指輪
棺に別れ花を納めていた時だった。彼の手が白菊を摘んだ私の手を一瞬掠め、冷たいのっぺりした感触を左薬指の上に残した。
それがいつまで経っても、肌に張り付いたまま離れない。日を経る毎に薄らぐどころか、明瞭な輪郭を持つようにすらなっている。
ある時ふと、左手を見て驚いた。
彼の手の感触はいつの間に形を得たのか、薬指には銀色に煌めく指輪が嵌まっていた。人に見せても怪訝な顔をされるだけなので、私以外にはどうやら見えない物であるらしい。
左薬指に嵌まっているのだから、結婚指輪なのだと思う。しかしなぜ、こんな物が見えるようになったのか―――私は一人首を傾げた。
生前の彼とは確かに仲が良かったけれど、特別狂おしい感情を抱いていたわけではない。中学生時代同じクラスになって、以来何となく付き合いが続いている、その程度の間柄だった。彼の死による悲しみで、私の頭がおかしくなったと考えるのは違和感がある。
私ではなく、もしかすると、彼の方に何かしら原因があるのかもしれない。例えば、私が知らなかっただけで彼は私を慕っていて、死後報われなかった想いを指輪として私に見せている、とか……そこまで想像したところで馬鹿らしくなって吹き出した。彼は清々しいくらい刹那的に生きる人間だった。そんな情熱があったとしたら、結果がどうなるにしろ、あっさり行動を起こしていただろう。
考えるほどいよいよ、どうして指輪が私の左薬指に嵌まっているのか分からなくなった。これだ、という心当たりはない。なのに何度見直しても、指輪は私の左薬指に存在している。
外せるのかしらん。
気になって、私は指輪を摘まんで、ぐ、と引っ張ってみた。これが本当に私の脳が作り出した幻であるならば、薬物中毒者が見るという肌を這う虫の幻覚のように、払っても払っても振り払えないものではないか―――そう思ったのだけれども、指輪は案外すんなりと指の先まで動かせた。
後ほんの一、二センチ引けば、指輪は薬指から外れてしまう。………外したら最後、もう二度とこれは私の前に現れない………漠然とそんな予感がする。
しばし迷って、私は指輪を元通り指の付け根まで押し込んだ。
彼と私。互いに熱っぽい感情などなかったけれど、名前をつけるのどこか勿体ないような、心良い慕わしさは共有していた。その淡い縁を形にすれば、こういうものになるのかもしれない。
私は左薬指の指輪を撫でた。
あるのかないのかはっきりしない、曖昧模糊とした私達の繋がり。私が外さない限りそこにあるのなら、しばらくはこのままでもいいだろう。
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