服飾ギルド長とワイバーン (2)

 ただし、ダリヤに付き添ったルチアは知っている。

 彼女は確かに自分のことより泣いている生徒を気遣った。しかし、その目は棚のポーションと薬草の入った瓶に向けられており、順番がくるまで興味津々に眺めていたことを。

 また、ダリヤが初めて遅刻をしたときには、迷子のおさなを家に送り届けていた。

 衛兵に任せようとしたが大泣きされたので、身振り手振りで家を聞きながら、一緒に家まで送ったのだという。当日は大事な試験があったのに、だ。

 なお、ダリヤはおさなを家に送り届けてすぐ、名乗らず学校に戻ったため、おさなの両親が、初等学院の制服を頼りにお礼にやってきた。

 そのおさなの父は外交官。母子は共に隣国から来たばかりで、言葉が通じなかったらしい。迷子になった方も探す方も大変だったと聞いた。

 結果、いたく感動したご夫婦が『オルディネの学生は大変に親切だ』と、絶賛して帰ったという。

 その話が広がったせいかどうかはわからぬが、翌年、隣国からの留学生が大幅に増えた。

 なお、ダリヤは試験の受け直しができることにあんしたものの、一夜漬けの記憶が流れ去ってしまったと半泣きで、学院長に褒められたことも右の耳から左の耳に流れていた。

 巻き込まれたり巻き込んだりしつつも、誰にでも優しく親切で、時折ちょっとズレている、それがダリヤである。

 しかし、もう一つ気になる単語があった。

「『五本指靴下』、ですか?」

 フォルトゥナートの言った『五本指靴下』は、ダリヤに頼まれて作ったものだ。

 ダリヤの父カルロが夏の革靴を嫌がるので、汗対策にしたいとお願いされた。

 靴下なのに五本指に分かれたそれは、まるで履く手袋。ルチアはその形状に笑いながらも、靴下編み機と手袋編み機を併用し、十足ほど仕上げた。

 ダリヤはそれに火の魔石を使って魔法を付与し、軽い乾燥機能のついた靴下にするのだと言っていた。

 あの靴下を届けた日、ダリヤは悪戯いたずらをする前の子供のように楽しげに笑っていた。

 残念ながら、その後にカルロが急逝し、履かせられなかったそうだが──それが今になってどうして出てくるのか、そして、どうして服飾ギルド長が工房に来ることになるのか、まるでわからない。

「はい、『五本指靴下』を早期に購入したいというご希望がありまして。急なことで恐縮ですが、そのため、ファーノ工房長に、これから商業ギルドへご一緒して頂けないかとお願いに参った次第です」

「も、申し訳ありません……ちょっと具合が……」

 椅子に斜めにもたれる父が、さらに青く、平たくなった気がする。ブルースライム化する父は、動ける気配がまったくない。

 母が父を見て目を細めた後、同じ部屋にいる祖父へ声をかけた。

「おさん! この人の代わりに商業ギルドに行ってください」

「え、あ、いや、俺はもうとしでな……老い先短く、物忘れ激しく……」

 さっきまで糸巻きを若人の三倍速でびゅんびゅん回していたのは誰だ? じと目を向けたが、そっと視線をそらされた。

「マッシモ!」

「いや、今日は納品があるし……もうちょっとで糸が届くから、運ぶにも力仕事だし……」

 消え入るような声の兄に視線を向けたが、合わせようとしない。

 今日の納品は数がないから楽だ、たまには夕食を食べに行かないかという話を、三十分前にしていた記憶があるのだが、思い違いだろうか。

 あと、糸が箱で届いたところで、一箱あたりはルチアでも玄関から棚まで運べる重さである。何の問題もないはずだ。

「ルチア」

 母の声が静かに自分を呼んだ。その目を見れば、妙に澄んだ青である。

 大変に嫌な予感がした。

「今日からファーノ工房の、『副工房長』になりなさい。元々、ルチアがダリヤちゃんの靴下を作ってて、一番詳しいんだから」

「えっ?」

 五人家族の工房で副工房長とは何なのだ? 副工房長手当は絶対に出ないだろう。

 こういうときにうちの男どもからは、『俺が行く』のかっこいい一言はないのか。

 父はまだ起き上がらず、祖父はわざとらしいせきをし、兄は作業用テーブルに視線をずらして、こちらを見ない。

 状況から考えて、拒否権はない。本当に不条理だ。

 しかし──ルチアはひらめいた。

 作ったのは靴下だが、行く先はなかなか行くことのない商業ギルド。フォルトゥナートが参加するということは、他の貴族が参加する可能性もある。

 もしかしたら、普段見ることのない、他国の装いや貴族の装いが見られるかもしれない。

 これはすばらしいチャンスではなかろうか。

「ええ、わかったわ!」

 そして気づく。今の格好は糸がくっついてもいいワンピースに作業用スモックだ。

 このまま商業ギルドに行き、打ち合わせに参加するのは失礼だろう。

「大変申し訳ありません! 身繕いに少々お時間を頂けないでしょうか?」

「もちろんです。お待ちしますので、お急ぎにならないでください」

 フォルトゥナートは笑顔で了承してくれた。

 ルチアは会釈の後、部屋の中では早足に、廊下からは全力で自室に走った。

 自室の白いマネキンが着ているのは、一昨日仕上がったばかりのこんしんの一着。

 飾り袖の水色のワンピース、襟付きで首元にはワイン色のショートタイ、ふわりとした半袖は水色と淡い黄色で交互切り替え、袖口はリボン風にまとめている。腰のリボンはウエストよりやや高め、スカート丈は膝の出ない長さ──これならば失礼には当たるまい。

 その前に作っていた白い薄地の上着、長く薄い肌色の絹靴下、かかとのある白いパンプスに、白い手袋。いつも使う大きめの革かばんには、ちょうどスケッチブックと筆記用具、ハンカチ二枚が入っている。

 髪を結い直す時間はない。顔は白粉を薄くはたき直し、口紅を塗った。

 縫い物と洗い物で少々手が荒れているが、これはどうにもならない。

 そうして、ルチアはすぐ工房に戻った。


「お待たせしました!」

 家族一同には、『それを着てきたか、ちょうどよかった』と目で言われた気がする。

 ここ一ヶ月、試着をしては意見を聞きまくっていたので、当然かもしれない。

 気になるのはフォルトゥナートである。

 急とはいえ、貴族の方々と同席するのに、この服装でよいのかどうか判断がつかない。

 少しばかりの不安を抱きつつ視線を向けると、青い目がちょうど自分を見て──いいや、違う、これは自分の服だけを見ている、そうわかった。

 フォルトゥナートが工房に入ってきたとき、自分がその服を見ていたように、今度は彼が自分の装いを確認している。青い目に光がゆらりと動いたのが、なんとも気になった。

 水色のワンピースのラインはとことん自分に合わせて補正した。

 予算の関係上、布はシルクではなく綿とサマーウール。タイの布だけは上質なものを使用しているが、靴は特売品、鞄にいたっては学生向けの使い回しである。現在、貯金に懸命なため、ここまでは予算が回らなかった。

 ほんのわずかにうなずき、フォルトゥナートはにっこりと笑った。

 その表情からして、とりあえず合格点は頂けたらしい。

「……とても素敵な装いです、ファーノ嬢。では、参りましょう」

 立ち上がり、自分に向かって差し出された手のひら──相手は服飾ギルド長、子爵家当主である。相手が庶民でも女性のエスコートは当たり前のことなのかもしれない。

 少々慌てたが、幼い頃の赤茶髪の少年によるエスコートを思い出し、初めてのことではないと自分に言い聞かせる。

 ルチアは営業向けの笑顔で指を重ねた。

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