第2話

――……以上で本日の演習を終了する。全機着陸態勢に入れ――

 班長の北崎黒慧きたざきくろえの筆頭に、二番機の小鳥遊茉魚たかなしまな、そして三番機の八雲空理果やくもくりかが着陸準備に入る。着陸するには、一度雲の層を通り抜けなければならない。この雲は自然のものではなく、人工的に発生させているものだ。外部からの電波的干渉を一切遮断し、レーダーからの捕捉も防ぐステルス機能を備えた高機能人工雲、通称【遮蔽雲】。それが、この国―東雲の防衛の要になっている。百年以上の長きにわたって遮蔽雲は東雲を守っている。亡き他国の攻撃以外にも、国を脅かすものは確実に存在している。そのおかげで地上から見える空は、色の名前で表すなら甕覗か水縹、青とは程遠い。

 この雲に突入する一瞬が、空理果は何故かもどかしくて好きになれなかった。それが理由になっているのだろうか、空理果の着陸は毎回ひどいものになる。

 遮蔽雲に入る瞬間の心のざわつきが、操作の手を遅らせる。雲を抜けると、そこには第玖管区・軍事拠点、雲龍の飛行場の滑走路が目前に迫っていた。初動のタイミングが遅れれば、必然的にすべての動きが遅れていく。結果として着陸時に急ブレーキをかける羽目になるので、その衝撃は相当なものになる。ガクガクッと伝わってくる激しい振動に、空理果は慣れたが、機体は慣れるどころか消耗していく。ガガガガという音に混じって、メキッと嫌な音が聞こえた。

「あ……」

思わず声が漏れる。またやってしまった。初飛行の頃から合わせて、飛行機を破損させた回数は、大小合わせると数えきれない。空理果の脳内には自分を叱責する人々の顔が浮かぶ。だが、やってしまったものは仕方がない。これから始まるであろう怒声の波状攻撃に覚悟を決めて、大きく深呼吸した。

 鉱物増殖駆動炉に手をかざしてスイッチをオフにし、エンジンを止める。はめ込まれた手のひら大の水晶球がゆっくりと消灯していく。毎回のことだが、不思議なシステムだと思う。この回路を介することによってエネルギーが増幅され、元の物質の何倍もの動力が得られる。実際、飛行機の燃料として積まれているのは、十五センチ四方のバッテリーだ。これ一個で千五百キロは飛べる。鉱物増殖駆動炉の仕組みは鉱物動力理論、鉱物利用史、資源開発学、そして飛行力学の授業でも習ったが、空理果にはいまいち腑に落ちなかった。とにかく、動けと思えば動く。それでよかった。

 機器の停止を確認して、風防を開き、身を乗り出す。ひゅうっと風が吹いた。雲が少しだけ東に流れる。しかし、遮蔽雲は風向きや風の強さもすべて計算し尽した上で発生させているので、青空が垣間見えることはなかった。

 飛行機から降りると、こちらに向かって猛ダッシュで近づいてくる大柄な整備員がいる。その人物を確認し、空理果は反射的に逃げ出す。

「八雲! お前また飛行機壊しやがったな!」

「うわっおっさーん! ごめーん!」

空理果は基本的にすばしこいが、逃げ足は普段の三倍ほど早くなる。

「遅かったか……」

先に降りていた黒慧が、駆け回る二人の姿を見てため息をつく。

「亜南さんも相変わらずだね。何だか楽しそう」

ずれているというか、おおらかというか、とにかく黒慧とは違う観点で感想を述べる茉魚はある意味で尊敬できる。空理果に厳重注意を与えるのは、もう少し先になりそうだ。整備員亜南と空理果は飛行機の回りをグルグルとまわるように攻防戦を繰り広げている。

「おっさんって呼ぶんじゃねえ! この野郎! 主脚何本折ったら済むんだ!」

「今回は折れてないって! ヒビ入っただけだって! おっさんの腕ならちゃちゃっと直せるでしょっ」

逃げ切れるかと思ったが、空理果は襟首を掴まれ捕獲された。亜南のリーチを舐め過ぎていた。

「誰がおっさんだ、誰が!」

「だって、名前亜南紅緒【あなみべにお】でしょ?べにおさん、べにおさん……おっさん!ほら、おっさんってなるじゃん」

しれっと答える空理果に、紅緒の額に青筋が浮かぶ。

「生憎だがな、ふりがなふると最後の文字は【お】じゃなくて【を】になるんだよ!」

「でも伸ばせば【お】になるよ」

空理果のこねる屁理屈に紅緒の怒りは爆発寸前だったが、ふと論点がずれていることに気付き、我に返る。

「お前いい加減にしろよ! この破損直すのにどれだけ材料が必要かわかってんのか?」

ぐっと言葉に詰まった。さすがに空理果もこの国の置かれた現状を知らないわけではない。

 もとより、東雲は資源のほとんど採れない国だった。先の戦争も、資源を確保するためのものだったと言っても過言ではない。海面上昇で陸地が水没する中、各国は生き残りのために、侵略、奪還作戦を展開し、徐々に減っていく資源を奪い合った。結果として東雲は生き残ることが出来たが、戦争で失った国力を回復させるまでには至らなかった。原因は他国からの攻撃での消耗だけではない。その消耗は、先人たちのある無謀ともいえる計画に起因する。

 迫りくる水面から逃れるため、そして他国から逃げるために、さながら空母のような巨大な可動式浮体構造物を建造し、国自体をもう一度海に浮かべ直したのだった。零から拾参までの管区に区分され、それぞれが異なる役割を持っている。大きさは大小様々で、名目上の首都【大和】を要する第壱管区などは全長が六〇キロメートルもあり、浮体構造物を地道に継ぎ足し続けてここまでの大きさにしたという。逆に小さいものは、遮蔽雲発生装置を搭載した第拾弐管区は、それぞれ二〇〇メートルほどの大きさになり、さながら空母と変わらない。この管区は二つで一つに数えられている。そしてこれらは個々に独立した機動装置を備えている。

 小さな島国の東雲だからこそできた荒業で、そのツケを現在まで国民が清算させられている。国民に課せられた負担は大小多岐に渡るが、そんな生活も何十年も続けば慣れてしまう。今は海底の油田や鉱脈を細細と開発し、何とか工業を成り立たせている状態だが、それでも、極力リユース、リサイクルを心掛け、資源の利用を最低限に抑えている。現在、様々なものに利用されている鉱物増殖駆動炉も、その一例で、使用している鉱物は月光を合計一か月前後照射すれば機能が回復する。そんな情勢の中で、貴重な鉄資源の結晶である飛行機を破損させるなど、顰蹙ものだ。

「……」

 言いたいことがないわけではない。だが、うまく言葉にならなかった。空理果はぐっと拳を握りしめ俯いた。

「とにかく、編隊飛行も重要だが、もっと着陸をしっかり練習しろよ。お前だっていつ怪我するか分からないぞ。」

紅緒は空理果の頭にポンと手をやる。反省してほしい気持ちはあるが、落ち込ませたい訳ではない。

「亜南の意見ももっともだな。飛行機は部品の交換が出来るが、人間はそうもいかないだろう。痛い思いをするのは、八雲、貴様自身なんだぞ。」

空理果と紅緒の鬼ごっこが収束したのを見計らって、黒慧が口を開く。黒慧としても空理果にお灸をすえておきたいところだった。

「そうだよ。いくら空が好きだからって、よそ見ばっかりしてたら一瞬で火達磨になっちゃうかもしれないよ?」

茉魚も口を挟んでくる。恐ろしいことを笑顔でさらりと言い放つ。茉魚はあまり多弁な方ではないが、たまの一言が重い。さすがに、空理果も少しひるんだ。その隙をついて黒慧はさらに畳みかける。

「前々からずっと同じ警告を繰り返しているが、なぜ何度も同じことを言わせるんだ?」

あまりにも図星の指摘だった。何を言っても言い訳にしかならない気がしたが、ここで黙り込んでしまうと負けた様な気がして嫌だったので、空理果は今の心情を素直に吐き出した。

「この雲が嫌いなんだ、よくわからないけど、なんか」

その発言に黒慧は開いた口が塞がらず、紅緒は呆気にとられる。まさかそこまでざっくりとした理由だとは思いもよらなかった。

「空理果ちゃんらしい理由だね」

茉魚だけはそれを微笑ましいと思えたようで、クスクスと笑っていた。それにつられたのか、紅緒も少し表情が緩む。すっかり戦意を削がれてしまった。

「まったく、これ以上付き合いきれねえわ。じゃあな、お前の壊した飛行機直してくる。」

そう言って、頭をわしわしと掻きながら紅緒は去って行った。何だかんだ言ってはいるが、紅緒はきちんと仕事をする。きっと今日壊した飛行機も綺麗に修理された上に、きっちり整備されて空理果のもとに戻ってくるだろう。

「私たちもそろそろ戻らないと。今日の演習の報告しなきゃ。」

茉魚の言葉で黒慧と空理果は義務を思い出す。演習として申請してある飛行場使用時間内に報告を済ませなければ、これから先飛行演習の許可は永遠に下りなくなるだろう。いつまでもここで口論しているわけにはいかない。

 滑走路から屋内に入り、薄暗い廊下を歩く。機密保持のため軍の施設は窓が少ない。歩きながら、黒慧が口を開いた。

「先ほどの続きだが……」

いつもであれば、先ほどの大きなため息で黒慧も諦めて引き下がっていたが、今回は違った。

「貴様は彼岸の父君に申し訳ないと思わないのか?空の曲芸師とまで言われた技量の持ち主の血を引いているのに、気も漫ろな訓練ばかりして」

黒慧が切り出したのは空理果の父親、八雲風真の話だ。類稀なる飛行技術を持ち、超長距離飛行という冒険をやってのけた勇敢な人物で、東雲の国防軍パイロットでその名を知らないものはいない。もちろん空理果にとっても風真は誇りだった。

「申し訳ないなんて、全っ然思わないね」

空理果は自信満々に、淀みなく応える。

「だって、父さんも私と同じこと思ってたんだから。確かに、変異生物だっているし、完全に安全な訳じゃないけどさ。それでもやっぱり、空は青いほうがいい。」

変異生物というのは先の大戦の遺物で、化学兵器などの影響によって極端に変化した生物の総称だ。例えば通常個体の三十倍の大きさになったカモメや、足が六本あるアホウドリ、翼の生えた猿などが確認されている。だが、それらとの会敵報告はここ十年で三十例あるかないかといった数だ。しかも、東雲上空での報告例は無く、全てが洋上でのものだった。空理果はさらに続ける。

「父さんだって白い空に何だかヤキモキしたって言ってた。いつまで空を覆ってるんだ、って」

それは青い空を見たことがある者だけが持てる感情なのかもしれない。だが、表立ってそれを主張していたのは風真くらいだと黒慧は記憶していた。

「父君と貴様の個人的な見解が一致しているのは分かった。だが、私が言いたいのはそういうことではない。」

確かにこの国のシステムに思うところはあったが、黒慧が言いたかったのは八雲風真の名誉のことだった。前述したとおり、八雲風真は有名人であり、英雄視されている風潮がある。しかし、それをよく思わない層も少なからず存在した。規律と集団行動を重視し、個人のとび抜けた功績を好意的に評価しない者たちにとって、風真の存在は目障りだったに違いない。

「貴様の行動の一つ一つが父君の名誉を傷つけていることに気付かないのか?」

そういった層の人間が空理果の奔放で破天荒とも言える行動を目にし、この親にしてこの子有りというように、風真個人だけでなく、彼の残した偉業さえも批判の槍玉にあげている。黒慧は風真に対しては概ね尊敬できる人物と認識していたので、彼が謂れの無い批判にさらされるのは、あまり気持ちの良いものではない。だが、娘の空理果はそんなことは意に介していないようだ。

「父さんはすごいことをやった。誰が何と言おうとそれは変わらないし、変えられない。まあ、そりゃ何回か父さんの悪口言われたことあったけどさ、私はちゃんと言い返したし」

黒慧はまた大きくため息をついた。空理果本人が反論したところで、それはマイナス方向にしか働かないだろう。結局は自分で自分の首を絞めているのだ。

「本当に分かっているのか?貴様は……」

そうして父親の名誉に傷をつけ、果ては自分の将来までも危うくしている空理果の愚かさが、黒慧は許せなかった。それなのに、何故か堂々と好きなものや自らの信条にまっすぐ向かっていく空理果の姿は嫌いではなかった。人は対極にある者を嫌悪するが、同時に惹かれもするというのはどうやら事実らしい。

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