第6話 しはいしゃ? あなたの言うことはいつもむずかしい。
時が過ぎていった。太陽が東から昇り、西へ落ちた。月は満ち欠けを繰り返した。
エデンの園は常に暖かかったが、外には四季があった。草が生えはじめる春があり、蛇たちが汗を流し、木々がすくすくと生長する夏があり、実り多い秋があり、雪が降って蛇たちが凍える冬があった。冬には蛇たちは服を何枚も重ねて着ていた。
四季を通じてエバは外を見続け、その四季が何回も何十回も繰り返された。
生命の樹の実を食べたエバは若々しく、未だに少女のようだったが、アダムはしだいに老いてきていた。金色の髪に白いものが混じるようになり、顔にはしわが増えていた。
デモンは相変わらずよく境界にやってきて、エバに話しかけた。
「我々の土地の農業生産力は高まり、蛇人類はどんどん人口を増やしています。私は王になり、この地を私の王国にします」
「おう?」
「支配者のことですよ」
「しはいしゃ? あなたの言うことはいつもむずかしい」
「理解できなくてもいいですよ」
デモンはニタリと笑った。その笑いは昔と変わりなかったが、口の周りのしわは増えていた。彼にも老いの気配があった。
「デモン、あなた老けたわね」
「生命の樹の実は食べていませんからね。エバはいつまでも若いままだ。いちじくを食べたから」
「うん」
「かわいそうに。死ねませんよ」
「永遠に生きる。いいことじゃない?」
「いずれわかりますよ。永遠に生きることのつらさが。アダムも私も死に、あなただけが取り残される」
「あなたたちは死ぬの?」
「死にますよ。当たり前じゃないですか。でも私には子がいます。私の子が私の王国を継ぎ、蛇人類の世界をさらに発展させるでしょう。そうだ、あなたに私の子どもを紹介しておきましょう」
デモンは「サタン!」と大きな声を出した。かわいらしい蛇の男の子がやってきた。デモンと同じ黒髪だった。
「私の子のサタンです。サタン、この人間の女の人はエバと言います。永遠の生命を持っている。仲よくしなさい。この人には蛇人類の行く末を見守ってもらうからね。あの原始的なエデンの園から、発展していく蛇人類の世界を見ていてもらうんだよ」
デモンがまたニタリと笑った。
「こんにちは、エバ」と小さなサタンが言った。
「こんにちは、サタン」
「サタン、おまえの子どもをエバに紹介しなさい。その子の子にもエバに紹介するよう伝えなさい。子々孫々、エバと交流を続け、蛇人類の発展の生き証人となってもらいなさい。わかりましたか、サタン」
「わかりました、父上。そのようにします」
「エバ、そういうことでいいですか」
「ええ、いいわ。あなたたちを見守り続ける」
「約束しましたよ」
デモンは去った。
彼は蛇たちを指導し続けた。蛇たちは木を切り倒し、木材を使って家を建てた。家が増えて街ができた。その周りには広大な農地が広がっていた。エバはそのようすを見ていた。これが王国なんだわ、ということはなんとなくわかった。
彼女はバナナやキウイを食べ、ときどき散歩をし、アダムとたわいもないことを話し、眠り、起き、蛇たちが作る外の世界を見た。さらに年月が過ぎていく。
サタンは大きく成長し、デモンに代わって、街の建設や農地の拡大の指導をするようになっていた。
デモンは老いさらばえ、しだいに元気を失っていった。
「エバ、私はもうすぐ死にます」
「あなたは私の友達よ。死なないで」
「すべての生き物は必ず死ぬのです。生命の樹の実を食べたあなたを除いて」
「アダムも死ぬのね」
「死にます」
アダムの体はしぼみ、皮膚はしわしわになっていた。顔はやつれ、体の骨は浮き出て、かつての逞しさと美しさはまったく失われていた。寝転んでいることが多くなり、もう走ることはできず、歩くことすらおぼつかない。
エバはいちじくを食べたときと変わらぬ若さと美しさを保っている。
「デモン、私はいちじくを食べなかった方がよかったのかもしれないわ」
「だからそう言ったじゃないですか。私は永遠の生命なんていらない。安らかな死を望みます」
「死なないで、デモン。あなたと話すのは楽しかった」
「アダムと話すより楽しかったですか?」
「そうよ。むずかしくてよくわからないことが多かったけれど、アダムよりあなたの話の方が面白かった」
「それはよかった。あなたの無聊を慰めることができて」
「私は暇を持て余していたのかしら」
「そうでしょうね。これからもっと持て余すことになる」
「あなたは知っていたのね。生命の樹を食べるとこうなることを」
「ええ、永遠の生命は怖ろしいと思っていました。不死は怖ろしい」
「あなたたちの行く末を見守るのを生きがいにするわ」
「そうしてください。蛇人類を見ていてください。我が王国の行く末を」
デモンはニタリと笑った。その目の周りには深いしわが刻まれ、頬はこけていた。
彼は杖をついて、よろよろと彼の家に帰った。ひと際大きく立派な王の家だ。
それからデモンはぱったりと姿を見せなくなった。どうしたのだろうとエバは心配した。ある日王の家の周りに多くの蛇が集まり、涙を流したり、両手を胸の前で合わせたりしていた。エバは胸騒ぎがした。
サタンが境界に来て言った。
「父は衰弱して死にました」
やっぱり、とエバは思った。これが死。もう会えないのだ。
「残念だわ」
「私が王になりました。これからは私があなたの話し相手になりますよ」
「うん。私はいつまでもあなたたちを見続ける」
アダムも衰弱して、ほとんど寝たきりになっていた。エバが手助けして水を飲ませ、ようやく生きている。
「アダム、デモンが死んだわ」
「デモンって、誰だっけ」
「黒髪の蛇のデモンよ」
「蛇はみんな追放された」
「蛇たちは外の世界で繁栄しているわよ」
「知らん。見えん」
アダムの瞳は白っぽくなっていた。もう目が見えないのだ。
「アダム、バナナを食べる?」
「いらん。何も食べたくない」
「何か食べてよ。あなたも死んでしまうわよ」
老いさらばえ、苦しそうに息をしているアダムを見て、エバは悲しくなった。涙が出た。
「もう十分に生きた」
「もっと生きて」
「もういい」
「私は死なないのよ。死ねないの」
「生命の樹のてっぺんまで登って、飛び降りろ。そうしたら体が潰れて死ねる」
「そんなことはできないわ。怖い」
「では生きろ」
「生きるわ。蛇たちの行く末を見守るの」
「好きにしろ」
それからはほどなくしてアダムは死んだ。エバは彼の遺体を高台の知恵の樹と生命の樹の間に埋めた。
エデンの園で、エバはひとりぼっちになった。木々は茂り、たくさんの実がなっていたが、エバと話す者は一人もいなかった。
こんなのは楽園じゃない、とエバは思った。
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