第4話 静寂と隣人

『ほほう、昨日はカレーですか先輩。そんな植物顔で、意外と料理得意なんですから』

私の顔はそれほど料理下手に見えるのか。そのことを問い詰めたい衝動にかられるが、いちいち取り合うほどのことでもない。落ち着こう。

「そういう矢賀さんはどうですか?きちんと食べられていますでしょうか?」

私の話はいいのだ。彼女の話をしっかり聞かないといけない。

『そらもう、寿司、天むす、お茶漬け、ですよ! ばっちり食べてますよー』

上から順に米、米、米だ。確かに前から彼女は偏食の傾向があったが、一人でのおうち時間が増えてその傾向が加速しているのかもしれない。

「……炭水化物ばかりですね。個人の趣味嗜好だから口うるさく言うつもりはないのですが、栄養バランスを考えるといいかもしれません。もっと野菜とタンパク質を取ると、とても良いかと思います」

私も専門家ではないが、流石に少し心配になる食生活だ。矢賀さんは全然太っていないどころが、恐ろしいほど細身。セクハラになるから指摘することはしないが、上司として多少は気をかける必要がある。

『オヤサイキライ』

画面の向こうで彼女は喉をとんとんと叩きながらそんなことを言う。野菜だってとても美味しいと思うが、これも個人の趣味嗜好。

「まあ、少し気にかけるだけでもいいから……ね」

ちなみにこれは雑談であって雑談ではない。テレワークで会う機会が減るということで、しっかり上司・部下の間でコミュニケーションを取るようにと会社から指示があったのだ。そういうわけで、少なくとも一週間に30分から一時間程度はこのような機会を設けるようにしている。

『可能な範囲でできるかぎり前向きに善処しますうー。そんなことより最近なんか面白いことないっすか!?』

絶対これは気にもしていないだろうとは思う。しかし、彼女は面白い話題に飢えているのかそんなことを聞いてくる。正直そんな面白いことは全然ない。

「……ないですね」

隣人の彼女のことが頭をよぎった。話題に出すほどのことはないと判断して、その一瞬のひらめきを黙殺した。

『あ、ちょっと間が空いた!嘘ついていますね!絶対なんかあったときのやつだ!』

彼女は妙に鋭いところがある。こういうところに彼女の知性がにじみ出ているのかもしれない。

「いや、ちょっとここ最近のことを考えてみただけだ。矢賀さんの関心のありそうなことは何も」

私がそういうと彼女はつまらなさそうな顔をするも、それ以上は突っ込んでこなかった。

『まあ、誠司さんは観葉植物みたいな生活してそうですもんねー。良い光合成スポットとか聞いても困っちゃいますし』

そんなことはない、と反論しようと思ったが、そう言われてみればそのとおりかもしれない。三十路になってからなのか、私の元来の性格のせいか分からないが、全然遊んだり買い物にでかけたりもしていない。このまま何もせずに年を重ねていくと考えると、ぞっとしなくもない。

もう少し何か趣味でも探したほうが良いのだろう。動物のように激しく動き回ることはできないものの、せめて観葉植物ではなく食中植物くらいの動きはしよう。

「……週末には出かけますよ。どこに行くか、何をするか決めていないけど、私も少しくらいは外に出ないといけないとは思っていますから」

『……その発言、もはやジジくさいんですが』

「否定はしませんよ」

PC画面の右端を見てみると、なんだかんだでもう1時間程度は経っていた。矢賀さんもそれを察していたのか

『じゃあ、週末は私もどっかに遊びに行きますから、来週はその話をしましょう!』

そういって話を畳むための振りをしてくる。

「ええ、是非。それじゃあ、何かあったらいつでも連絡して下さいね。また来週」

『はあい、良い週末を!』

彼女はそう言って画面から消えていった。残るのはただ静寂のみ。

終業まで後三十分。もう今日のお仕事も終わりだ。

しかし、今日一日、隣の彼女は実に静かだった。どうやら何かの締切りには間に合ったようだから、一日ゆっくり眠っていたり出かけているのかも――

「イヤあ!このイラストの締切忘れてたあ!」

ヤバいぜヤバいぜういーんういーん、というもはや奇声なのかも分からないものを叫んでいる。とりあえず、彼女は隣の部屋にはいたようだ。

お疲れさまです、私はそんなことを少しだけ呟いて、残り三十分でちょっとした雑事をこなしつつ過ごすのであった。

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