エバとアダムと蛇
みらいつりびと
第1話 生まれつきあまのじゃくな性質なんです。神に逆らいたいんです。
エバは夢を見た。
蛇にそそのかされて、彼女は知恵の樹の実を食べた。神から食べてはいけないと言われていた実だった。それは甘く、ほどよい酸味があり、信じられないほど美味しかった。
アダムにも食べさせた。神にばれて、エバとアダムはエデンの園を追放された。エデンの園の外は荒涼とした大地で、木の実は少なかった。二人は彷徨った。お腹がすいて、苦しかった。茶色い実を食べたが、にがくて吐いた。そこで目が覚めた。
嫌な感じが長く残る悪夢だった。
エバはけっして知恵の樹の実を食べまいと決心した。
エデンの園でエバとアダムは裸で暮らしている。暖かい土地で、身に何かを纏う必要はない。恥ずかしいという概念もまだ生まれていなかった。
エデンの園の中心にある高台には、知恵の樹と生命の樹が生えている。その二本の樹は特別で、たくさん実がなっていたが、エバもアダムも食べなかった。
「神が知恵の樹の実はけっして食べてはならないと言われた」とアダムは言った。
アダムは最初の人間で、神と会ったことがあるらしい。エバはアダムの肋骨から創られた人間で、神と会ったことはなかった。
「生命の樹の実も食べてはいけないの?」とエバは訊いた。
「生命の樹の実は食べてはいけないとは言われなかった。でも、この樹は特別だから、食べないでおこう」
エデンの園は緑の木々が見渡す限り生えている豊かな楽園だった。知恵の樹と生命の樹以外にも、たくさんの種類の木が生えていて、そこには食べきれないほどの実がなっている。エバとアダムはその実を食べて生きた。十分に美味しい実だった。バナナやみかんやキウイやヤシ、その他様々な生で食べられる果物があった。エバは夢で食べた知恵の樹の実はもっと美味しかったと思ったが、あれは食べてはいけないのだ。不吉な夢を見たし、神が食べてはいけないと禁じた。けっして食べまいと彼女は改めて思った。
禁忌の果実。別名をりんごといちじくというのだとアダムは教えてくれた。
エバはその他の木の実を食べ、アダムとおしゃべりをし、大地を散歩し、昼寝をし、太陽の熱と光を浴び、夕暮れの風景を美しいと感じ、夜になったら眠った。それでしあわせだった。彼女はさらさらした長い金髪をなびかせ、裸のままで堂々と歩いた。彼女の乳房は大きく、腰はくびれ、脚は長かった。目は大きく見開かれ、顔立ちは整っていた。アダムの髪の色も金で、少し癖っ毛だった。彼の容貌も美しく、裸で、逞しく筋肉質だった。エバはアダムと二人でいることを好んだ。
「あなたと私の体はだいぶちがう」
「男と女だからね」
「どうして男と女は体の形がちがうのかしら?」
「さぁ。神が僕たちをそのように創ったからね。どうしてかなんてわからないよ。僕もきみも美しい。それでいいじゃないか」
「そうね。神がそうしたんだから、そうなってるのよね。美しいから、それでいいのよね」
エバは深く考えるのが苦手だった。ふと思ったことを口にしただけだった。「どうして?」は彼女の口癖だった。自分で考えるのは苦手だから、教えてほしかったのだ。
アダムはエバよりさらに考えることから縁遠そうで、疑問を持って、「どうして?」と問うこともなかった。
疑問が解消されなくても、エバは深く追求するつもりはなかった。アダムは力強く、美しい。彼を見ているだけでうっとりする。確かにそれでよかった。彼女は十分にしあわせだった。
アダムは木の実をもいで美味しそうに食べた。エバを見て微笑んでいた。彼もしあわせそうだった。
エデンの園にはアダムとエバの他にたくさんの蛇がいた。猿、馬、牛、羊、狼、兎、ネズミ、カエル、昆虫などのいろいろな動物もいたが、言葉を話せるのは人間と蛇だけだった。
人間は二人だけ。蛇は無数にいて、数えられなかった。
蛇には人間に似た顔と二本の腕があり、腰から上を直立させ、その下は長い筒のように伸びて地に沿わせ、終端は細い尻尾になっていた。二本の脚はなかった。長い胴をくねくねと這わせて移動する。人間のエバとアダムは二本の脚で立ち、歩く。
一匹の蛇がエバの近くに這って来て、話しかけた。
「知恵の樹の実を食べませんか」
「食べないわよ」
「どうしてです。とても美味しそうですよ」
「神が食べてはいけないと言った、とアダムが言ったわ」
「いいじゃないですか。アダムには黙って、こっそりと食べましょう」
「だめよ。りんごは食べないわ」
「あの赤く熟したりんごは魅惑的です。食べたくなりませんか?」
「バナナは甘いし、みかんは酸っぱいし、どちらも美味しいわ。それで十分よ」
「ちぇっ」蛇は舌打ちした。
「あなたはどうして私に知恵の樹の実を食べさせたいの?」
「私の名前はデモンと言います。生まれつきあまのじゃくな性質なんです。神に逆らいたいんです」
「蛇に名前があるなんて、初めて知ったわ」
「私は特別な蛇なんです。他の蛇には名前はありません」
デモンは黒髪の蛇だった。黒い髪は珍しい。
「黒髪の蛇のデモン」
「ええ。私の名前を憶えていてくださいね。またお話しましょう」
デモンは口角を上げてニタリと笑った。彼は体をくねらせて、エバから離れていった。
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