首売り

「首ぃ、首ぃ、首はいらんかねえ」

 物売りらしい声の調子につられて、みつがひょいと窓から通りを覗くと、片脇に大きな籠を抱えた綺麗なひとが光に気づいて、にっこりと花の綻ぶような笑みを浮かべた。

「首はいらんかね」

 と優しい声で言う。そこで初めて、光はその物売りが妙な品物を取り扱っている人物らしいと知った。

「いりません」

 慌てて答えて、窓を閉めようとする。

「まァ、見るだけなら無料ただだもの。折角ですから、ご覧なさい。面白いよ。美しいよ」

 夕闇の奥から、楽しげな喧噪が微かに聞こえる。光は風邪を引いて行かせてもらえなかったけど、今は夏祭りの真っ最中だ。

 子供は入っちゃいけないと言われているが、祭には色々な見世物小屋が出る。珍しい、奇妙な物も売られている。この人も祭に乗じて、そうした胡乱な商品を売る人なのだ。そう合点して、光は恐る恐る閉めかけていた窓を開いた。

「お小遣いないから買えないよ。見るだけだよ」

「ええ。構いませんよ」

 物売りが恐い人だったなら、光もぴったり窓を閉ざしていただろう。けれども綺麗な、優しそうな姉さんだったから、何となく安心して、祭の雰囲気だけでも味わいたいという欲が出た。

「何を売ってるの」

「首ですよ」

「首? お人形の首?」

「いいえ。正真正銘、ほんものの」

 微笑んで、女は籠にかぶせてあった薄紅色の唐縮緬メリンスをすらりとめくった。光が見やすいように、それを家の灯りの傍へ差し出す。

 果たして、籠の中には女の言う通り、首が幾つも収まっていた。確かにどれも美しい。が、美しすぎて、本物だとは思われない。

「やっぱり、お人形の首じゃない」

 光が笑うと、女は「いいえ」と首を振り、

「疑うなら触ってみなさい」

 そう光の目を見て促した。

「触ったからお買い上げ、なんて詰まらないこと言いませんから」

 女があんまり真面目なのと、純粋に興味を惹かれたのとで、光はつい籠の中身へ手を伸ばした。指が女の子の首の頬に触れる。

 柔らかくて、温かい。

 思いがけない本物の人肌の感触に、光は「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げた。

「本当に、本当に?」

「本当に本物の首ですよ。それに、ちゃんと生きた首ですからね。死んだ首と違って、つけ替えられます」

「つけ替えられる?」

「はい」

 女はにこにこ何でもないように笑っている。からかわれているのだろうか。それとも、狐に化かされている?

 だって、本物の生きた首を売るなどありえない。切られた首は、みんな死人の首ではないか。でも、それなら、さっきのは? 手にはまだ、人肌を撫でた感触が生々しく残っている。

 光はだんだん夢の中にいるような気分がしてきた。これは夢なのかもしれない。風邪を引いているから、こんな不可思議な夢を見るのかもしれない。

 遠くで祭囃子の音が聞こえる。

「つけ替えると、どうなるの」

 光がぼんやり訊ねると、

「それがあなたの首になります」

 女は答えて、よく中が見えるよう、光の方へ軽く籠を傾けた。

「気に入った首は御座いますか」

 言われて、光は改めて籠の中身をまじまじと見た。どの首も美しいけれど、一番目を惹いたのは、泣き黒子が愛らしい少女の首だ。

 新雪の肌、烏羽玉の髪、桜の唇。

 光が憧れて、けれども持っていない色んなものを、その首は持っていた。

「これ」

 光が指差す先を確かめて、女は頷いた。

「では、これをあなたの首に致しましょう」

 美しい少女の首が自分のものになる―――心が浮き立つ一方で、微かに残った不安が「お金は」という現実味を帯びた言葉を光の口から押し出した。

「頂きませんよ」

 光の警戒を解すように、柔らかく女は笑んだ。

「確かにお代は頂きますが、無くなって困るようなものは取りません。たくさんある内の一つを、分けて貰えればいいのです」

 それなら、いいだろうか。

 ………………本当に?

 でも所詮、夢の中の話なのだし。多少好い思いをしたって、構うまい。光は、ほぅ、と一つとろけた心地で吐息を漏らした。




 その後、長じるにつれ、光は美しくなっていった。

 新雪の肌、烏羽玉の髪、桜の唇、愛らしい泣き黒子。

 やがて年頃には、かねてより恋仲だった名家の息子と結婚し、町でも評判の仲睦まじい夫婦となった。元気で可愛い子供も産まれ、全く満ち足りていたのだけれど、ある日奇妙な事件が起こった。

 五歳になる子供が消えてしまったのだ。

 何人かの友達と姐やも一緒に遊んでいた座敷の中から、外へ出た様子もないのに、いつの間にか消えていた。

 居なくなった際の状況が変だったのと、いくら探しても子供が見つからないのとで、町の人々は口々に「神隠しだ」と噂した。

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