第2章 後輩デッドライン

第1話  デッドラインと後輩

私の後輩である矢賀エルが『失踪』してから二週間が経過していた。心配はあまりしていない、といえば思い切り嘘になる。社会人として、上司として、そして私個人として、心の底から心配していた。

だからこそ、私は――

「……全然勝てる気配もしない」

全く慣れないテレビゲームに今日も勤しんでいた。対戦が終わった瞬間そっとリビングテーブルにコントローラーを置き、目の疲れから指で目頭を抑える。

テレビゲーム自体は嫌いではないし、忌避感も全然ない。とはいえ、遊んでいたのは大学受験に入るよりもさらに前くらいまで。最近のゲームは動きが激しいし、なんというか……『光量』が多い。昔少しだけ遊んでいた格闘ゲームならばと思い、本日の挑戦と相成ったのだが、結果としては完全にHPゲージが存在しない私のキャラクターに、目を凝らしてよくみればHPゲージが減っているように見えなくもない相手のキャラクターという次第である。

画面真ん中にデカデカと表示されている『YOU LOSE. WINNER <✟大天使★ヤガエル✟>』という文字を見て、またため息をつく。

あの後輩殿はどこで何をしているのやら……。

「真打ち……登場です!」

私の後ろからすっかり聞き慣れた女性の声がする。ゆっくりと後ろを振り返ると、お風呂上がりでホカホカパジャマ姿のシノさんが腰に両手を当てて、威風堂々と立っていた。

「髪ぐらい乾かしなさい」

「今は一刻一秒が惜しい状況でしょ!」

「じゃあ、が乾かすから交代で」

「やったぜ!」

彼女は『狙い通り』とでもいうかのように、ニコッと笑い私の隣に腰掛けてさっとコントローラーを手に取る。

素早く「✟大天使★ヤガエル✟」にメッセージを送りつつ、今度はFPSゲームを起動する。彼女は俺と違って結構ゲームをやっているようで、その中でもこのゲームはかなり得手としているらしい。彼女が実に楽しそうに身振り手振りを交えつつ、自分の戦略的な部分や命中率やらを一生懸命説明してくれたのだが、半分どころが三分の一も理解できなかった。その説明を聞いて心から思ったのはただ一つだけ、『君が楽しそうでなにより』というものだ。

本来、FPSゲームはオンラインのマッチングで世界中の人間と対戦するというものらしいが、「✟大天使★ヤガエル✟」との勝負にあたっては特殊なルールのもと、50vs.50で戦っている。つまり、それぞれが49人のCPUを従えて相手を先に全滅させたほうが勝利、ということだ。ちなみに、現在の戦績は……いや、シノさんの名誉のために詳細は伏せよう。まあ、一度も勝てていないということには間違いないのだが、なかなかの大差がつけられている。

彼女が自前のヘッドホンをつけて、対戦がスタートしたというタイミングで俺はソファーを立つ。

洗面所からドライヤーを持ってきて、壁際のプラグにコンセントを挿し、ゲームの邪魔をしないように、最小の出力で彼女の髪の毛を乾かし始める。そういえば、初めて会ったとき――つまりこのマンションの廊下でぶっ倒れていたときだが――は、ぼさぼさぐしゃぐしゃだったな、なんてことをふと思い出して、少し可笑しくなる。

ちなみに、同棲し始めたころに、「せっかくのきれいな髪なんだから……」なんてことを言ったら、彼女は翌日には家電量販店で一番高級なドライヤーとヘアブラシを購入してきたことも思い出す。その日に、なにかの気まぐれで一度彼女の髪を乾かしてあげたらとってもそれを気に入ったようで、ほとんど俺の仕事みたいになりつつあるのだ。

ゆっくりと、丁寧に彼女の髪を梳かし、乾かしていく。長くて毛量も多いからなかなかに時間がかかるのだが、この穏やかな時間を結構気に入っている自分がいるのも否めない。

「もうっ、全然勝てない!」

彼女の髪を整え終わり、ドライヤーをオフにしたところで、彼女からそんな声が挙がる。画面を確認してみると、「Your Team is Eliminated!」と何度みたか分からない文字が踊っていた。戦績は「40人生存」と「0人生存」。つまり、そういうことだ。

「本当に、強いんだなあ」

何度言ったか分からない感想を口から漏らすと、彼女から抗議の裏拳が俺のお腹に飛んでくる。ぽすん、という柔らかなじゃれつくタッチなのだけど、彼女の不満を示すには十分だ。

「いや、十分シノさんもすごいと思うよ」

慰めるようにせっかく整えた彼女の頭をワシワシと撫でる。

「う~、もう一回やる!」

彼女は俺の手の感触をしばらく堪能してから、気合を入れるようにもう一度対戦を申し込む。

「期限まで後少しだもんなあ……」

壁に貼り付けられたカレンダーに目をやる。1月31日に花丸がつけられているのだが、決して楽しい嬉しい期限ではない。

それは――この日までに出社の確認ができなければ矢賀エルの懲戒免職が決定するという、正にデッドラインを示すものだった。

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