第13話 来客と隣人
なんとか本日の業務もつつがなく終えることができた。始業前の動揺は確かに存在していたが、矢賀さんと話したことで少し落ち着くことができた。彼女の失礼な態度を思うとあまり言いたくはないが、感謝する必要がある、かもしれない。何故か隣の彼女の声も昼過ぎから聞こえなくなっていたが、眠っていたのだと推測している。
昼食も何となく食べる気がせず、結局残ったりんごを食べるだけで終えてしまった。このような乱れた食生活では、矢賀さんにあまり強く言えないので、夕食はきちんとしたものを食べなければ。しかし、冷蔵庫には何もないので、面倒ではあるもののこれから買い物に行く。
しかし、ここで私の部屋のインターフォンが鳴った。何か注文でもしていただろうかと思い、画面を確認してみたところ、見知らぬ女性がいた。
美しい真っ直ぐな髪。烏の濡羽色という表現がここまで似合う髪も存在しないだろう。淡い色合いのカーディガンの下には柔らかなワンピースを来ている。肩には秋らしい色合いのショールを掛けており、髪の毛とともに絶妙にマッチしている。端的に言えば、相当の美人である。彼女は大きな目を少し不安げに揺らしながら私の応答を待っているようだ。
「……もしもし、どちら様でしょうか?」
私は驚愕に揺れる内心をため息とともに押し流し、努めて冷静にそう聞く。
『あ、え……あの、もしもし。えーと……隣人の人栄シノ、です。お、覚えていらっしゃいますでしょうか?』
彼女は少し申し訳無さそうにしながらそのように告げてくる。もちろん隣人の彼女は覚えている。しかし、先日見たジャージ姿の、お世辞にも素敵な格好をしていなかった彼女と眼の前の女性の姿があまりにも一致せず、少なからず私は動揺してしまった。心なし、というかかなり口調も違う。かなり明るい印象を受けていたが、目の前の彼女はおどおどとした様子で、人見知りという言葉が非常にピッタリだ。
『あ、あの、もしもし?』
「失礼。いま鍵を開けますので、少々お待ち下さい」
内心の動きを悟られないようにしながら、私は通話を切って玄関へと向かう。一体、どのような用事だろうか?
「こんばんは、人栄さん」
「こ、こんばんは……目島さんでよろしかったですよね」
やはり、彼女はぼそぼそと小声で話す。快活という印象からは程遠い、
「ええ。しかし、どのようなご用事でしたでしょうか?」
全く予想がつかない。失礼ながら、かなり気合の入った服装に見えるし、カメラ越しでは分からなかったが、しっかりお化粧をしているようだ。
彼女はグロスによって濡れたように光る唇をわななかせながら、私にこう告げてくる。
「あの、先日の謝罪も兼ねて……こ、これからお食事に行きませんか?」
正直、驚愕していた。それが面に出ていなかったことを切に願うばかりだが、どうだろうか。
「お食事……私とでしょうか?」
我ながら間抜けな質問だとは思う。しかし、それくらい不思議だったのだ。私のようなおじさんに片足を突っ込んでいる男と彼女のような、明らかに若い女性が食事をするというイメージが全くできない。
「もちろん……何かご用事でもありました、でしょうか?」
彼女は少し悲しそうに眉を下げ、戸惑ったような声を出す。
「いえ、そういうわけでは……」
確かに用事は全くない。そして、断る理由もなかった。それにここで断ってしまうのも、むしろ彼女に悪いような気がした。
「分かりました。準備を致しますので……中に上がって少々お待ち下さい」
こうやって何度も自分の生活空間に他人を入れることになるとは思わなかった。幸いにして綺麗にしているので、見られて恥ずかしいようなものではないが、それにしても私の人生の中でも中々の異常事態である。
そうして、彼女を家の中に招きつつ、私は慌てて準備をすることになった。
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