」

 五人はフォルトの言葉にうなずいたり、じっと資料を眺めたりしながら、続く言葉を待った。

「土地の確保は先ほど行いましたので、ここから至急、工房を建て、倉庫を準備します。こちらでできるかぎり下準備をし、量産体制を早く整えることを目標とします」

 土地の確保というのは、普通、一晩でできるものなのか、それとも服飾ギルド・商業ギルド・冒険者ギルドの三ギルド連携事業なので融通が利いたのか、一気に広がっている話に、ちょっとばかり動揺した。

 しかし、ここまできて自分が慌てても仕方がない。ルチアは息を整え、背筋を正す。

「『服飾魔導工房』の仮工房長として、ファーノ工房からルチア・ファーノ殿に来て頂きました」

 フォルトからの紹介後、立ち上がって挨拶をする。

「ファーノ工房のルチア・ファーノと申します。どうぞよろしくお願いします」

 馬車の中でフォルトから教えられたが、服飾ギルド員の役付きから専用スタッフとなるのは二人。魔物素材と服飾小物に詳しい者だという。

 黒ともとれる濃い緑の髪に、えとした緑目の青年が立ち上がる。

「ダンテ・カッシーニです。魔物素材を担当してきました。以後、お見知りおきを」

 薄いオリーブ色のベストとややタイトなズボン、そして細い麻糸で仕立てられたであろうシャツを着ている。足元は艶やかな茶の靴、夏向けで少しくだけた装いだ。

「ダンテには『服飾魔導工房』の副工房長をお願いします。魔物素材、それと付与についても詳しいですから」

 フォルトがそう言ったが、ダンテはそれきり口を開かなかった。

 その横、長い金髪を持つ美女が、笑みの形に表情筋を整えた。

「服飾小物を担当して参りました、ヘスティア・トノロです。よろしくお願いします」

 首回りから豊かな胸元につながるフリル襟の付いた、質のいい白いブラウス。きっちりと絞られたウエストから続く濃紺のロングスカートは、タイトで浅めのバックスリット入り。

 そのすばらしいボディスタイルを最大限に活かしつつ、品のある装いだ。

 見ているだけで口角が上がりそうになってしまう。

 もう、この二人の装いを間近で見るだけでも、本日来たがあったと思える。

 続いて、編み機関連の技師が二人、そして、服飾ギルド専属魔導師が挨拶をしてくれた。

 編み機関連の技師達はファーノ家の工房によく来ている。いつもは楽に話しているのに、この場では丁寧な言葉で、少々気恥ずかしげな感じの挨拶となった。

 服飾ギルド専属魔導師は、専任者というわけではなく、付与で必要なときに予定が合う者が来てくれるそうだ。魔導師は人数が限られている上に貴重なので、当然の形と言えた。

 そこからは、五本指靴下と乾燥中敷きをテーブルにのせ、説明に入る。

 火の魔石により、軽い乾燥魔法を付与した五本指靴下。

 グリーンスライムの粉を乾燥させたものを定着固定した、緑の中敷き。

 効果は靴の中の湿度軽減、激しい動きについてくる運動性、そして、足の病──水虫の予防。

 その話が出た瞬間、フォルト以外の男性陣が姿勢をわずかに変えた。

 全員が革靴、今は夏。詳しくは聞かないでおこうと思う。

 ルチアは口頭で説明することよりも、自分が作った五本指靴下を、皆が観察するように眺めているのに緊張した。かなり急いで作ったので、糸のつなぎ目がわずかに粗い。裁縫の腕を疑われたくはないのだが──そう思ってしまう。

 説明が終わると、全員に紅茶が配られた。

 技師達はすでに編み機の作り替えの方法を考え始めたらしい。紅茶には手もつけず、持ってきた編み機の設計図を確認している。

 魔導師は五本指靴下と乾燥中敷きを左手に、時折、右手の人差し指を揺らしている。付与のことを考えているのかもしれない。

「では、ここまでで質問のある方は?」

「一つ、よろしいでしょうか?」

 フォルトの問いかけに、魔物素材担当のダンテが手を挙げた。

「どうぞ」

「フォルト様、『ルチア嬢』を、今回の三ギルド合同の事業で、仮とはいえ、工房長にするとおっしゃいましたが、お間違いはありませんね?」

 アイスグリーンの目を細め、わざと『ルチア嬢』と呼んだ男に、皮肉のとげを感じる。

 だが、ルチアは少し残念ではあったが、腹立ちはなかった。

 オルディネの成人年齢は十六。

 ルチアはまもなく二十二になるが、ダンテから見たら、ぽっと出の小娘である。

 その上、名のある服飾工房で働いたわけでも、貴族位があるわけでもない。

 一時的とはいえ、なぜこんな大役を小娘にさせるのかと思われるのは当然だろうし、少々態度に難があろうと仕方がない。

「ええ、間違いはありませんよ」

 フォルトが机に肘をついて指を組み、口角をゆるりと上げる。

 その優雅な微笑ほほえみに、『半年だけです』、あるいは、『名目上ですので、支えてあげてください』そんなふうに穏やかに言うのではないか、そう思えた。

 しかし、整った笑みのまま、フォルトは言いきった。

「ダンテ、私の決定に不服なら、この計画から下りなさい」

 声は一つも上がらないのに、全員の気配が大きく揺れた。

「失礼致しました」

 低い声で男が謝罪し、椅子に背を預ける。

 空気が一段、冷えた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る