第1話
地を歩くために足がある。海を泳ぐためには手も使う。空を飛ぶためには、翼が必要になる。必要に迫られれば作りたくなるのが人の性というもので、そうして出来た【鉄の翼】、それが飛行機だった。一度作り出したものに、次々と意味を付加していくのが人の悪い癖で、人々の夢と希望だった飛行機は、人々の命や生活を奪う兵器としての意味も与えられた。
彼ら(彼女ら)は道具だ。彼ら(彼女ら)の意思の存在を否定することは出来ないが、かといって、きっぱりと肯定するのも如何なものか。一つ、確実に言えるのは飛行機を動かすのは人の身体と心だということ。言い換えれば、人の意思一つでその行き先が決定される。命令と意思と、ほんの少しの運命の悪戯で、飛行機は、空と空、国と国、そして心と心を繋いでいく。
ある日から、世界は人々に試練を与え始めた。なぜ、そうなってしまったのか、理由は様々なことが挙げられる。一つ確かに言えることは、人の力でどうこう出来る事象ではなかったということだ。それは音もなくじわじわと忍び寄り、人々を追い詰めていった。
自分達が滅亡の危機に瀕していることに気付いた時は、すでに手遅れだった。迫りくる海面は国から領土を奪い、百年以上続いていた平和を乱した。資源と領土を求めて、国際条約を無視した戦闘がそこかしこで起こり始める。環境の変化、そして戦争の所為で世界の人口は以前の二〇パーセント以下に減った。それでも人々は生きることを諦めなかった。ある国はひたすらに高い塔を作り、ある国は水の中に街を作った。そしてある国は新しく島を作った。高い塔の国と、水の中の街の国は、手を取り合って、時に争い、牽制し合いながら命を繋いでいた。しかし、新しい島の国は違った。この国は隔離された環境で、独りで生きていく道を選んだ。誰からも助けてもらえない代わりに、誰からも干渉されることのない孤独な自由を選んだのだった。そんな世界は少しずつ、しかし確実に形を変えていくことになる。
見渡す限りの青。上が空で下は海。今日は高層雲も無く、ただ青い空だけが見えていた。これで何度目の訓練になるだろうか。いつ上がってきても上空は最高だ。ふと胸のポケットから【お守り】を取り出す。一面に雲一つない青空が写し出された写真。それは父親がくれたものだ。少し皴が寄り、色が褪せてしまったが、相変わらず青い。同じものを父親も持っている。同じ空の写真を持つことによって、同じ空を見ている、すなわちいつも一緒にいるということにしたかったというように伝え聞いている。この写真を残して、彼は空に消えていった。
異常気象による海面の上昇で、陸上に居場所を失った人々にとって、空は最後の楽園だった。そのような事態も鑑みると、飛行機という発明品は人類の救世主に思えてくる。それがたとえ、型落ち寸前の旧式であっても、そうであることは間違いない。一時は前時代的と言われていたプロペラ機だが、未だに部隊で多数を占め、こうして空を飛んでいる。最高速度は伸びないが、その分身体にかかる負荷は少ないので、最新の戦闘機に比べれば、幾分か快適だと言えるだろう。最新、と言っても最高速度が若干上がったかわりに、強度が低下してしまったが。
自分たちは戦闘部隊ではない。斥候部隊、戦闘部隊に続く探索部隊。主に陸地や、海底の資源を探知する部隊だ。斥候部隊は隼、戦闘部隊が鷹、探索部隊は鳩と呼ぶのが通例だ。昔は船舶や潜水艦による海底探査が中心だったが、先の大戦で海中にばら撒かれた機雷の所為で水中での探査が困難になっていた。また、資源の減少で調査船や潜水艦の製造が極端に制限されていることも飛行機による探査活動が行われている理由の一つだ。もっとも、自分たちは軍に所属してはいるものの、まだ予備隊なので、実際の探索活動に駆り出されることはない。探索部隊がさんざん調査し尽した後の周辺海域を、実習という形で決められた航路を飛行することになる。
自由な経路で飛行できたらどんなに気分がいいのだろうと思うことはあるが、先の部隊が切り開いた航路をはみ出すと、危険だということは知っている。今回も訓練の一環で、三機編成で決められた経路を飛行することになっている。少々退屈だが、空には白線もガードレールも信号もないので、陸上の訓練に比べると開放感は格段に違う。もともと、実機を使用しての飛行訓練は回数が制限されていて、この演習自体も久しぶりのものだった。訓練なので、会敵することもなければ、下手をしない限り墜落することもない。そもそも自分たちは戦闘部隊ではなく、探索部隊なので、攻撃したりされたりする機会は無いに等しい。もっとも戦争自体が七十年前に一応の終結を見せているので、他国の軍用機と交戦する事態は、ここ三十年、そしてこれからもきっとないだろう。この国の認識では、他国はすべて滅んだことになっている。
ふと、上を見上げる。エンジン音と風防の格子を除けば、自分と空だけの世界。エンジンを止めて風防を開けたらどうなるのだろうか。しばらくは滑空して飛んでいられるが、その後は……。そんな呑気な思索は無線機のノイズに遮断される。
――……隊列を乱すな
語気を荒げた声が操縦席に響く。
「あれ、乱れてた?」
そんな風にとぼけていると、別の無線が入る。
――……
前を見ると、なるほど確かに一番機の尾翼がかなり視界に迫っている。慌ててスロットルを緩め速度を落とす。ちらりと目に入った操縦席の風防からは、長い黒髪と黒い眼帯が見て取れた。眼帯装着で隻眼状態なのによく飛べるなと毎回思っていたが、今はそれどころではなさそうだ。かなり怒っているようで、手をかざして何かしら喚いているように見える。
「ふぃー危なかった……ありがと、
横を見ると、二番機の操縦席から手を振る彼女が見えた。
――……ちゃんと前も見ないとだめだよ――
優しい忠告の後に、危うく被害者になりかけた一番機から激しい叱責の無線が入る。
――……危なかった、ではない!どうせまた上ばかり見ていたんだろう!全方向しっかりと確認しろとあれほど…… ――
「ごめん、黒慧班長。次から気を付ける」
――……当たり前だ!次にやったら撃ち落とすぞ!――
スピーカーが音割れするほどの大声に、耳がキーンとなる。
「そんなに怒らなくてもいいのになあ……」
そう呟いてハッとした。無線機の通信ボタンが押しっぱなしになっていた。
――………八雲、貴様まだ反省が足りないようだな…… ――
「だから、ごめんって!これから気を付けるって!」
ちなみに、今までその反省が活かされたことはない。その証拠にすでに視線は手元の写真へ、そして再び空に移される。それほどまでに、八雲空理果は青空が好きだった。
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