服飾ギルド長とワイバーン (4)

 ようやく会議がまとまった後、ルチアは化粧室に行ったダリヤを追いかけた。

 追いついてその名を呼べば、彼女はちょっとだけ困ったで振り返る。だが、そこに心配していた陰りはなかった。

 このところ忙しくて、彼女とはなかなか会えなかった。

 ダリヤは結婚が決まっていた。だから、新居で落ち着いたら結婚祝いを持っていく──そう約束をしていた。

 内緒にしていたが、冬の終わりから母方の祖母の具合が悪く、ルチアは神殿の方に度々付き添っていた。そのまま亡くなってしまったのでばたばたしており、ダリヤと久しぶりに会ったのが今日である。

 イルマ経由でダリヤが婚約破棄をされた話を聞き、心配はしていた。

 だが、彼女のところへ行く前に、何事もなかったかのように『レインコート用に加工するかわいい布は、緑の塔に送って』と手紙が届いた。

 もしかしたら、まだ顔を見て話したくはないのかもしれない、そう思って距離を置いていたが、目の前の彼女からは、婚約を破棄された悲壮感はない。

 ダリヤは遠回しに聞かれるのを好まないし、通じにくい。なので、遠慮なく婚約破棄の理由を尋ねた。

「円満な婚約破棄よ」

 友はそう答えたが、口角が少し微妙な角度で動いている。表情をごまかすのが下手なのは、学生時代から変わらないらしい。

 その後、本音で聞いたところ、別の女と結婚するための婚約破棄だと言われた。

 ルチアは元婚約者──トビアス・オルランドの正気を本気で疑った。

 ダリヤと同じ魔導具師で、オルランド商会の次男。

 ダリヤはかわいく性格良し、頭良し、家事全般うまく、魔導具師としての腕もある。

 その彼女を捨てて他の女へ走るなど、愚か者としか思えない。

 大体、己の師匠がダリヤの父で、自分は兄弟子ではないか。己の立場はよく考えたのかと、そちらも深い謎だ。

 なお、顔はちょっといい。穏やかそうな青年で、ダリヤにけして馬車側を歩かせず、重いものは布の一巻きから自分が持ち、滑る足元まで目を配っていた。

 雨の日の商業ギルド前では、傘の位置と閉じるタイミングをダリヤに合わせていた。雨にびしょれにした片方の肩に、なかなかいい人だと思ったのに──とことん見損なった。

 次に会ったら挨拶などするものか、そんな子供っぽいことまでも考えてしまった。

 だが、目の前のダリヤは元婚約者に対する不満一つ言わず、自分に静かな目を向けていた。

 彼女が自分よりひどく年上のように感じられて、ルチアは話題を切り換えた。

 目立ったところで、先ほど彼女の隣にいた、スカルファロット伯爵の子息について話を向けてみる。あれほどの美丈夫、かつダリヤは婚約を破棄したばかり、ちょっぴり心配である。

 だが、『魔導具関係で協力しあう友人』とあっさり言い切られた。

 今のところ、恋愛の向きはないらしい。その顔に恋の熱は感じられなかった。

 本当にもう平気なのか、つらくはないか──聞いても自分ができることはそうなく、もっと気の利いたことが言えればいいのに、どうにも言葉が浮かばない。

 それどころか彼女は、五本指靴下の制作で、ルチアを巻き込んだのではないかと心配までしてくれた。まったく優しすぎる友である。

「ううん、いいもうけ話だからすっごくうれしいわよ」

 だからルチアは、元気のよすぎる声で答えた。

「もしかしたら、自分の工房資金もまるかもしれないし! まあ、実現は遠いだろうけど、夢は大きく持とうと思うの」

「がんばってね、ルチア」

 ダリヤは緑の目を細め、ようやく柔らかに笑ってくれた。

 ルチアの夢──それは服飾工房とお店を一緒にした、洋服工房を持つことだ。そこで、顧客一人一人に合わせた服を作りたいと思っている。

 十六歳のとき、この夢をとある服飾工房で話したら、見事に笑われた。

 『自分の洋服工房を持ちたいなんて夢物語だ、足元が見えていない』

 『店付きなんて、いくらかかると思ってるんだよ。貴族男の支援者でも見つけないと無理だろ?』

 『いっそ稼ぎのいい服飾師の男に嫁に行けばいいじゃないか』

 店付きの洋服工房は、服を作る素材はもちろんのこと、場所も人員もかなりの金額がかかる。それぐらいはルチアもよく知っている。

 多くはどこかの服飾工房に弟子入りし、そこの工房を継いで店に出来上がりの服を卸す。もしくは、貴族や裕福な商人とのつながりを得てから、自分の工房を持ち、オーダーメイドとして受けるのが一般的だ。工房も店も同時に持つというケースは少ない。

 だが、すぐに貴族男性の支援者や、嫁入りといった話になるのはなぜなのか。

 自分が若い女であること、爵位もない、裕福でもない庶民であること──そんなことは百も承知だ。

 服飾師になって洋服工房を持ちたいと思ってから、いろいろと調べ、せっせと貯金もしている。何より、ひたすらに腕を磨いている。

 笑われたことで少々落ち込みはしたが、あのときはダリヤとひたすらにおいしいものを食べて乗りきった。

 そして決めた。自分は絶対に人の夢を笑わぬ人になろうと。

 あきらめることなく、夢をかなえる機会があれば、それを迷いなくつかもうと。

 もっとも、店付き洋服工房は預金額的に、はるか先のことになりそうだが。


「工房までお送りしましょう」

 商業ギルドからの帰りも、フォルトゥナートが送ってくれることとなった。

 服飾ギルドの馬車に乗り込むと、来るときに彼の隣にいた従者が、書類を持って出ていった。

「すみません。彼には急ぎの届け物を頼んだので。商業ギルドから人をお借りしましょう」

「ええと、どうしてでしょうか?」

 向かいのフォルトゥナートに謝られる理由がわからない。ルチアは素直に尋ねた。

「未婚女性が、馬車で既婚男性と二人ではご不快かと」

「特に気にしません。むしろ商業ギルドから人を借りるのは、お忙しい時にご迷惑ではないかと思います」

 そこまで言い切ると、フォルトゥナートが表情をほどいた。

「お気遣いをありがとうございます、ファーノ嬢」

 自分は気遣ってなどおらず、当たり前に思えたことなのだが、これが貴族と庶民との感覚の差なのだろうか。ルチアはそう思いつつ、持っていた鞄を抱え直した。

「ファーノ嬢、今お召しになっているものは、どなたの作かお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「自分で作りました」

「とてもお上手ですね。『型』はどちらで?」

 ああ、服飾ギルド長も同じか、ルチアは少し残念になった。

 誰の作か、そう尋ねて、『型』──デザインと型紙が、どこのものかを確認する。

 つまりは、ルチアのオリジナルデザインだとは思わなかったのだろう。

「オリジナルです。デザイン画を描いて、そこから型紙を起こして縫いました」

 そう答えると、フォルトゥナートは目を丸くした。図星だったらしい。

「大変失礼しました。ファーノ嬢は服飾学校で学んだのですか? それとも、お家の工房の他に、どこかへ弟子入りを?」

「いえ、どちらにも行っていません。裁断や補正のやり方は服飾師の方にある程度教えて頂きましたが、デザインは我流です」

「我流……そうですか、その年齢で、大変な努力をなさったのですね」

「いえ、努力というほどでは……楽しかったです」

 過剰評価にちょっとだけ照れてしまうと、彼は服の話題を振ってくれた。

「先ほどは、服飾ギルドでもうわさの、ヴォルフレード・スカルファロット様がいらっしゃいましたが、どうでしたか?」

 その言葉に、ダリヤの隣にいた青年の記憶をたどる。

 黒髪に金目、人目をひくほどに整った美貌。長身痩躯で似合う服の幅はとても広そうだ。

 騎士服が大変似合っていた。それを考えれば、すぐに浮かぶのは貴族的なスタンダードな黒のえん服、そして色付きのドレススーツだが、ここはちょっとひねってみたくなる。

「そうですね、あの騎士服のようにかっちりした感じのもいいですが、もっとラフなものもお似合いになるかと思います。綿で白の一サイズ大きめのシャツに細身の黒のトラウザー、今フォルトゥナート様がお履きになっているような黒灰でウィングチップの靴……あとは、細めの麻糸を使った、生成りのノーカラースーツなどもお似合いになるのではないかと」

「……なるほど、それはヴォルフレード様に似合いそうですね。私も服装の組み合わせをもう少し学ばないといけないようです」

 なんということを言うのか、今現在でほぼ完璧ではないか。

「いえ、フォルトゥナート様は十二分に素敵な装いです! 今の総織込でも重くない灰銀のスーツにサマーシルクがとてもお似合いですし、見せる白の分量が完璧だと思います。ズボンの方も裾をわずかに細くして、夏向けに少しだけ短くしているのもいいですし、靴が黒に近い濃灰で、重すぎないのが絶妙なバランスです。それを見たので、スカルファロット様にも黒灰のウィングチップの靴などが合うかと思い──」

 一気に話してしまい、はっとする。

 向かいには、その青い目を細め、口元を指で押さえるフォルトゥナートがいた。

 本人を前に失礼だったと慌てたが、彼はいい笑顔になった。

「お褒めの言葉をありがとうございます、ファーノ嬢。服飾師として大変うれしく思います。ああ、私のことは『フォルト』と呼んで頂けませんか? 今後、ご一緒に仕事をするわけですし、ちょっと長い名前なので、忙しいときには不便ですから」

「わかりました、フォルト様。私のことも『ルチア』とお呼びください。ファーノと呼ぶと、家族一同でお返事することになりますので」

「そうさせて頂きましょう、ルチア嬢」

 『ルチア嬢』──ちくり、思い出がわずかにささくれる。

「あの……フォルト様、できましたら、『嬢』と付けるのはおやめ頂ければと」

「何か、ご不快ですか?」

「不快ではありませんが、服飾ギルド関係の男性が敬称なしであれば、そちらでそろえて頂く方がありがたいです。その──服飾工房によっては、『嬢』と付けると、お手伝いの女性という意味合いになることがありますので」

「これは失礼しました。今までそうとは知らず──」

「いえ、すべての工房がそうだというわけではありませんし、ご存じなくて当然だと思います。服飾ギルドの女性には『嬢』と付けるのが一般的なのでしょうから、どうぞお気になさらないでください」

 服飾ギルド長、そして子爵のフォルトが知らずとも、当たり前である。

 自分も服飾工房の手伝いに行って初めて知ったのだ。

 『ルチア嬢』と呼ばれること自体は嫌ではなかった。その工房にいた人達も親切だった。

 だが、そう呼ばれた自分がしたことは、お茶出しと掃除、客の案内だけ。重い糸や布の箱を運ぶこともなく、裁断の大バサミに触れることもなく──二週間、針一本持つことはなかった。

 その工房では、女性はあくまで雑用助手、そんな扱いだったのだ。

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