第11話

 それが嵐の前の静けさだと気付く者はいなかった。

新月から満月のまでの約2週間は、遮蔽雲の一部が解除される。極めて限定的な範囲ではあるが、鉱物増殖駆動炉に使用されている水晶球の機能回復には充分だった。

 高次資源保管庫―そこは深い井戸の底から空を見上げる様な、そんな感覚に陥る場所だった。現在の東雲に井戸はない。しかし、彼女は【井戸の中】を体験したことがあった。周りを見渡すと、水晶球が静謐な輝きを放っている。だが、それは壁を這い上がろうともがく同胞たちの悲愴な姿を思い起こさせる。太陽光のあたらない場所に監禁されていた所為で異常に青白くなった肌は、暗闇でもその輪郭を容易にとらえることが出来た。

自分達に課されているこの状況が何を目的としたものなのか、何故上から覗く白衣を着た人々は梯子を下ろしてくれないのか理解できなかった。ただ、壁を登れず取り残されればそこまでだということが現実だった。

 水晶球に反射した自らの姿で、記憶の【井戸の中】から現在に引き戻される。今自分が成し遂げなければいけないことは、感傷に浸ることでも復讐に燃えることでもない。ただ、与えられた任務を遂行する。この命はそれと引き換えに保障されたものだった。

 彼女は小さな箱型の装置をポケットから取り出す。マッチ箱程度の大きさだが、これだけの量の水晶球があれば信号を増幅して発信することは難しいことではない。右手を水晶球の一つに、左手に装置を乗せて天を仰ぐ。一瞬だけ、銀色の針の様な一筋の光が空中に打ち上げられた。これでこの国の終わりが始まる。

幾年月も暮らしたが特段心は揺れなかった。所詮この国は、家族友人達を見捨てて自分達だけ安穏と暮らすことを選んだ者たちの場所だ。

生物学的に同じ特徴を持った種族がこの後どの様に蹂躙されるか、それは彼女の知ったことではなかった。

 保管庫から出て、寮の自室に戻るため歩き出す。信号の受信から【作戦開始】まで一日はかかるだろう。

「お前、今どこから出てきた?」

保管庫から出て数メートルと移動しないうちに声をかけられた。

「嵐山先輩、こんな時間にどうされたんですか」

「俺に理由を聞く前にお前が話す必要があるんじゃないか。場合によっちゃ重罪だろう」

声をかけてきたのは嵐山時雨だった。おそらくとても動揺しているのだろうが、それを悟られまいと呼吸を抑えているのが感じ取れた。

「あなたの方が後ろめたいことがあるのではないですか?私は何も間違ったことはしていないと思っています」

「さっきの信号、あれは何だ?お前何を」

していたのか、という言葉は時雨の喉から発されることはなかった。彼女の腕がその首をへし折ったからだ。普段は力を抑制し非力な女子を装っているが、今はその必要はない。久しぶりに力を解放したので少しだけ関節部分が軋んだ。

「これは予想外、だけど大きな問題ではないかな」

時雨の手に先程の箱型の装置を握らせる。首の骨が折れている自然な理由は数秒で思いついた。高所から信号を発するために収納壁に登り、落下。彼女は時雨の身体を持ち上げ、床に強く叩きつける。先ほどよりも関節は軋まない。やや不安定になっていた頭部がより強い衝撃を受け、血が流れ出した。


 自室のドアを開けると、寝ぼけた様な声が聞こえてきた。

「…… 茉魚?何してんの?」

「何でもないよ空理架ちゃん。ちょっとお手洗いに行ってただけ」

「…….あ、そー……おやすみ」

「うん、おやすみ」

空理架の寝言の様な呟きに返事をすると、茉魚もベッドに潜り込んだ。

おそらくこれが東雲での最後の夜になる。

夜明けまではまだ数時間残っていた。

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空に描く軌跡 原多岐人 @skullcnf0x0

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