第17話 難民キャンプは率直に言って、地獄そのものよ。
「今夜はあと三時間ほど走ります。ぜひ宿泊してほしいと頼まれているところがありまして」
「私は大丈夫よ。少しお腹がすいているけれど」
「我慢できますか?」
「ええ」
「では我慢してください。晩餐会の準備をしてくれているはずですから」
「晩餐会? ずいぶん大袈裟ねぇ」
「エバ様は国賓ですから」
指揮車両はライトを点けて走り続けていた。トラック隊がその後を追っている。外灯がアスファルト舗装の道路を照らしている。ときおり一戸建ての住居らしきものの明かりが見える。
車両は時速六十キロをキープしている。たまに住居が密集した街を通り過ぎるときがあり、そこには停止を求める信号が赤く点っていることがある。運転手はゆっくりとブレーキを踏み込んで、緩やかに停車する。
二時間も走ると、人口密度の高い地域にやってきて、街が途切れなくなった。住居の窓の灯り、きらびやかなビルの照明、十メートルごとに立っている街灯などで明るい。
「実は今夜は都市国家愛の国ミームに泊まります」
「えっ、ここはエデンアダム復活国よね?」
「ミームはエデンアダム復活国の領土の中にあるのです。ぜひ来てほしいとプリラ・グレイ教皇から要請がありまして、宿泊地として立ち寄ることになりました」
「はぁ。そうなの」
エバはプリラ・グレイ教皇の姿を思い出した。銀髪巻き毛、整った顔立ち。小柄で、年齢は四十歳ぐらい。よく笑い、よく怒る。表情が豊かで、奔放な性格だ。くねくねと尻尾をよく動かす。
援助隊は塔や神殿などの歴史的建造物が多い地区に入った。やがて、巨大な城門に行く手をさえぎられ、車両は止まった。
キム大尉がまた書類を持って車外に出て、城門の前で軍人と話をした。ゴ、ゴ、ゴ、と重々しい摩擦音がして、石の城門が開いた。大尉が戻り、指揮車両が動いた。
「愛の国ミームに入国」と運転手が言った。
夜の闇ではっきりとはわからなかったが、ミームは巨大な城塞都市であるようだった。高い尖塔が何本も延び、その先端はライトが光っていた。その光がなければ、おそらく航空機が衝突してしまうだろう。
荘厳な聖堂の前で指揮車両は停止させられ、エバとキム大尉だけが、入堂を許された。
太い石柱に支えられたドーム型屋根の下に入った。いくつものシャンデリアが輝き、エデンの園を描いた天井画を照らしていた。そこには裸のアダムとエバも描かれていた。屋根の下は大広間だった。
「ようこそ、愛の国ミームへ。親愛なる女神エバ」と言ったのは、この国の統治者、プリラ・グレイ教皇だった。彼女はエバをかき抱いた。
「こんばんは、グレイ教皇。でも私、女神ではありませんよ」
「天使エバとお呼びした方がよいかしら」
「ただのエバで」
「では私のこともプリラと呼んで」
「わかったわ、プリラ」
教皇はエバと手をつなぎ、大広間の上座へといざなった。広間には枢機卿や司教ら二百人ほどが集まっていた。円卓が並び、その上にはワインやビールや豪勢な料理が乗っていた。エバとプリラは五人の枢機卿がいるもっとも豪華な円卓についた。キム大尉は入口近くの別の円卓にとどまっている。
「今夜は神聖なるお方、エバをミーム大神殿にお迎えすることができました。お集まりの皆さん、エバの降臨とミームの繁栄を祝って、乾杯しましょう」
「乾杯!」
皆のワイングラスが高々と掲げられた。エバはプリラとグラスを合わせ、飲んだ。マーレワインに勝るとも劣らない味わいだった。
「愛の国ミームはアダム派なのに、私をこんなに歓迎していいの?」
「私たちはいつかアダム様が復活すると信じているわ。でも今この世にいる生き物の中で一番神聖なのはあなた。歓迎して当たり前じゃないの」
プリラは背の高いエバを見上げて、妖艶に微笑んだ。
「私は自分が神聖だなんて思わない。ただ長く生きているだけ。でも難民キャンプで働いているボランティアたちは尊いと感じた。私もその一員になろうと思ったの」
「素晴らしい志だわ。あなたの行為が地獄を照らす一筋の光明となりますように」
プリラはエバに対して腰を折り、敬意を表した。
「地獄?」
「難民キャンプは率直に言って、地獄そのものよ。ガダとダンの全土から生き残った蛇人たちが押し寄せている。数が多すぎて、食料が行き渡らないし、真っ当な寝床も確保できない。多くの人が原子爆発でひどい火傷を負っているのに、医療体制は不十分で、今も死者が出続けている。親や子を亡くして、心を病んでいる者も大勢いる。空はいつも曇っていて、ときどき黒い雨が降る。地面に粉塵が積もっていて、風が吹くと舞い上がり、肺を汚す。ガイガーカウンターが不快な音を鳴らす」
「そんなにひどいの?」
「本当に地獄のようなところらしいわよ。コリン枢機卿、エバに報告と助言を」
緋色の帽子と聖職者服を身に付けた青い瞳の枢機卿が胴体をくねくねと動かし、エバの前に進み出た。
「ニム・コリンと申します。二日前までサライ難民キャンプで宗教活動に従事していました。エバ様、もし難民キャンプを崇高な活動の場だと思っていらっしゃるのなら、行くのはやめた方がよろしいかと存じます」
「どういうことかしら」
「行けばわかることですが、いろいろと目を背けたくなるような事柄がございます。例えば、あそこにはもっぱら毒物を注射することに専念している医師や看護師たちがいます」
「えっ、なんなの、それ?」
「医薬品も食料品も少ないため、命の選別をしなければならないのです。重傷者は助けられないから、安楽死させます。国に帰るかここで安らかに死ぬかと問う医師がキャンプの受付にいます。多くの蛇人が死を選びます」
エバは表情を固くして、コリン枢機卿を見つめた。
「死者はサライキャンプだけでも毎日数百人出ています。まともな葬式もできません。次々と穴に投げ落とされ、まとめて焼かれます。遺骨を拾うことすらありません。私はその傍らでずっと祈りを捧げていました。それがキャンプで与えられた役目だったのです。正直に言いまして、もうあのようなことはやりたくありません」
「愛の国ミームから援助者を何百人も送っているのだけど、帰国者から聞く報告は悲惨なものばかり。エバ、慰問するだけで帰ってきた方がいいわ。長居するところじゃないみたいよ」
「ご忠告ありがとう。でも私は働くつもりよ」
エバはそう答えたが、食欲をなくし、フォークを置いた。
「ここで食べておいた方がいいですよ。キャンプでは一日粥一杯だけということもありました」とコリン枢機卿が言った。
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