第17話 小籠包と隣人

ここの料理は実に美味しい。まだ始めの導入の一皿目、つまり前菜の盛り合わせなのだが、すでに大満足だ。きくらげなんて随分久しぶりに食べたけれど、お酢でさっぱりとした味付けで大変良い。

本当に今後もこの料理店には通うことになるかもしれない。むしろ、値段によっては今度の矢賀さんとのランチもここでいいんじゃないだろうか。

前菜を黙々と食べたところで、人栄さんが私に話しかけてくる。

「そういえば……目島さんは何をしている人なの?」

彼女は紹興酒をチビリと一口飲む。

「私は普通の会社員ですよ。ただ、先日から完全にテレワークになってしまったので、今後も基本的に家で作業することになると思いますが」

「会社員!ナコちゃん、普通の社会人さんだよ!」

「私だって普通の社会人だろ」

「編集者さんって普通なのかな?」

「……私が普通と思っているうちは普通だ」

私も想像でしかないが、編集者の仕事は中々に大変だと言う印象が強い。普通、かどうかは分からないが、私のような一般的な社会人の職務遂行状況とは結構離れているのではないだろうか。

「しかし、フルテレワークですか。中々に先進的な会社なんすね」

お酒が入ってきたことから佐須杜さんの口調もややカジュアルなものになっている。おそらくこちらのほうが彼女の素に近いのだろう。

「先進的といいますか、まあ小さい会社なので。今回はたまたま思い切った方向に舵を切ったというだけですよ」

一応かなりの時間を掛けて議論したと思うし、おそらく私とは関係のない部署で実証実験とかもやっていたのだろう。私のやることは基本的にドキュメンテーションばかりなので、会社でも自宅でもやることは変わらない。ただ黙々と書面を整えるだけだ。

「あーいいなあ!うちもテレワークになんねえかなあ」

「恐縮ながら、編集者という仕事に明るくないのですが……在宅でも作業できそうな感じなのでしょうか?」

「できるんじゃないの?」

イラストレーター/漫画家という自宅作業の権化のような人栄さんは気軽にそんなことを言ってくる。

「どっかの作家様が締切りギリギリになっても全然連絡しないとか、こっちから電話しても取らないとかなければ可能かもなあ!」

佐須杜さんは紹興酒をぐっと飲み干し、人栄さんの方をじろりと睨む。それに対して、人栄さんはあらぬ方向をさっと向き「なんのことかな……?」と素知らぬ顔を試みている。イメージ通りというか、そういう作家さんのお尻を叩くことも必要なお仕事のようだ。

「先日も、えー、廊下で倒れられていましたが、人栄さんの仕事も大変なようですね?」

とりあえずこちらの方に話を振っておこう。

「いやあ、わたしが仕事がどうしても遅くて……」

「ウソつけ、スケジュール管理ができないだけだ。この前もその前も締切りギリギリだったけど、どうせ『まだ大丈夫!』とか余裕振って、つらいつらい追い込みをかけないといけなくなった。そうだろ?!」

全てお見通しと言わんばかりに、佐須杜さんは畳み掛ける。その言葉にぴしりと固まって人栄さんはだらだらと冷や汗をかき始める。

「……ナコ。目島さんとはまだオトモダチになったばかりなんですから格好つけさせてよ」

「無理するな。どうせあんなダサい服装で廊下に倒れてたんだし、無駄な努力だよ。フルオープンで接する方が絶対いいぞ」

「むむー」

人栄さんはそれ以上反論せず、またチビリと紹興酒をあおる。

しかし、どうやら彼女の中ですでに私はのようだ。10歳という少なくない年齢差があるにもかかわらず、そういってくれるのは嬉しいことではあるが、反面、面映い気持ちがあるのも否定できない。

「お待たせ致しました。小籠包でございます」

初老の店員さんが私達の三人分の皿を持ってきてくれる。今回はコースなので大皿で出てくることはなく、せっかくの回転テーブルもほとんど飾りになっているが、仕方のないことだろう。

「やった、これが食べたかったんだ」

小さく佐須杜さんが呟く。

「そんなに美味しいのですか?」

「最高。それだけ分かっていれば十分です」

「ナコは結構美食家だから、期待していいと思うよー。わたしもこのお店は初めてだから楽しみ!」

二人がここまで言うのであれば否が応でも期待値は上昇する。しかし、それだけの事を言うということはよっぽどなのだろう。

佐須杜さんの手慣れた食べ方を真似て、レンゲに小籠包を載せ、そこにしょうがとタレを足す。それを箸を使って破ると熱々のスープが溢れ出てきた。もうこの見た目だけでよだれが出てきており、この手順を踏むというのも楽しい。それでは口に運んで――

「あづっ!」

濁音とともにそんな小さな叫びが斜め前から聞こえてくる。どうやら人栄さんは箸で破らずにそのままかじりつき、見事に火傷をしたようだ。

私はその様子を視界に捉えつつ、同じ轍を踏まないように息を吹きかけてある程度冷ましてから、パクリとかぶりつく。小さいサイズなので一口で十分に食べられるのだが、ものすごい満足感がある。口の中に鶏ガラのスープがしっかりとした旨味を伝え、小籠包の具と調和するのだ。佐須杜さんがその後に紹興酒を飲んでいるのも真似して、私も一口飲む。すると、独特と思われた紹興酒の香りと小籠包の旨味がとてもマッチし、美味しさを相互に高め合っている。ワインの味と料理の味がマッチすることをマリアージュと言ったはずだが、紹興酒の場合でも同じ表現でいいのだろうか。

とりあえず……この小籠包のおかげで、このお店に今後も通うことは決定した。

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