2章「Cross Talk」

第10話 お兄ちゃん……

 温かくも冷たい那由多を手を握りながら、真誉は那由多の顔を覗いている。

 何かに懇願するかのように真誉の表情は苦しそうに歪んでいる。

 この場に誰かが居れば大丈夫ですか?と聞かれているに違いない。

 

 

 握る手に汗が湧き那由多の手を汚していく。

 真誉はそれでも構わなかった。誰だかわからない奴らに汚された那由多を少しでも自分で上書きする事で清められたらと。

 それが自己満足だとしても。


 真誉は話しかけていた。

 誰にやられたとか、(車は)痛かったかとか、そういう事ではない。


 お前がいなくて兄ちゃんは……のような弱々しい話。

 何かを話さなくてはと思う反面、いざその機会が訪れると人は想像通りには喋れなくなる、または動けない事が多い。

 真誉もその典型に当てはまり、せっかく兄妹での語らいが出来るというのに、出てくる言葉は自分を下げるものだけだった。


 早く元気になって欲しいとか、笑顔を見せてくれてとかの言葉は、それらが出尽くした後だった。

 何時間そうして語り掛けていただろうか。真誉は宿泊許可を得ているが、既に面会終了の時間は過ぎている。


 那由多の手を自分のおでこに当てて嘆いているその姿は、他の誰かが見ればセンチメンタルになるだろう。

 真誉自身、もう泣かないと誓っていたのに何度目かの誓い破りをしてしまいそうだった。

 

  

 そして睡魔が襲いかかり、これまでの疲れもあって、宿泊用のベッドを組み立てる前に自身の手を重なる那由多の手を顔の前にそのまま睡魔に身を任せる。



☆ ☆ ☆

 ここはどこだ?それがふと意識の覚醒した真誉が抱いた感想。

 どこかの公園か?と感じたけれど、懐かしい遊具が真誉の視界に入る。

 懐かしいと思うのは、ここは小さい頃真誉と那由多が遊んでいた公園だった。


 「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる。」

 あの頃の那由多はそう笑顔で言っていた。

 よくあるパパと結婚するーという娘みたいな感覚だろうと、子供ながらに真誉は当時思っていた。

 なぜなら「パパと結婚するー」と言っている時もあったからだ。

 その対象がパパからお兄ちゃんに変わっただけだと感じていただけだった。


 しかしながら、小学校のある時点までそんな事を言っていたのを真誉は覚えている。

 那由多があまり言わなくなったのは兄妹でそれがおかしいと周囲で言い始める年ごろだった事と、幼馴染である碧のベタベタ感が過剰だったためだ。

 そこで那由多は自分の言葉がおかしい事に気付き、碧にならと身を引いた過去がある。


 もっともそれでも周囲からすれば度の過ぎた兄妹に映っていたのだが、本人達は気付いてはいなかった。


 そんな妹との思い出のある公園が突然眼前に現れたという事は、これは夢か……と認識するには難しくはなかった。



 「お兄ちゃん。」

 背後から那由多の声が聞こえ、真誉は振り返る。

 そこに現れたのは事故にあう前の、強姦にあう前の綺麗で可愛い那由多のままだった。


 「なゆ……」

 真誉の顔が一気に力が抜け落ち、泣きそうにもなって破顔しかけていた。


 「お兄ちゃん……」

 あの頃の満面の笑顔に真誉は自らも微笑みかける。

 しかしその様子を確認した那由多の表情は段々と明るみを失っていく。


 「お兄ちゃん……私……」

 苦痛に顔を歪めて那由多は何かを訴えかけようとしていた。


 「汚されちゃ……た。」

 自らの下腹部付近に両手を重ねる那由多。

 その姿を見て真誉は唇を噛んで、込み上げてきた怒りを抑え込む。


 那由多が悪い事なんて何もないのに何故と、湧き上がってくるのだ。

 先程まで晴れていた背景は、唐突に黄昏へと変わっていく。

 那由多の表情が見え辛くなっていく。



 「お兄ちゃん……て。」

 お兄ちゃん以降の言葉が聞き取れない、真誉が首を傾げてもう一度言って欲しそうな顔をすると、那由多は再びお願いをした。


 「お兄ちゃん……あの人達を……」


 「を……壊して?」


 那由多はこんな事を言う子じゃなかったはずだと真誉は思っているし理解もしている。

 その那由多がこんな事を言うという事は……

 これは俺の夢が作り出した幻想の那由多なのだろうと実感する。

 

 実感するものの、本当に悔しかったら、悲しかったら、怒りに狂ったら……

 普段温厚な人であっても、死ねば良いのにというような発言をするかも知れない。


 那由多の無意識が真誉の深層意識に介入して、お願いしていないとは言い切れない。

 夢なのに真誉ははっきりとそれを考えていた。



 那由多の姿が薄くなり、徐々に消えていく。

 伝える事は伝えた、後はお兄ちゃんよろしくねと言っているようだった。

 真誉にはそう見えていた。

 

 辛うじて残る那由多の姿を掴もうと手を伸ばし、同時に公園の風車が廻り時計の鐘を鳴らす。

 那由多の姿を掴む事はなく、その鐘の音が合図だったのか真誉の意識があやふやになる。


 そしてあっさりと目が覚める。

 目の前には那由多の手。寝る前に重ねていた手だ。


 (物理で繋がっていたから夢でも繋がった?)



 

 「お兄ちゃん、あの人たちを壊して?」

 那由多の顔の方から声が聞こえたような気がしたため、真誉はふっと枕元に顔を向けてみるが変わらず那由多の瞼も口も閉ざされていた。


 「気のせいか。」

 真誉は顔を洗おうと、握っている那由多の手から離そうと自らの力を弱めると、僅かに力を感じた。

 

 「なゆ……?」

 しかしそれ以上何かが起こる事はなかった。

 那由多自身が握ろうとしたのか、身体が勝手にピクっと反応しただけなのか、抑真誉の勘違いなのか。


 洗面所で顔を洗っていると、掬った水の音に交じり何かが聞こえてくる。


 「……て?」


 真誉は何かが聞こえたような気がしていたが、構わずバシャバシャと顔を洗い続ける。



 「……して?」


 それでも聞こえてくるような気がする真秋は気のせいだと割り切り、掌に救った水に顔を埋めたまま制止する。」


 「お兄ちゃん……」

 「お兄ちゃん、私に酷い事したあの人達全員……壊して?」

 「私の全てを壊したあの人たちに……未来を与えないで?私は現在も未来も……」


 聞き間違いではない。真誉のにははっきりとその言葉が理解出来ていた。

 手の隙間から後方に目線だけを移すと那由多はベッドで変わらずに横になっていた。

 先程聞こえた声は耳元から聞こえたような気がしていた真誉は、そんな状況の那由多がとても耳元で囁く事が出来るとは思えない。


 仮に目覚めたとしてもいきなりそのような行動が出来るはずもない。


 「お兄ちゃん……」


 また聞こえた……真誉は指の隙間からベッドの那由多を捉えている。

 真誉は意を決して顔を上げた。



 見上げた先、鏡に映ったのは……


 恐る恐る顔を上げた真誉のすぐ後ろに、悲しみと苦痛をいっぱいに浮かべた那由多の姿幻影?だった。


 真誉の耳には蛇口の先から溢れ出る水道水が、洗面台に叩きつけられる音だけが入り込んでいた。


―――――――――――――――――――――――――――


 後書きです。


 先に言います。ホラーではございません。

 ストーリーテラーにサングラスかけた人は出てきません。

 

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