桜花爛漫

 人が死にます。


 女が言った。


 はあ。


 気の無い返事を私は返す。今日初めて会う女であった。唐突にそんなことを言われても、返す言葉があるはずもない。


 人が死にます。


 もう一度、女が言った。上品な微笑が私を捉える。それに絆されたわけでもないけれど、


 死ぬのですか。


 私は応えて、女から視線を逸らすようにして上を見上げた。珍しく、小山の上の桜が咲いているから見に来てみれば、妙な人に捕まってしまった。


 死ぬのです。


 女は頷き、青空が覗く桜花の天蓋てんがいを指差した。


 ホラ、花が咲いているでしょう。


 咲いていますな。


 だから、人が死ぬのです。


 ハテ、どういうことかと尋ねてみれば、この小山の桜にはそういう言い伝えがあるのだという。曰く、花が咲いた年には、その咲いた花の数だけ麓の町で人が死ぬ。

 今年はどの枝にも花がいっぱいについている。


 死ぬのです。


 朗らかに女は言った。


 たくさん、たんさん、死ぬのです。


 女の語った話が嘘だか本当だか知らないが、毎年疎らにしか花をつけないこの桜樹が、今年に限って爛漫の花をつけているのは、確かに奇妙ことに思われた。

 この桜がよく咲いていると思った年に、どれだけの人が死んだのか思い返してみるけれど、どうにもよく分からない。年を取ると、一年前の記憶も五年前の記憶も、同じ俎上そじょうに並べてしまう。こんないい加減な具合では、記憶の照らし合わせなどとても出来るわけがない。


 死にますよ。


 女がまた微笑んで、すぅっと大きな瞳を細めた。


 こうして目を凝らすとね、桜の上に死者の顔が浮かんで見えます。


 ほう、誰の顔が見えますか?


 ……四ツ辻のタツさん、駄菓子屋のツネさん、高尾のミッちゃん………………


 いくら目を凝らしても、私には人の顔など見えないけれど、女には確かに見えるらしい。つらつらと名前を挙げて行く中に、いくつか聞き覚えのある名前もあったので、全く適当を言っているわけでもないようだった。

 ミッちゃんなんてまだ小学校に上がったばかりの子供じゃないか…死ぬのかなぁ…などとぼんやり思っていると、


 死にますよ。


 女はやっぱりそう言って、死者の名前を読み上げる作業に戻った。その声が大きくなり、小さくなり、だんだん一つの流れを持って、耳に心地よく響き始めた。

 昔、仏間で昼寝をしている時によく、祖母の読経の声を聞いていたのを思い出す。あれもちょうどこんな伸びやかで、ぼそぼそとした声の具合で、春の陽気と合わさり、いい塩梅に眠気を誘った。目を瞑り、声の流れに意識を溶かす。ああ、いい気持ちだ。


 おや。


 女の声が不意に途切れて、


 貴方の顔もありますよ。


 ちょっとはしゃいだ様子で腕を引かれた。目を開けてみる。今度は私にも、女の言った顔というのが見えた。

 私の頭上に重く枝垂れた枝の先、満開に開いた花の一つに確かに私の顔があった。

 肌が嫌に蒼白く、口をポカンと開けている。こんな間抜けな顔が私の死に顔か。

 不満だったが、まあ、人前に出される折には、葬儀屋か何かがきっとうまく繕うだろう。


 死にますよ。


 朗らかに、女が笑う。


 みんな、みんな、死にますよ……………

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