第9話 翡翠襲来、そして個室へ

 移動中は思いの外会話もなく歩いていく。

 平日の午後という事もありそれほど多くの人が出歩いているという事もなく、二人が横に並んで歩いても歩道にはまだゆとりがあった。


 反対側の歩道には仲良さそうに歩く親子の姿。

 手を繋いで倖せそうに歩く姿には今の真誉には毒であった。

 その証拠に翡翠に声を掛けられた時以上に口を堅く結び苦しそうな表情をしているのが、隣を歩く翡翠には伝わっていた。

 

 反対側の歩道なのだから一定数の距離が空いているにも関わらず。



 「真誉君……大丈夫?」

 それまで特に会話もなく歩き続けていたところで、翡翠が唐突に話を切り出した。

 本当はもっと前から話しかけたかったのかもしれないが、真誉の悲痛そうな


 「事故にあって未だに意識も戻っていないのに大丈夫なわけが……」

 真誉は何を言ってるんだ?という意味で返したつもりであったが、それを翡翠は直ぐに遮った。


 「こういう時に下手な慰めが逆効果だというのは想像出来るけど、そうではなくて真誉君自身が大丈夫なの?会社に報告済とはいえ休みを期限設けずに取得して。」

 その言葉は事実で上司から落ち着ける目途が立つまでは妹の傍にいてやれと提案していた。

 真誉はその言葉を言われなくてもそうしたい気持ちはあったが、当時の……と言っても数日前ではあるが、真誉には救いの言葉にも感じていた。

 不安定な心境のまま仕事をしても、ミスをする恐れは高いし、何より怪我をしたりさせたりする可能性は高くなる。


 大事に至る前に一つ区切りが出来るまでは落ち着かせる事は、ある意味では社員を守る行動ともとれた。


 「ほぼ付きっ切りなのでしょう?真誉君自身が心身共疲労しているのではなくて?」


 「そういう事でしたか。まぁそれも那由多の事と同じで大丈夫とは言い難いでしょうね。倖せな人を見ればのになんて思ってしまうくらいには病んでるような気がしますから。」


 真誉は先程歩道の反対側を歩く倖せそうな親子の真ん中を突っ切って、繋いだ手を離してやりたいなどと一瞬思っていた。


 「……壊して……みる?」

 翡翠の言葉に目線を動かし彼女の目を見た。

 その時に真誉の目に移った翡翠の顔はこれまでにみた先輩としての物と違い、何かを纏ったかのように怪しく光って見えた。


 「うぐっ。」

 声の主は四月一日翡翠。

 翡翠の壊してみる発言の後、そ面妖な雰囲気が真誉を起こしたのか、その右手を翡翠の首へと伸ばして掴んだ。

 片手のため窒息する程の苦しみではないけれども、苦痛を与えるには充分であった。


 翡翠の苦しそうな声が耳に入り、自らの行動に恐ろしさを感じたのか直ぐに手を離した。

 少しうっ血し手を離した箇所からは赤みを帯びていた。

 しかし一方で翡翠のその表情はどこか恍惚としていた。


 「ごめんなさい。」

 その行動には何の正義も脈略もない。ただ一時の悪感情で手にしてしまったモノに罪を感じてしまう。

 

 「いえ、今の真誉君は疲労してる。真誉君には、真誉君なりの救いと癒しが必要だと思うの。だから私でよければ何でもするから何でも応えるから。大丈夫だから……ね。」

 まるで誘導のように翡翠の言葉は続いた。

 先程の行動は許容範囲だと、寧ろそれで私を見て欲しいとも受け取れる。

 

 なぜなら彼女は加奈同様、真誉と碧が交際していた時からそれとなくアピールをしていた。

 二人が別れた後にはそのアピールは加速していた。

 同じ会社なだけあって加奈よりは接する機会は多く、周囲からははよ付き合っちゃえよと言われていたくらいであった。



☆ ☆ ☆


 「着きますよ。」

 再び並んで歩いていると病院は直ぐに着いた。


 「そうだね。」

 それは不謹慎ではあるけれど、この二人の時間が終わってしまうのを残念がっているようなのだが、真誉は横を見ていないので気付かない。

 エレベーターに乗り時間的にはまだ個室には移っていないためこれまで通りの治療室の前に向かう。


 「うっ、那由多さん。」

 ガラスの向こうに広がる光景を見て碧や加奈同様に嗚咽を漏らしている。

 手で顔を押さえているので翡翠がどのような表情をしているのかわからない。


 「うっうっうっ」と漏らす独特な嗚咽からでは何も読み取れない。


 真誉は那由多のために泣いてくれる人がいる事がただ救いに思えていた。


 


 「泣いてるとこ見せちゃってごめんね。やっぱり直接目で見るとだけの話では伝わらないものがあるわ。」

 一度トイレにより化粧直しをして戻ってきた翡翠が想いを吐き出した。


 「いえ。あまりに唐突で衝撃で凄惨な現状で、初見で気丈に振舞える方が変だと思う。」

 翡翠がトイレに行っていた間に買ったコーヒーを手渡した。


 「ありがとう。」

 受け取った翡翠が礼を言うと、その際に触れた翡翠の手の感触が冷たい事に気付いた。

 トイレに入ったのだから洗浄すれば水の冷たさがあるのは不思議ではないけれど、実際には涙で崩れた化粧直しで向かったのは気付いている。

 だからこそその冷たさに疑問を抱きかけたものの、答えは出ないため元々体温が低いのだろうと思う事にした。


 「こちらこそありがとうございます。目覚めぬなゆに変わってお礼を言います。」


 真誉の素直な礼に微笑で応える翡翠。

 彼女の艶やかな黒髪が、病院に到着する前に見せていた瞳のように輝いて見えていた。

  

 

☆ ☆ ☆


 病院の外までで良いという翡翠の申し出で真誉は送りだした。

 別れてから一人院内に戻るとちょうど一般個室に移るということだった。


 ベッド毎移動のために二日間慣れ親しんだベッドに引かれて那由多は治療室から運び出された。

 

 「なゆ……」

 看護師に制止され触れる事は出来なかった。

 部屋に着いて落ち着くまでは待ってくれという事だった。

 移動中に動くという事が危ないのは、頭の中で知っているのに疎かになっているのが人間というもの。


 

 逸る気持ちを抑えつつ運ばれていく那由多を目で追いかける。

 見た目は初日と然程変わらないけれど、あの部屋……集中治療室から出られた事だけが僅かながらの救いへと変化していた。


 部屋が変わっただけだけで大勢は変わらない。

 未だに目覚めないのだから変わりようもない。


 必要事項を伝え、看護師達は病室を出ていく。

 一泊いくらかかるのか、全て加害者の男が支払う事になるとはいえ、真誉はふと下世話な事が過ぎっていた。


 これが普通に病気で個室へ入院てことを考えたら……

 恐らく1日万単位で出ていく入院費に驚く事だろう。


 漸く触れる事が出来る。

 そう思った真誉の心から入院費の事は直ぐに忘れさられた。


 「なゆ……」


 幸いにして掌は包帯に覆われてはいない。

 両手で包み込んだ久しぶりに触れた那由多の手は、温かくも冷たいなんとも形容しがたいものに感じていた。

  

 「お兄ちゃんだぞ。お帰り……そして、俺はどうしたら良い?」


――――――――――――――――――――――――――――――


 後書きです。

 次話は夢になゆ出ます。

 あさ~あさだよ~朝ごはん食べていくよ~♪ 


 

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