将来の夢と服飾師 (4)
「……ラニエリ、お前は弟子を取らないと聞いていたと思うが?」
思わず耳が立った。彼の元で学べたらどんなにいいだろう。
だが、子供の自分では仕事の邪魔になりそうだ。それに家の工房もある──そう思って言葉を出せずにいると、ラニエリが口を開いた。
「私は弟子を取れない。それに、弟子を取ったら、私と似た服を作り、私が目指す服を目指すようになってしまうかもしれないだろう? 若いうちほど、誰かの複製になってしまう可能性は
「……まあな」
父が言い
「それが悪いと言っているんじゃない。先人の
「自分の形……」
「ああ、私の複製ができてもつまらないじゃないか。ルチアはルチアの作りたい服を描けばいい。もし、いつか誰かと同じ物が作りたいと思ったら、そのときにその服飾師の弟子を目指せばいいさ」
ラニエリから見せてもらった服は、きれいでかわいかった。
だが、まったく同じものを作り続けたいかと問われれば、今の自分にはわからない。
「デザイン画の描き方から覚えるといい。服づくりでわからぬことがあれば、質問に答えよう。技術は私ではなく、専門家から学ぶべきだ。縫い子はプロ中のプロが家にいるわけだし、取引先にとてもうまい型紙起こし師と裁断師がいるから、必要になったら紹介しよう」
自分の迷いを見透かしたかのように、ラニエリは言った。
「ラニエリ、師匠じゃなく、教師になってくれるわけだな。じゃあ、授業料は何がいい?」
「そうだね……ルーベルト手製の靴下を、毎年一ダースお願いするよ」
「わかった、ついでに黒エール一ダースも付けよう」
「それは大盤振る舞いだね」
「あの、私からも少しは!」
おこづかいと工房の手伝いをしている分で、黒エール数瓶は買える──そう思って言うと、ラニエリは大きく笑った。
「ではルチア、授業料として、いつか私にイカしたスーツを作ってくれ」
「わかりました、きっと作ります!」
その日から、ルチアはラニエリに時折会って学んだ。
父と一緒に彼の工房に行くこともあったし、ラニエリがふらりと家に来ることもあった。父もラニエリも仕事で忙しいので、どうしても時間はまちまちだった。
そして、ラニエリから服づくりを教わっていると言うことは、本人と父から口止めされた。
彼の服飾工房は歓楽街にある。また、花街の者達の服も多く手がけるので、子供のルチアが出入りしていると知られるのは、あまりよろしくないらしい。
そういったことは、まだ初等学院生の自分にも、なんとなくわかった。
ラニエリの工房に行く時、ひどく酔った者とすれ違い、遠くで喧嘩の声を聞いた。毎回フード付きマントをかぶる理由を、ルチアはようやく理解した。
工房に行くのは、いつもいつも待ち遠しかった。
一日も早く、年齢も腕も一人前になりたいと思った。
最初に教わったのは、デザイン画だ。
覚えるのは楽しかったが、そこから服の前と後ろを考え、服として型紙を起こすのは、なかなか難しい。どうやっても着られない服を描いてしまうことも多々あった。
型紙起こし師と裁断師には、ラニエリの工房で会った。二人とも、ラニエリの紹介ということで、親切に基礎を教えてくれた。
なお、縫い物に関しては、祖母と母から教わることが多く、そして細かくなっただけだった。家族の服のボタン付け、繕い、裾上げから始まり、気がつけばスカートが縫えるようになっていた。
一方、初等学院の成績はゆっくりと下がった。
進路指導の教師には心配されたが、ルチアにはなんでもかんでもできるような器用さはない。
初等学院卒業後は家の工房で働きつつ、服飾師を目指すと話した。家族の了承も得ていたので、止められることはなかった。
ただし、服飾師になるならば、算数、そして暗算を鍛えろと教師に言われ、個人的に計算の課題まで渡された。
自身の担当教科だからだろうと突っ込みたかったが、父と兄が編み機の段数計算で苦悩する姿を目に、素直に暗算は鍛えた。後に、これほど役立ったものはなかった。
そして初等学院卒業後は、家の工房で働きつつ、服を作り続けた。
そうして季節をいくつも越える中、ラニエリの工房にいるときに、貴族の使いが来た。
舞踏会のドレスの打診らしかった。しかし、彼は中に招き入れることすらせず、自分には貴族の服が作れる腕はない、そう言って断っていた。
貴族のドレスであれば、売値も高く、よりよい素材が使えるはずだ。ラニエリの服飾師の腕も問題ないだろう。
だが、ラニエリの珍しく少し不機嫌な顔に何も聞けなかった。
帰り道、どうにも気になったルチアは、父に尋ねた。
「ラニエリはあんなにきれいなお洋服を作るのに、どうして受けなかったの?」
「ああ、それはだな……」
父は一度言い淀み、ルチアの目をまっすぐ見た。
「もしかして、お前もいつか、どこかの工房に入るかもしれないから教えておく。昔はあいつも貴族相手に洋服を作っていたんだ。けれど、貴族の不興を買って、服飾工房を辞めさせられた」
「不興? 作ったものが気に入ってもらえなかったの?」
ラニエリの服はとてもきれいでかわいいと思うのだが、趣味の方向が違ったのだろうか。
「いいや、とても気に入られた、それで『お抱え』にしたいと言われたんだ」
「どうしてならなかったの?」
「ラニエリが断った。自分は望んでくれる皆の洋服を作りたいと。貴族にも庶民にも、オルディネ以外の民にも、花街の人達にも、身分も性別もなく、望まれた美しい服を届けたいというのがラニエリの夢だった」
すばらしい夢ではないか。だが、この時点でルチアにも想像はついた。
「お抱えの話を断られた貴族は面白くなかったんだろう。工房に圧力をかけて、ラニエリは首になった。その場で追い出されて──辞めるときに持ち出せたのは、腰袋に入れていた自分のハサミと巻き尺、左手につけた針山だけだったそうだ」
「ひどい……」
あまりにひどい話である。
かわいい服、きれいな服、かっこいい服。素敵な服を着るのに、貴族も庶民もないだろう。
いいや、貴族であればこそ、どうしてそんな了見が狭いことを言うのか。ルチアは憤った。
「服を作ってもらっていた花街の者達があそこの二階と三階を借りて、布屋が布と糸を貸して、俺がアイロンを持ってって、他の友達は食料を持ってって……あそこはほとんど借り物で始めたんだ。それが今は全部、あいつのものだ。すごい男だろう?」
「うん、すごい人だと思う!」
ルチアは心からそう答えた。そしてもう一つ、どうにも気にかかっていたことを口にする。
「それに、ラニエリって服飾だけじゃなく、美容の面でもすごいと思う」
中年太りには縁のなさそうなすっきりとした身体、艶のある皮膚と髪。皺も本当に少ない。
ぱっと見ただけでは、父母と同世代だというのがどうにも信じられないほどだ。
ルチアが成長するにつれて理解できるようになったが、ラニエリの若さはすごいとしか言いようがない。年齢に完全に
「あいつは昔から見た目に全力を注いでいるからな……稼ぎの半分ぐらいは『美容』に使ってると思うぞ。風呂は一時間以上だし、化粧はうまいし。今はとても苦い魔物の粉を飲んでるそうだ」
入浴や化粧はわかるが、そこでなぜ魔物の粉が出てくるのか。
「魔物の粉って、身体に悪くないの?」
「いや、逆に胃薬になるぐらいにいいそうだ、
「すごいのがあるのね!」
そんなものがあるならば、庶民だろうが貴族だろうが高くても売れるに違いない。
自分も歳を取ったらそういったものを飲めば、若い見た目を維持できるのだろうか? かわいいお洋服を着続けるために、いつかそれを飲むのもいいかもしれない──そんなことを考えていると、父が大変苦い顔をした。
「試しに一口飲ませてもらったが、あれはない。絶対ない。そもそも食べ物の味ではない。口の中に入った時点でひたすらに苦い」
「そんなにひどいの? 味わわないで一気に飲んでもだめ?」
「一口だけなのに胃から苦さが上がってきて、三日は引かなかった。何を食べても苦かった。ダイエットにはいいかもしれないが……ああ、だからあいつは太らないのか」
おいしい食事は、人生の幸せの一つである。
ルチアは魔物の粉による若返り方法については、きっぱりあきらめることにした。
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