将来の夢と服飾師 (1)

「将来の夢って、何を書けばいいのかしら……」

 初等学院に入って数年目、ルチアは渡された乳白色の紙を前にじっと悩んでいた。

 オルディネの王都に住む子供の多くが通う初等学院。

 子供達は、そこで、国語、算数、理科、歴史、体育、国の法律、基礎魔法などを学ぶ。

 オルディネ王国は、高い魔力を持つ者が多く、火や水などの魔石の産出国としても有名だ。よって、初等学院でも魔法に関する授業がある。高い魔力を持つ者はそれを制御する実習授業も必修だ。魔力の少ないルチアには縁のない話だが。

 基礎科目以外は選択式で、教科ごとの試験に合格すれば次の単元に進める方式なので、入学年齢も卒業年齢も幅がある。得意不得意は人によって違うので、当然だろう。

 だが、隣国のエリルキアでは、初等学院ならぬ基礎学校というものがあり、一定年齢になると自動的に通うと決まっている──歴史の授業でそう聞いて、ずいぶんと驚いた。

 今は国語の時間。目の前にあるのは乳白色の紙。

 教室の黒板に書かれた宿題は『将来の夢』。

 休み二日をはさんで来週までに書いてくるように言われ、教師を見送ったのが今である。

 すでに何を書くか、周囲では生徒達が盛り上がり始めていた。

「なんて書く?」

「大工! 親父の跡を継ぐから」

「俺は冒険者! お前は?」

「船乗りって書きたいけど、長男で家を継がなきゃいけないから、靴職人かなぁ、やっぱり」

「将来の夢だもん、船乗りって書いちゃえよ!」

「でも親父とお袋に見られたら落ち込まれそうでさ……」

 子供達の将来の夢は多岐にわたる。

 騎士、魔導師、王都の衛兵、冒険者あたりは鉄板の人気である。

 国のあちこちに出る魔物と戦う魔物討伐部隊も人気だが、王国騎士団に入らねばなれぬため、庶民にはちょっと遠い夢だ。

 最近、人気が出てきたのは船乗りだ。あずまくにから大きな船が港に来た影響かもしれない。他国に行ってみたいという子も多くなった。他にも、家業を継ぐ、各種職人、料理人、農業、牧畜など、教室内からは様々な職種が聞こえてくる。

 だが、夢がある話ばかりではない。

 斜め前の机では、子爵家の息子同士が大変しぶい顔を寄せて話をしている。

「夢も何も、もう決まっているからな。高等学院の文官科に行ってから、領地に帰って家を継ぐだけだ」

「領地を豊かにするのが夢とでも書くか?」

「いいかもしれんな。お前は実家に帰るのか?」

「いや、家は兄が継ぐから戻らない。兄は第二夫人の子だから、俺が戻ることで勘違いされたくないからな。高等学院の騎士科に行ってから、騎士団に入れればと思っている。だめなら国境警備兵に志願かな」

 彼らは貴族の子息である。普段は他の男の子と同じく、騒いだりなんだりしているが、こういったときは年齢に合った子供らしさがすっぱり抜ける。

「嫁ぎ先が決まっている場合、『お嫁さん』とか『嫁入り』と書くべきなのでしょうか、それとも『相手の家の手伝い』と書くべきなのでしょうか……」

「そこは迷いますわね。私は婿を取る側ですので、何と書いていいものか……『領地経営』では、夢とは違う気もするのですが……」

 さらに大人びているのは貴族の少女達である。

 一人には幼い頃から許嫁いいなずけがいるそうだ。ルチアと近いとしだというのに、もはや、別世界である。

 初等学院には貴族も庶民もいる。家庭教師が付き、初等学院に入らない貴族もいるが、入れば皆同じ条件で学ぶのだ。

 初等学院に入る前は、貴族とはどんなにきらきらしたものかと憧れもあったが、一緒に学んでみれば違った。

 貴族は確かに裕福な者が多いが、それは大きな商家の子供と大差ない。多少、わがままな子もいたが、将来の話になると妙に現実的になる。

 貴族というのもなかなか大変らしい。


「将来の夢……」

 白い紙を手にまだ思い浮かばずにいると、カリカリというリズミカルな音に気づいた。

 視線を向ければ、左に座る友が、すでに紙の上半分を埋めていた。

 間違いなく、家に帰る前に終わらせる気である。

「将来なりたいものって、ダリヤはもう決まっているわよね?」

「魔導具師!」

 間髪入れずに答えが返ってきた。完全に予想通りの回答である。

 もっとも、この友人にそれ以外の選択肢があるとは思えないが。

 隣の席に座るのは、小さい頃からたまに遊び、初等学院の入学式からずっと一緒の友である、ダリヤ・ロセッティだ。赤髪に緑の目で、ルチアより少し背が高い。

 魔導具師とは、魔石や魔物素材などを使って、いろいろな効果を持つ道具を作る仕事である。ここオルディネ王国では、魔力持ちがなる一般的な職業だ。

 このダリヤは、魔導具が大変に好きである。祖父も父も魔導具師だからか、ルチアが最初に会った五歳のときには、もう魔導具に夢中だった。

 父親の作業場の傍らに、すでにダリヤ専用の作業スペースまであったのだ。本だけではなく、魔石に魔物素材までそろっていた。

 この国は火や水の魔力を込めた魔石を、魔導具の動力として使う。だが、火の魔石には火力があり、火傷やけどの心配もある。火だけでなく小さな子供が水の魔石に悪戯いたずらをし、溺れた事故もあるのだ。

 そんな危険もあるというのに、ダリヤの父はたくさんの素材を彼女に与えていた。

 今思うと、幼児に対して完全におかしいが──結果が今のダリヤなので正解なのかもしれない。

 ちなみに、そのダリヤは宿題や課題をできるかぎり学校で終わらせて帰る。家に帰ったら父から魔導具のことを教わるためだ。

 ダリヤの身体の半分、じつは魔導具が詰まっていると言われても驚かない自信がある。

「じゃあ、高等学院は魔導具科? ダリヤは成績がいいから、魔導科も受けられるんじゃないの?」

「受けないわ。魔導具科だけ。落ちたらもう一回受けるから」

 オルディネ高等学院で人気があるのは、魔導科、騎士科、文官科。

 魔導具科はその一段下になると言われているのだが、彼女は気にしないらしい。

 中には、魔導科に入って魔導具師になる者もいるのだが、その選択肢はないようだ。

 将来なりたいもので、ダリヤから魔導具師以外の単語を聞いたことがないので、当然かもしれないが。

「ルチアは決まってる?」

「やっぱり縫い子かな。それか家の工房の手伝いで、手袋と靴下を作るようになるかも。それで、お金をめて、自分用のかわいいお洋服を作ろうと思ってるの」

 そう答えると、ダリヤが紙に滑らせていた炭芯の筆を止め、不思議そうに尋ねてきた。

「ルチアは、お洋服をデザインして売る人にはならないの?」

 その発想はなかった。

「洋服をデザインするのは──あれは服飾の学校に行くか、服飾工房の弟子になって何年も修業しなきゃいけないから……」

 洋服をデザインし、ゼロから制作するのは『服飾師』という仕事だ。

 楽しそうだとは思ったが、とても大変だと聞いている。

 服飾師は、服をゼロから作り出し、形にする仕事である。どんな形でどんな色にするか、何の布を使うかを決めるので、布にも糸にも詳しくなければいけない。

 服の作り方を一から十まですべて知らなくては作れないのだ。なかなか大変な仕事である。

 それに、服飾の学校に行くにはそれなりにお金がかかる。かといって、服飾工房の弟子になるには紹介がいるだろうし、基本住み込みだ。初等学院を卒業したら、家から出なくてはいけなくなる。

 ファーノ工房では子供といえど、ルチアも戦力の一人である。いなくなったら困るだろう。

 考えれば考えるほど、難しく思えてくる。

「ねえ、ルチア、自分でデザインして、自分で作ったら、駄目なの?」

 澄んだ緑の目が、じっとこちらを見た。

「ええと……いつか古着かお手頃の服を買って、そこにリボンやレースを付けて、かわいい服に作り変えていこうと思ってはいるけど、何もないところから作るのは難しいわ。服の作り方ってよくわからないし」

「どうして? ルチアはを描くのもお裁縫もとっても上手じゃない。勉強したら、きっと自分でかわいいお洋服が作れるようになると思うわ」

 ダリヤに信じきった顔で言われると、もしやできるのではないかと思えてくるから不思議である。自分でデザインして、自分で作る服──胸がうずうずした。

「できると、思う?」

「うん。これを書き終えたら、図書館に服の本を借りに行かない?」

「そうね、ありがとう、ダリヤ!」

 その五分後、ダリヤは『将来の夢は魔導具師』と記した作文を書き上げた。

 図書館へ行く前に、教師に提出していたが、早さにとても驚かれた。

 そうして、二人で手をつないで図書館へ行った。

 ダリヤが司書と共に借り切れぬほどに多く本を見つけてくれたので、書名を必死にメモした。

 その日から、ルチアは服飾関係に関する本をせっせと借りて読んだ。

 学院の図書館から借りられる本は一回二冊で紙の本だけ。羊皮紙でできたお高い本は、図書館内で読むしかない。自然、図書館にいる時間が増えた。

 ダリヤが時々付き合ってくれたが、途中からはほとんど一人で読み、メモをとって学んだ。

 服飾師の学校に行かなくても、服飾師にはなれること。服飾工房は王都に多くあること。

 服づくりも、いくつも工程はあるが、一つ一つを覚えればけして難しくはない──そう思えて、ルチアは目の前が明るくなった。

 たくさんの布と糸の素材、国と地域によって違う装い、服の基本的な作り方、すでにある服の補正──本は自分に様々なことを教えてくれた。

 オルディネ王国のあちこちで出てくる、怖い魔物。魔物討伐部隊や冒険者が倒すそれが、布や糸の付与素材に使われることには驚いた。

 また、魔力を持つ昆虫、かいこは絹より丈夫ないとを吐くこと、飼い慣らされた魔物であるようの毛は、とても暖かな布になることも知った。

 家の工房でもたまに特殊な布を見ることはあったが、なんの魔物から、どんなふうに採るのか、性質がどうなのかを知るのは、とても興味深かった。

 一番ルチアをうっとりさせたのは、ドレスづくりの解説だった。

 ただの一枚布が、ハサミと糸で美しい洋服に変わる。それは羽化するちょうを見るようで……

 もしかしたら、かわいいお洋服やきれいなお洋服を、思うがままにこの手で作る仕事ができるかもしれない──ルチアは一人で本屋に行き、初めて型紙のついた服の本を買った。

 おこづかい半年分の金額のそれは、ルチアの大事な宝物となった。

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