第2話 きっと甘酸っぱくて美味しいジュースになりますよ。
エデンの園には清らかな小川が流れている。エバは川岸にアダムと並んで座っていた。二人はときどき川の水を手ですくって飲んだ。冷たくて、喉の渇きを癒してくれる。
空は蒼く、ちらほらと雲が浮かんでいた。アダムはいつものようににっこりと微笑んでいた。エバは満ち足りた気持ちで川の流れを見つめていた。小魚が群れをなして泳いでいた。
「きのう変わった蛇に会ったわ」とエバは言った。
「変わった蛇? どんな?」とアダムはエバの横顔を見つめて訊いた。
「黒い髪の蛇」
「確かに変わっているね。髪の色はふつう金だ」
「それに、知恵の樹の実を食べようって誘惑するの」
「あの樹の実を食べてはだめだよ」
「わかってる。食べてないわ。でもどうして食べてはいけないのかな?」
「神がそう言ったから」
「神はどうして食べてはいけないと言ったのかしら?」
「エバはどうしてってよく訊くまぁ。いけないものはいけないんだよ。理由はたぶん神が知っているよ。人間は神に従っていればいいんだよ」
エバはアダムの屈託のない笑顔を見て安心した。
「そうね。今がしあわせだからそれでいいわよね」
禁忌の実を食べたら不幸になると思った。あの前に見た悪夢のように、楽園を追放されて荒野を彷徨うことになるかもしれない。それは嫌だ。
アダムは昼寝をした。エバは川岸に座り、隣で眠るアダムの愛らしい寝顔を見ていた。
黒髪の蛇が川岸の向こうから、うねうねと泳いでこちらに渡ってきた。
「こんにちは、エバ」
「こんにちは、デモン」
「知恵の樹の実を食べる気になりましたか?」
「ならないわ」
「私が実をしぼってジュースにしてあげましょう。飲んでください」
「飲まないわよ」
「きっと甘酸っぱくて美味しいジュースになりますよ」
「どんな形であれ、知恵の樹の実を食べたり飲んだりはしないわ」
「エバは強情ですね」
「神とアダムに忠実なのよ」
エバは隣で眠っているアダムの髪に触れた。柔らかい髪だ。
蛇は肩をすくめ、頭を左右に振った。
「私は何でも神に従っていればいいとは思いませんけどねぇ」
「神は創造主よ。従わなくてはならないわ。あなたも神に創られたんじゃないの?」
「そうですけど」
「どうして神はあなたのようなあまのじゃくな蛇を創ったのかしら?」
「知りませんよ。とにかく私はあまのじゃくなんです。決まりがあれば、それに逆らいたくなるんです。誰かが上を向けと言えば、下を向きたくなるんです。エバ、知恵の樹の実を食べましょうよ」
「食べないわよ。バナナやみかんで十分満ち足りてるわ」
「ちぇっ」
「あなたはつくづく変わった蛇ねぇ。他の蛇は金髪だし、ほとんどしゃべらないのに」
「私は話すのが好きなんです。特に美しい女の人と話すのが好きです。あなたのような」
「お世辞がうまいわね」
「お世辞なんかしゃありませんよ。心外です。エバは本当に美人です」
エバはまんざらでもなく、いい気分になったが、ますますデモンが珍しい蛇だという思いが強まった。
「どうしてあなたのような蛇がいるのかしら」
「私にもわかりませんよ。私には考える力が足りないんです。神の考えを推測することなんてできません。知恵の樹の実を食べれば、もっと考えることができるようになるかもしれない」
「そうかもしれないわね。なにしろ知恵の樹だから」
「そう、知恵の樹の実を食べたら、知恵がつくのでしょう。だから食べましょう」
「食べないわよ」
「あなたは強情だ」
「忠実なの」
「ちぇっ」
蛇は去った。エバはデモンを目で追ったが、木の陰に隠れて見失った。隣ではアダムが眠り続けていた。エバも眠気を感じた。横になって、暖かい太陽の下で昼寝をした。
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