第7話

 田中先生の平坦な声で、さらに歴史の説明は続く。

――そして、我が国の隣国、ルージョウがモナークを攻めた結果、国が疲弊し、ルージョウ政府は実質崩壊し、国としての形はなくなりました。ルージョウは我が国へも侵攻しようとしていたので、結果的には助かった訳です。まあモナークもその後の化学兵器の乱用によって、近隣諸国を巻き込んで滅びてしまったのですが――

いつの間にか講義は三人を置いてけぼりにして進んでいた。先週の中世の範囲までのおさらいは終了し、新しい範囲に突入する。黒慧くろえ茉魚まなも毎回しっかりと予習復習をしているので、さほど慌てる様子はないが、空理果くりかは違った。ノートには意味も分からず書き留めた単語の羅列があるだけで、到底復習できるような代物ではない。試験の前はいつも茉魚のノートか黒慧のノートの世話になっている。今回も諦めて夢の世界に旅立とうとしていると、それに気付いた黒慧に足を踏まれる。

「いっ……」

思わず大きな声が出てしまい、周りの何人かと田中先生が不思議そうな顔で空理果の方を見た。空理果は引き攣った笑顔で誤魔化して、こちらを向いていた視線が外れるのを確認した後、黒慧に抗議する。

「何すんの?本気で痛かったんだけど!」

声のトーンは落としているが、噛みつくように空理果は言う。それに対する黒慧も強い言葉で空理果に注意する。

「今後、寝ているような不届者にノートは見せん。それに、今は講義という名の任務中なんだぞ。俸給だって支払われている。我々の仕事は空を飛ぶだけではないんだぞ」

ぐうの音も出ないほどの正論だった。予備部隊という括りではあるが、一応飛行学校を卒業し、軍に所属している以上、怠慢が許されないのは当然のことだ。空理果もそれを理解していない訳ではない。ただ、内容が理解できないと襲ってくる眠気に勝てないだけで。

 前にも一回同じ事を言われたが、黒慧がこのような注意するときは、かなり本気で怒っている時だ。その証拠に前を向いている今でも眉間の皴が消えていない。このままだと、黒慧の眉間の皴が消えなくなってしまいそうだったので、空理果は今度こそ講義に集中しようと思った。

――一方で我が国は、戦争をしながらも生き残るための準備を怠りませんでした。それが今現在私たちが暮らしている可動式浮体構造物です。そしてもう一つ、高機能人工雲、これは遮蔽雲とも呼ばれていますね。これらによって他国からの襲撃や干渉を防いでいた訳です。今、頭上に広がる白い空が、平和の象徴とも言えますね――

遮蔽雲の隣に平和の象徴、と板書される。空理果はそれに納得がいかなかった。平和ではなく退屈の象徴なのではないか。ふとそんな考えが脳裏を過る。それとも平和とは退屈なものなのだろうか、空理果は書き写した【平和】の部分をグルグルと丸で囲っていた。

――これが一通り現代までの歴史の流れです。みなさんのおじいさんやおばあさん、もっと前のご先祖様が築いてきたこの平和を大切にしなければいけませんね。これからも、ずっとこの国が続くように――

田中先生はそう言って講義を締めくくった。空理果の心にはまだ釈然としないものが残ったままだった。しかし、とりあえず講義は終了したので、空理果は大きな伸びとともに、心の靄を払拭する。

「八雲、暗くなる前に飛行場の清掃を完了させるぞ、もたもたするな」

黒慧の言葉で、今日はこのまますぐに帰れないことを思い出す。

「了解、さっさと終わらせちゃおう」

まだ席に残る者がいる中、三人は足早に講義室を去った。


 すでに飛行場は薄闇うすやみに包まれていた。これから、滑走路に不審物が落ちていないかの確認と、待機所や格納庫前のゴミ拾いをしなければならない。飛行場の清掃を命じられることは珍しくない。空理果が飛行機を壊した分だけ、黒慧も茉魚もそれに付き合わされている。自分一人だけが罰を受けるのなら、仕方がないと諦められるのだが、連帯責任で問題を起こしていない者も同じ罰を受けるのは少しだけ罪悪感を刺激する。

「なんか悪いね」

三人並んで下を向いて歩く。この作業は実は結構首にくる。

「そう思うのなら、もう機体を破損させないでほしいものだな」

黒慧が下を向いたまま言う。この事実に関しては全く言い訳できない。

「まあまあ、視力を鍛える訓練だと思えば」

「そうそう、茉魚の言う通り。飛行機乗りは目が命だからね」

茉魚のフォローに空理果は全力で乗る。

「まったく、調子のいいことをいいおって……」

実際に滑走路は一日に何度か点検・清掃されるので、ゴミが落ちていることの方が珍しい。それを探すのだから、必然的に視力、そして注意力を鍛えることにはなる。最初は雑談混じりの作業だったが、作業に熱中するうちに三人の言葉数はゼロになった。

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