第10話 まず最初に感じたのは裸でいることの恥ずかしさだった。

 アンジェ皇国に代わってエデンの地を支配したのは、テミル共和国だった。

「こんにちは、エバ。私はテミル共和国の大統領、ラセル・コリンです」

「こんにちは、ラセル。大統領というのは、王や皇帝のようなものかしら」

「まったくちがいます。王や皇帝は世襲制ですが、大統領は選挙によって人民の中から選ばれるのです。私は権力を持っていますが、私の政治を人民が嫌がれば、次の選挙で別の者が大統領に選ばれるでしょう。私はよき政治をしなければならないのです」

「はぁ。人民に選ばれるの」

 テミル共和国の大統領は数年ごとにころころと変わった。

「新しい大統領のノーラ・ピコロです」

「このたび大統領となりましたラダ・トレモロです」

「ごあいさつに来ました。新大統領のピエル・ノルダです」

 エバはいちいち顔と名前を憶えようとする努力を放棄した。

「戦争はなくなったの?」と彼女はよく大統領に訊いた。

「なくなりませんね。いつも内乱があり、他国との戦争があります」

「鉄砲は残忍な兵器よね」

「鉄砲などたいした兵器ではありません。戦場では大砲や機関銃が使われています」

 兵器はさらに進歩しているのだ。タイホウやキカンジュウはどれほど怖ろしい兵器なのだろう。

 エバにも大砲や機関銃の威力がわかるときが来た。エデンが戦場となった。砲弾が飛び交って、あちこちで爆発が起こり、建物や蛇人たちを吹き飛ばした。機関銃は弾丸を連射し、兵士たちをなぎ倒した。短い時間ですさまじく多くの蛇人たちが死んだ。

 けっして破れない境界の膜の中で、エバは進歩した兵器による戦争を見た。怖ろしかったが、目を離さなかった。蛇人類の行く末を見守るのが、不老不死のエバの役目で宿命だった。

 兵器の進歩はとどまることを知らなかった。歳月が過ぎ、自走する大砲「戦車」が登場するのをエバは見た。空を飛ぶ機関銃「戦闘機」も見た。

 平和と戦争が何度も繰り返された。私は今いったい何歳なのだろう。何百年、何千年、蛇人類の歴史を見続けているのだろう。

「ねぇ、私が何歳か知っている?」とエバは膜の外にいる蛇人に訊いた。

「さぁ。エバが何歳かは知らないけれど、今はエデン歴二千五十年です。だから少なくとも、二千五十歳以上なんじゃないですか」と蛇人は答えた。

「今は誰が大陸を支配しているの?」

「誰も支配していないですよ。世界は九か国に分かれ、対立しています。どの国も大量の核兵器を保有していて、世界大戦の勃発が危惧されています。蛇人類は滅びるかもしれないんです」

「カクヘイキって何?」

「核エネルギーを放出する兵器です。一発で街を吹き飛ばし、数万人のもの蛇人を殺す威力を持っています。それが世界には何万発もあります。各国が核兵器を使って戦ったら、世界はまちがいなく滅びます」

 エバは戦慄した。ものすごい兵器ができたらしい。それが使用されて世界が滅びても、自分は生き続けるだろう。絶望と退屈に満ちた余生がいつまでも続くのだ。

 世界の滅亡を回避しなくてはならない、とエバは思った。傍観者ではなく、当事者になって、蛇人類の世界を守る。どうすればいいのだろう? 賢くないから、わからない。

 賢くならなければ。

 エバは高台に行って、知恵の樹を見上げた。この実を食べれば、頭が良くなって、世界を救う方法がわかるかもしれない。禁断の樹の実を、彼女はもぎり取り、食べた。

 りんごはエバの脳を改変した。知能を高めたが、まず最初に感じたのは裸でいることの恥ずかしさだった。彼女は急に自分の裸体を意識して、いちじくの葉で股間を隠した。服の意味を理解した。

 今までよくわからなかった蛇人たちの言葉が爆発的に意味を持ち始めた。忘れかけていたアダムやデモンのことを思い出した。サタンやデビルやエビルやディアボロやリコやルコやミコやサコやたくさんいた大統領たちのこと、兵器の進歩と戦争だらけの歴史のことを残らず思い出した。それは残酷な歴史だった。そしてついに世界を滅ぼすほど危険な兵器が生まれたのだ。蛇人たちはどうしようもなく戦争をしてしまう生き物だ。止めなくてはならない。

 エバが知恵の樹の実を食べたとき、神は現れなかった。しかし神罰は下った。

 生命の樹と知恵の樹は葉と実を残らず落として、枯れた。その他のエデンの園の木々もわずかの間に枯れ果てて、そこは荒野になった。

 エバは高台を下りて歩いていき、エデンの園と外の世界を隔てていた境界へ行った。膜はなくなっていて、蛇人たちの街に入ることができた。これで傍観者ではなく、当事者になれる、とエバは思った。

 エデンの園があっという間に荒野になり、そこからエバが出て来たのを、多くの蛇人が目撃した。神話の世界が崩壊するのを見て、彼らは皆、仰天していた。

 エバは一人の蛇人に話しかけた。

「この国の大統領に会いたい」

「大統領はいません。ここはパピルス人民共和国で、一番偉い人は、ビン・ハーン主席です。私は会うこともできませんが、パピルスビルの最上階に住んでおられます」

「パピルスビルというのは、どこにあるの?」

「この国で一番高い建物です。ここから見えるし、歩いて行けますよ。あれです」

 蛇人はエデンの東の方を指さした。雲に届くような建物がある。

「ありがとう。あそこへ行ってみる。ところで」エバは少し言い淀んだ。「何か着る物はないかしら?」

 蛇人は近くの家に入って、赤い布を持って出て来た。

「娘の人民服ですが、よかったら差し上げます」

 エバはそれを頭からすっぽりと被り、両腕を通した。乳房と股間が隠れたので、彼女は満足した。

「ありがとう」とまた礼を言い、エバはパピルスビルに向かった。街を颯爽と歩くエバは、目立つ存在だった。蛇人の中にいる唯一の人間。二本の脚を持つ神話の世界から出て来た信仰の対象。

 彼女が主席に会うためにビルを目指しているという噂は街中をかけめぐった。当然、ビン・ハーン主席その人もすぐに知るところとなった。

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