第8話
急に風向きが変わった。風向きだけではない、徐々に近づいてくるエンジンの轟音は飛行機が近づいてくることを意味していた。
「着陸は第一飛行場か……」
黒慧が呟く。第一飛行場は戦闘機専用の飛行場だ。そこは戦闘機部隊と軍の上層部以外の立ち入りが禁じられている。空理果達が通常使用している飛行場は設備的には旧式の物が多く、建造物にも経年劣化の箇所が多々見受けられる。もちろん、任務に支障をきたすほど酷いものではないが、第一飛行場の設備の充実っぷりを耳にするたびに、探査部隊の人間からは不満が漏れているのも事実だった。空理果も不満、とまではいかないが常々羨ましいとは思っていた。ふと、人を見下すような時雨の顔が脳裏を過ったが、それを振り払うように頭を振る。
「第一って、確か待機所がすごい豪華だって聞いたことあるんだけど!」
次々に飛んでくる戦闘機を見上げながら、エンジンの轟音にかき消されないほどの大声で空理果が言う。
「戦闘機部隊は我々の任務とは危険度が違う! それぐらいの報奨があっても然るべきだろう」
黒慧も轟音に負けないように声を張り上げる。
「でも、そんなにいつも変異生物が出るわけじゃないよね? 一斉討伐のときは通達があるし、今日は訓練かな?」
茉魚の言葉に、空理果と黒慧はもう一度上を見上げる。戦闘機には、機体により差はあるものの、それなりの損傷が見受けられた。エンジン音に異常があるものや、白煙を上げる機体、酷いものは尾翼の半分が失われていた。それは講義の中の写真で見た、戦時中のものに酷似していた。変異生物との戦闘はそれほどまでに激しいものなのだろうか。そんな空理果の心に浮かんだ疑問符は、白い風と轟音の中にかき消される。傷ついた戦闘機達は第一飛行場の方へ飛び去り、三人のもとには風の音だけが残された。
清掃を終えた三人は飛行場を後にした。起居を共にする寮に向かう道のりは、とても静かなものだった。
「こんな時間に何してんだ?」
その沈黙を破ったのは、
「おっさんこそ……」
紅緒がいきなり現れたので、空理果の心拍数は急に跳ね上がった。それは黒慧も同じだったようで若干のけぞり気味になっている。ただ、茉魚だけは少し目線がぶれただけで大きな表情の変化と反応は無かった。
「俺は作業してたんだよ。明日までに点検終わらせなきゃならん機体が三機もあったからな」
そう言いつつ、紅緒の視線が空理果に向く。
「え、もう直ったの?」
紅緒の視線の意味に空理果は気付かなかった。その能天気な様子が
「当たり前だ」
紅緒が空理果に一発説教をかまそうとしたが、それは茉魚の言葉によって遮られる。
「さすが
「そうか?」
紅緒の表情が一気に和らぐ。それを見て空理果はあまりいい気分ではなかった。
「何だよ、デレデレしちゃってさ……」
「それが恩人に言う言葉か?」
そんな言葉を投げかけたのは黒慧だった。
「亜南整備員は軍の中でも五指に入る腕前だぞ。わざわざ指名して整備を頼みに来る者がいるのに、貴様は……」
「い、いやそこまででもないが……」
茉魚の時とは違う反応を見せる紅緒。明らかに
「おっさん何笑ってんの?」
「な、何でもねえよ!」
不思議そうに尋ねる空理果に、紅緒は慌てて表情を引き締める。空理果は怪訝な表情で紅緒を見ていた。だが、ふとあることを思い出し、紅緒に尋ねる。
「おっさんはさ、戦闘機の修理とかしたことある?」
「あるわけないだろう、戦闘機の整備員は国立航空研究機関から選抜して派遣されてるからな。俺みたいな軍の一般募集で入ってきた人間には無縁の世界だよ」
紅緒は何故こんなことを聞くのか、とでも言いたげな視線を空理果に向ける。空理果の質問は軍では知っていて当然の知識だった。ちなみに、航空研究機関は軍関連の機関ではあるが、政府からの特命を受けて活動することもあるため、軍から独立して活動する権限を有している。
「八雲、貴様また下らない質問を……」
「いやいや、これで終わりじゃないって!本当に聞きたいことはこれから聞くの!」
呆れ顔の黒慧に慌てて弁明する空理果。そしてわざとらしく咳払いをして言う。
「訓練から戻ってきた戦闘機の傷、おっさんはどう思う?」
この質問には紅緒はもちろん、黒慧もぎょっとした。ただ、茉魚だけは表情を変えなかった。
「……何で、そんなこと聞くんだよ?」
思わず確認せずにはいられなかった。この質問は何か禁忌に触れるような気がしていた。
「だって、不公平じゃん。私たちはちょっと壊しただけで怒られるのに、戦闘機はあんだけボロボロにしてもお咎め無しなんだよね?」
紅緒は真剣に答えようと一瞬でも思ったことに後悔した。それを言葉にする前に、黒慧が空理果の胸倉に掴みかかっていた。
「戦闘機の損壊はその激しい訓練と危険な任務によるものだぞ! 貴様の損壊は油断と適当な操縦が原因だろう! それを同等に考えるなぞ言語道断だ!」
「でも、壊してることに変わりはないんだよね?」
不意に茉魚が口を挟んできた。普段であれば黒慧を宥める茉魚だが、今の一言は挑発ともとれる発言だった。物事を一元的にしか捉えられない人間は馬鹿、自分の知っていることが世界のすべてではない。時雨の言葉が黒慧の脳内にリフレインする。
「そうだよ、変異生物に備えてって言うけど、実際にはそんなに出てこないし、訓練だったら染色弾や疑似飛行装置の空戦機能で十分じゃん」
茉魚の加勢には驚いたようだが、空理果も思うところを黒慧にぶつける。しかし、黒慧も負けてはいなかった。
「戦闘はより緻密な動きが要求される……実際に乗ってみて、初めてわかる感覚もある」
搭乗員ならば理解できるだろう、と黒慧は言った。
「確かにそうだけどさ、それは私たちも同じじゃないの?」
「それは……」
黒慧が言い淀む。空理果はそれ以上何も言わなかった。茉魚も紅緒も沈黙している。その静寂のせいで、近づいてくる靴音がはっきり聞こえてくる。薄暗い廊下から姿を現したのは一人の士官だった。それを見た黒慧が目を丸くする。その胸には国防軍統括長官直属の【烏】部隊のバッヂが光っていた。
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