服飾ギルド長とワイバーン (5)

「では、『ルチア』。改めて、本日は急なお願いを聞いて頂き、感謝致します。無事進んで本当によかった。お疲れ様でした」

「いえ、少しでもお役に立てればうれしく思います」

 なんとか山場は乗りきったようだ。

「ここからは忙しくなりますね。魔物討伐部隊が最初の納品先となりますが、そこからは利権が絡むほどの取り合いになるでしょう。もし、ルチアやおうちの工房によこやりを入れるような者があれば、すぐにおっしゃってください。すべて私の方で対処します」

「……あの、本当に、そんなに大変なんでしょうか……?」

 ちょっと会議では聞きづらかった。

 確かに五本指靴下と乾燥中敷きのセットは、靴の中をさらさらにしてくれる。

 しかし、今もいろいろな靴の中敷きがあるし、靴下を履き替えることもできる。靴自体も夏靴と呼ばれる、布製で通気性のいいものが出回っているのだ。

 それほど大変だとは思えなかった。

「魔物討伐部隊だけではありませんね。おそらくは王城の騎士、革靴を脱げない文官、貴族、冒険者、高級品を扱う商人──皆が五本指靴下と乾燥中敷きを欲しがるでしょう。ここからは王都すべて、いいえ、いずれ国全体の取引になっていきますよ」

「え?」

 話が急に大きくなりすぎて、ルチアは聞き返す。

 本当にそんな規模になるのだろうか。あと、そんなに『水虫』になる人は多いのだろうか。純粋に疑問だ。

「あの、『水虫』なんかでそこまで……?」

「『水虫』なんか、ではありませんよ。魔物との勝負でも、騎士の対人戦でも、一瞬気がそがれれば終わってしまいます。それに、騎士だけではなく、文官も商人も皆一緒ですが、人間、『かゆさ』には集中力を持っていかれますから」

 フォルトは苦笑しつつ教えてくれる。まるで自分もかかったことがあるかのようだ。

「そうなのですね……」

「ぴんときていないようですが、蚊に複数刺された痛がゆさが四六時中、両足の靴の中にあると想像してください。布の裁断や縫い物が集中してできますか?」

「無理です!」

 つい大きな声が出た。そして納得した。それは絶対に集中できない。

 あと、フォルトが以前水虫だったことも理解した。

 今後、この話題は封印しておく方がよさそうだ。他の人にも絶対に言うまい。

「魔物討伐部隊は遠征で足場の悪いところを移動することも多いので、よりひどいのでしょう。それに騎士の靴に丈夫さはあっても通気性はありません。夏の鍛錬で三日も履けば、臭いもひどいものです。学院の騎士科の靴棚などは、息を止めて横を通るくらいでしたから」

「なるほど……」

 確かに、夏場は革でなくても靴の臭いは気になる。

 サンダルは涼しげだが、歩けば足の裏はどうしても汗でべたつく。五本指靴下は使わなくても、グリーンスライムの粉を付与した靴の中敷きだけというかたちでも増えそうだ。

「冒険者の靴も通気性より頑丈さを優先させるでしょうし、貴族男性は年中革靴です。高級品を扱う商人で布靴やサンダル履きというのも滅多にないでしょう。庶民でも、あらたまった場では革靴でしょうし」

「仕事用の作業靴の中にも、中敷きだけであればサンダルにも使えますね……ああ、冬のブーツの蒸れにもいいかも……広く使えますね」

 今、ルチアは完全に理解した。これは売れるだろう。

「いいものを正しく売れば、流通は必ず増えます。売れば売るだけ広がるでしょう。数さえ間に合えば、いずれ他国にも──」

 言葉の終わらぬうち、ヒヒン! と馬が高く鳴き、馬車が揺れた。

 ルチアはとっに背中を馬車の壁に付けたが、鞄は足元に転がり落ちる。

「申し訳ありません! 人が飛び出してきましたのでブレーキを! ぶつかってはおりません!」

 報告に来た御者の説明にほっとした。

 王都の中央区では、馬車の事故もたまに見かける。人が出なくてよかった。

「大丈夫ですか、ルチア?」

「はい、なんともありません。あ……」

 そして気づいた。鞄のふたが開き、中身が転がり出ている。

 あわてて拾ったが、スケッチブックはフォルトの足元。ページがぱらりと開いていた。

「これは、あなたが……?」

「あ、はい!」

 そっと両手で拾い上げた彼が、じっとを見ている。

 飾り袖の付いた水色のワンピース──今、ルチアが着ている服のもとだ。

 描いた希望素材はシルク、実際の制作は綿と、微妙に理想と現実の差が痛いが。

「ルチア、失礼なお願いとは思いますが、こちらを見せて頂いても?」

「え、ええと……」

 一瞬迷った。自分だけがわかればいいと思っていたので、画も字もかなり汚い。

 あと、夕飯のメニューや気に入った屋台などもメモしてあった記憶があり──

「服飾師として流用するような真似は、絶対にしませんので」

 フォルトのしんな声と目に、思わず呼吸を止める。服飾ギルド長相手に、そんな疑いはつゆほども持たない。

「いえ、違います! そんな心配は一切していません! あの、夕飯のメニューとかも書いてあって見づらいと思いますが、どうぞ!」

 あわあわと答えると、彼は真面目な顔で礼を述べてきた。

「ありがとうございます、ルチア。では、失礼して──」

 フォルトが最初からページをめくる。

 ぱらり、ぱらり。言葉はなく、その青い目がページを追う。

 時に目が細められ、口角が上がり、難しい顔になり──しかし、批評の言葉は一つもない。

 ルチアは鈍く胃痛を感じた。

 これではまるで、初等学院での遅れた宿題提出時、教員室での対面確認ではないか。

 落ち着かなさが最高潮となったとき、馬車が止まった。

 どうやら、ルチアの家の前に到着したらしい。

「とても美しいですね。それに楽しい──どれも服になるのが楽しみです」

 柔らかな笑顔のフォルトから、スケッチブックを返された。

 これはきっと、駆け出しのがんばりを、はるか高みから見るベテランの笑みに違いない。

 目の前のフォルトをワイバーンとするならば、自分は路地裏にちょろちょろ駆けるチビトカゲのようなものだ。

 できることなら、いつか、フォルトのデザインした服を見る機会があればいいのだが──

 さすがに本日の疲れで頭がぼうっとして、夢のようなことを考えてしまった。

「一人前の服飾師に対して、見せて頂くばかりでは不公平でしょう。私もデザイン帳を描いておりますので、よろしければ、今度ご覧になりますか?」

「ぜひお願いしますっ!」

 一段高い声が出てしまった。

 服飾ギルド長であるフォルトのデザイン画である。金貨を積んでも見たい。もっとも、自分が詰めるのは銀貨までだが。

 顔がにまにまと笑み崩れるのを必死に抑え、ルチアはスケッチブックを鞄にしまった。

「明日から、服飾ギルドの大部屋に、五本指靴下の仮工房を開きます。なるべく早く専用の建物と倉庫を準備したいと思いますが、まずは制作できる人員を育成しなくてはいけませんから。お願いできますか、ルチア?」

「はい、喜んで!」

 フォルトのデザイン帳が頭の中で躍る中、元気よく答える。

 服飾ギルドの皆様に説明するには、まずやり方をわかりやすく紙に書いてまとめ、担当者に詳細をお伝えし、職人さんと話し──作り方の理解が得られれば、自分の役目は終わりだろう。

 講師役なら少しはお給料もいいかもしれない。魔物素材の魔糸ぐらいなら買えるかもしれない──なんとも心が躍る。

「ルチアは、貴族や富裕層向けの服飾師を目指していますか? それとも、多くの店に自分の洋服を卸す方をご希望ですか?」

 不意の問いかけに、答えに迷った。

 『そうできたらいいですが』──そんなふうに当たり障りなく答えれば、笑われることはない。

 だが、ここで服飾ギルド長、いや、先輩服飾師相手に自分の気持ちをごまかすのも、違う気がした。

「どちらでもなく──私は、お客様一人一人にお似合いの服を作りたいです」

「そうですか、素敵な希望ですね」

 フォルトは笑わなかった。無理だとも他を頼れとも言わず、素敵な希望と言ってくれた。

 それが夢見心地になるほどうれしい。

「足元にお気をつけて」

 馬車の扉を開け、先に降りたフォルトが自分に手を差し伸べる。

 そういえば、貴族は馬車の乗り降りのエスコートもするのだったと思い出し、ルチアは素直に手を重ねた。自分の傷の多い爪が、ちょっとだけ気になる。

 だが、差し出された手に目を向ければ、人差し指と親指の先、針を使う者独特のタコが見えた。

 彼は縫い物も自分で手がけるらしい。それにちょっと驚き、とても納得した。

 服飾ギルド長フォルトゥナート・ルイーニは、間違いなく、服飾師だ。


 馬車から降りきったとき、先輩服飾師は大変いい笑顔で言った。

「ルチア、明日から『服飾魔導工房』の指導役──かり工房長をお願いします」

 本日最大のワイバーンが落下してきた瞬間だった。

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