第6話

――はい、それでは本日の講義を始めます。えー、先週で、中世まで終わりましたね。一応もう一度今までの歴史をさらっとおさらいしておきましょう――

上下にスライドする二面式の黒板に、今日の講義を担当する田中先生が最初の文字を書く。神世と控えめな白い文字が滑り出す。

 先ほど怒りを爆発させたのと歴史は退屈な講義との認識があったため、空理果くりかは若干の倦怠感に包まれていた。ノート端末に申し訳程度に板書を写してみたものの、ちっとも集中できない。田中先生の言葉は右から左に抜けていく。講義中はノート端末がその名の通りノート機能、そして教本アプリ以外は開けない様に規制がかかる。自前の携帯端末は没収され、代わりに無償で支給されたこの端末の使用が義務付けられている。眠気覚ましと暇潰しのゲームすらできない。戦前は紙の書籍とノートが主流だったようだが、現在は紙が貴重になったため、ノートは電子端末、戦後の出版物はほとんどダウンロードが主流になっていた。

――この国は神の国でしたね。神の国、と言っても比喩的な意味合いでしょうね。まあ歴史書が神話から始まるのは、古い国にはありがちなことですが、実際にそうだと信じるのは早計です。過去の出来事をある程度反映していることは否定できませんがね。もし私が神の子孫だとしたら、きっと不思議な力を持っていて、もっと面白い話が出来て、講義中に睡眠をとる方も減るんでしょうかね――

ちらほらと小さな笑いが起こる。空理果も思わず噴き出してしまった。黒慧くろえは笑ってはいなかったが、茉魚まなは笑っていた。

――えー我が国東雲しののめは二柱の神によって生み出されたとされています。ミナハッソウシアンノミコトとキリョウコウショウエンノミコトですね。この神々の聖交の儀によって、旧国土の陸地が生まれました。そこへキリョウコウショウエンノミコトが叡智の種を肉の磐座いわくらに播き、我々東雲人が誕生しました――

水納八聡紫雲命、樹霊荒祥炎命と田中先生が板書する。その文字を写し取りながら、神様の名前はどうしてこう複雑なのだろう、という考えが眠気で機能停止しそうな空理果の頭を過る。つい目を閉じかけると、隣の黒慧から強めに小突かれる。

「ちょ、何すんの?」

空理果が黒慧の方を睨むと、黒慧は無言で前を指差す。集中しろ、と言いたいらしい。

――えー、この辺りの話は東雲縁起の第一巻に詳しく書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。こうして生まれた旧国土を治めることになるのが、すめらぎですね。皇はミナハッソウシアンノミコトの子孫とされています。現在政治に関しては議会が行っていますが、そこで提案された政策を承認するのは皇です。現在七九九代目になられますが、それだけこの国が長く続いているということです。素晴らしいですね。まあ、他国が全部滅びてしまいましたのでね――

一瞬だけ空理果の眠気が引いた。他の国はすべて滅びた、残っているのは自分達だけだというのは昔から教えられてきた常識だった。だが、空理果はそこに疑問を抱かずにはいられなかった。本当にこの国以外は無くなってしまったのだろうか。気が付けば挙手していた。

――ん?何か質問ですか?――

 基本的に活気のない歴史の授業で挙手をする生徒は珍しいので、田中先生が少し驚きと期待の入り混じった視線が向けられる。空理果は立ち上がって話し出す。

「先生、本当に他の国はもう無いんですか?」

その質問に、明らかに田中先生が落胆したのが見て取れた。隣の黒慧は呆れ顔だ。茉魚はいつものように微笑んでいた。

――ええと、まず異常気象でかなりの陸地が海に沈んだのはご存知ですよね?そして先の大戦で、大国モナークの開発した化学兵器のせいで、遥か西の彼方に残っていた陸地が汚染されて、そこに暮らしていた人々もろとも滅んでしまった……これは初等学校で習っていると思いますが― ――

田中先生は空理果に憐れむような視線を送ってきた。確か、初等学校でも先生がそんな表情をしたのを思い出した。もっともまだ幼かったので、優しく諭されたが。当然その事実は空理果も知っている。知ってはいるが、腑に落ちなかった。

「それ、確かめたんですか?」

なおも続く空理果の質問に田中先生は若干うんざりしているようだった。

――これは政府の公式の見解です。私たちが疑う余地は無いでしょうね。質問は以上で終了ですか?――

田中先生の返答に、空理果はこれ以上聞いても無意味だと判断して、着席した。少しふてくされた表情をしていると、黒慧にまた小突かれた。

「何?ちゃんと起きてるよ」

空理果はさらに不機嫌になるが、黒慧も負けず劣らずの不機嫌さを醸し出していた。

「貴重な講義の時間にくだらない質問をするな。これ以上悪い意味で有名になりたいのか?」

声量は抑えられていたが、ただでさえ、つり気味の目から向けられる厳しい視線。かなりご立腹のようだ。

「悪い意味って……わからなかったら質問するのが普通じゃないの?」

口を尖らせながら空理果が言うと、黒慧の視線がさらに鋭さを増す。負けじと空理果も、黒慧を睨み返す。するとそこへ茉魚が空理果に助け舟を出す。

「こういう質問は先生にするよりも、軍の外事局に問い合わせた方がいいよ」

「外事局?」

空理果が問い返すと、茉魚が頷く。

「海外の資料を保管してある部署だよ。滅ぶ前までだけど」

「へえ」

「外事局に請求すれば、閲覧可能な海外の資料を見ることが出来る。海外の国がどうなったか自分で確かめるといい」

前を見ながらだったが、黒慧も口を挟んできた。講義はすでに空理果を置き去りにして、先に進んでいるようだ。

「資料って文書?」

外事局問い合わせ、とノートにメモをしながら空理果が尋ねる。

「うーん、基本的にはそうだね。写真もあるけど」

「そっかー……」

空理果は外事局、問い合わせの文字に×印をつける。それを見ていた黒慧が眉を顰める。

「まさか、文書を読むのが面倒臭い、というのではあるまいな?」

「だって、軍の資料なら小難しい文章がつらつら並んでるんでしょ? もう目が滑っちゃって」

空理果はげんなりとした顔をしながら机に突っ伏す。彼女の発言に、黒慧はため息を吐かせられることが本当に多いことを実感した。

「本当、空理果ちゃん、正直」

茉魚は声を殺して笑っていた。空理果に対する反応が黒慧とは真逆だ。茉魚は空理果の行動が笑いのツボに入るらしい。黒慧は改めて前に向き直り、講義に集中しようとするが、横からの妨害によってそれは叶わなかった。何だと思って空理果の方を見ると、彼女は何かいいことを思いついた、というように瞳を輝かせていた。

「そうだ、二人とも明日付き合ってくれない?外事局に請求手続きするからさ。それで閲覧の許可が出たら読むの手伝ってよ」

その直球過ぎる申し出に、黒慧は少し眩暈がした。ため息を吐き過ぎたことによる酸素不足かもしれない。

「期待しているところ悪いが、許可はそんなにすぐに下りないぞ? 少なくとも一週間はかかる」

そう言うと空理果は少し考え込む様な表情をしたが、すぐに元の表情に戻る。

「じゃあ、一週間後でいいや」

何が何でも黒慧を付き合わせたいらしい。

「一緒に行くしかないよね、もう」

茉魚が微笑みながら言う。茉魚は基本的に空理果の味方だ。両隣から攻められたら、もう降参するしかない。諦めて、黒慧は再び授業に耳を傾けることにした。

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