第9話 教典を書き直すことなんて、皇帝の私にもできません。

 エデンの園の中心に知恵の樹と生命の樹が高々と生えている。

 知恵の樹の実はいったん蛇に食い尽くされたが、また赤い実をつけている。あの実を食べれば、蛇人たちのことを理解できるのだろうか、とエバはときどき考える。

 でもりんごは禁断の果実なのだ。食べてはいけない。

 食べて蛇は追放された。外の世界で繁栄しているようだが、蛇人類の世界は平和ではない。エデンの園の外では戦争がたびたび起こっている。殺し合いのある世界に追放されたくはなかった。

 ディアボロも戦争で死んだ。デモン王国は滅び、アンジェ皇国がエデンを占領していた。

 皇帝リコ・アンジェが今度の支配者だった。アンジェ家は辺境の領主だったが、鉄砲を発明した。それを大量に持つ軍隊を擁して、リコ・アンジェがディアボロ・デモンを倒したのだ。銃声、弾丸、大量死。殺す技が進歩し、より陰惨な世界が出現した。うんざりしながら、エバはその怖ろしい戦争を目撃した。

 戦後、リコ皇帝がエバに話した。

「エデンの園は聖地です。デモン王国は王家の腐敗により滅びましたが、エデン教は不滅です。アンジェ皇国でも信仰は続いています」

 フハイとは何のことかエバにはわからなかったが、戦争に負けたデモン王国が滅び、勝ったアンジェ皇国が世界を支配したことは理解していた。

「鉄砲を使ったあなたたちの軍がディアボロの軍を倒した。鉄砲は怖ろしい」

「新技術は鉄砲だけではありません。車両、船舶、印刷などが進歩しました。これからは工業と商業の時代です」

「はぁ。そうなの」

 蛇人類の世界は変化していく。エバは争いを嫌ったが、外の世界への憧れも感じた。

「工業により商品を大量生産し、商業により売り捌く。皇国は莫大な富を得る。もう農業中心の時代は終わりました」

 デモンが始めた農業はエバにとって驚異の事業だったが、もっとすごいことが起こっているらしい。コウギョウもショウギョウもどういうものかわからなかったが、農民が減り、別の仕事をする蛇人が増えているのはわかった。

「デモン王国では穀物が税でしたが、アンジェ皇国では貨幣を税として取り立てています。我が国では貨幣経済が定着しました」とリコが言う。

 よく意味がわからないけれど、外の世界の話を聞のは面白かった。それに、外を見て、話を聞く以外にエバには暇つぶしの方法がなかった。リコ以外にも、多くの蛇人がエバに会いに来た。手を合わせて拝む蛇もいたし、胸を凝視する蛇もいた。

「エバは死なないの?」とある少年が訊いた。

「死なないし、老いないのよ」とエバは答えた。

 数十年後、年老いた蛇人がエバに会いに来た。

「本当だ。少しも老いていない」と彼は言った。かつての少年だった。

 リコ・アンジェの子、ルコ・アンジェが皇国を継いだ。

「リコは死にましたが、これからもアンジェ皇国はあなたと交流し続けます、女神エバよ」とルコは言った。

「私は女神じゃないわ。ただの人間よ」

「不老不死なのですから、神に等しい存在です。エデン教典にはエバは女神であると書かれています」

「書き直してよ。私は神じゃないんだから」

「教典を書き直すことなんて、皇帝の私にもできません。畏れ多いことです」

 ルコは話好きの皇帝で、エバに世界の有り様をよく説明してくれた。

「今は大陸はアンジェ皇国だけのものではありません。四つの国に分かれていて、戦争をしています。聖地エデンは皇国の領地ですが、他の国はエデンを征服したがっています」

「蛇人たちはよく戦争をするわね。またやっているの?」

 エバは眉をひそめた。また鉄砲を使って殺し合っているのだろうか。ひょっとしたら、もっと残虐な兵器を発明しているのかもしれない、と思った。なにしろ蛇人は兵器の改良と発明に熱心だから。

「蛇人類の歴史は戦争の歴史と言うこともできますね。アンジェ皇国もデモン王国との戦争に勝利して建国された。そして今も新興国と戦っている」

「殺し合いをやめることはできないの?」

「こちらがやめたくても、あちらはやめないでしょう。どの国も大陸を統一して、覇権国家になりたがっています」

「仲よく暮らせばいいと思うんだけど」

「今や世界の人口は十億人を超え、蛇人は大陸に充満しています。他国の富を奪って、より栄えなければ、自分の国が滅ぼされてしまいます」

「嫌な世界になっているわね」

「そうかもしれません」

 ルコが死ぬと、ミコ・アンジェが皇帝になった。

 ミコは芸術皇帝とも呼ばれ、美術、音楽、文学を振興した。エバには何のことだかよくわからなかったが、蛇人たちはそれを楽しんでいるようだった。エバとエデンの園を写生する者も多かった。

 その次の皇帝はサコだった。サコは蒸気機関とか産業革命とかについてよく話した。エバは相変わらずよく理解できなかったが、彼の言葉に耳を傾けた。街の様相はかなり変わり、工場が建ち並び、煙突から黒々とした煙が空に立ち昇っていた。

 サコは皇国はさらに偉大な国になったと言っていたが、また戦火がエデンの街を襲い、彼の代でアンジェ皇国は滅びた。

 エバはその戦争で様々な種類の威力のある鉄砲を見た。鉄砲は進化していた。

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