第11話 エデン教はエバ派とアダム派に分かれています。

 エバがパピルスビルの入口に到着すると、若い女性の主席秘書が「お待ちしておりました」と言って、うやうやしく一礼した。彼女はエバを案内し、一緒にエレベーターに乗った。100階が最上階で、エレベーターはひゅうううんと音を立てて、ノンストップで昇った。

 エレベーターの扉が開くと、金銀模様で地色が赤い絨毯が敷かれた廊下があり、自動小銃を持った兵士が両脇に並んでいた。

「こちらへどうぞ」と秘書が先導した。エバは絨毯の上を裸足で歩いた。絨毯が彼女の足跡で汚れた。その絨毯が大勢の職人によって手間をかけて織られた最高級品であることをエバは知らない。兵士たちは銃を抱えたまま、微動だにしなかった。

 秘書が重厚なドアをノックした。

「エバ様をお連れしました」

「入ってもらえ」

 秘書がドアを開けた。見晴らしのいいガラス窓と広い部屋の奥に置かれた机と椅子、そこに座る臙脂色の人民服を着た蛇人がエバの目に入った。目付きは温和だが、額には何本も深いしわが刻まれている初老の男だった。剃髪しているので、髪の色はわからない。

「初めまして、エバ。パピルス人民共和国主席、ビン・ハーンです」

「初めまして、エバです」

 エバはビン・ハーンの前に立った。主席は背筋をぴんと立てて座っていた。長い下半身と尻尾は机の下でとぐろを巻いていた。

「おまえは外に出ていろ」とビン・ハーンは女性秘書に命じた。彼女はすぐに退室した。

「あなたはエデンの園から出られないのだと思っていました」

「エデンの園は滅びました。私が知恵の樹の実を食べたから」

「あなたはりんごを食べたのですね。私たちの祖先と同じように」

「ええ。美味しかったわ。それに特殊な実でした。私は変わりました。思考し、理解する力が格段に上がりました」

「あなたはそれを食べるべきではなかった。今、世界は滅亡の危機にさらされています。エデンの園の中なら、おそらくは安全だったのに」

「戦争が始まるかもしれないのでしょう?」

「そのとおりです。私はいつ核ミサイルが飛んでくるか怯え、いつ核ミサイルを発射するボタンを押すべきかを考えている。どこかの国が核ミサイルを発射すれば、撃たれた国は必ず反撃します。複数の国が撃ち合えば、破滅的な戦争になるでしょう」

 エバはガラス窓の外に広がる街や森や川を眺めた。核兵器は一発で街を吹き飛ばす威力を持ち、それが世界には何万発もあるという。

「私は世界の滅亡を阻止するために来ました」

「どうやって? 大陸には九つの国があり、複雑に対立していて、どの国も核兵器を持っています。いつ戦争が勃発してもおかしくない情勢です」

「あなたは戦争を回避したくないのですか?」

「できることなら回避したい。しかしミサイルが飛んでくれば、報復します」

 エバは対立する蛇人たちが殺し合う場面を何度となく目撃してきた。彼らはどれだけ文明を発展させても、戦争を繰り返す。兵器の進歩と共に戦争の悲惨さは増していくばかりだった。核兵器も使うだろう。

「ミサイルが飛んでくる前に話し合いをしないのですか?」

「どの国と話し合えばよいのかわかりません。我が国は三つの国と領土問題を抱えており、三つの国と宗教的対立があり、二つの国とは深刻な経済摩擦があります。どこから宣戦布告をされてもおかしくはなく、こちらから妥協するつもりはありません」

「パピルス人民共和国はどのくらいの力を持っているのですか? 戦争に勝てるのですか?」

「最大の国土と人口を持つ大国です。しかし他のどの国も多くの核兵器を持っています。核戦争は相互に破滅的なもので、勝者はありません」

「それでも戦うのですか? 世界を滅ぼすような戦争は絶対に避けなくてはだめでしょう?」

 ハーン主席はエバを見つめながら、巻いた下半身を伸ばし、また巻き直した。

「エバ様は世界中から神聖な方と見なされています。あなたの呼びかけになら、各国も応じるかもしれません」

「それなら、すぐにでも他国に使者を送ってください。できるだけ早く、九か国すべての代表者による会議を開きましょう。私も参加します」

「使者は出しましょう。しかし会議が成立するかどうかわかりません。九か国合同の会議など一度も開催されたことはない」

「それをやるのです。『世界を破滅から救う会議』を開催しましょう! エデンの高台で!」

「努力してみましょう。どの国も多かれ少なかれエデン教を信仰していますから、エバ様の呼びかけを完全に無視することはないと思います。しかし異端の国もあるのです」

「どんな異端なのですか?」

「エデン教はエバ派とアダム派に分かれています。我が国を含む六か国はエバ派ですが、三か国はアダム派です。アダム派は死んだアダムだけが神の子であったという教義を持つ異端です」

「アダム派の国は私が呼んでも来ないでしょうか?」

「わかりません。戦争をしたくないと考えていたら、来るかもしれません」

「とにかくすべての国に使者を送ってください。お願いします!」

「わかりました。おっしゃるとおりにしましょう。速やかに」

 ビン・ハーンはその場で何人かの部下を呼び、すぐに八か国の首都に向けて使者を送り、エデンの高台に会議場を設置するよう命じた。エバは当事者になって、全力を尽くして平和な世界を創り出そうと決意した。すべての生物が死滅した世界で一人だけ生き残るのは、どう考えても地獄だった。

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