第15話 世間話

 ここ数日、聞き込みと防犯カメラ映像の解析で時間を取られているため、春夏冬は心身共に過酷を極めていた。 

 もちろん仕事はそれだけではないのだが、主に例の件……女学生強姦事件及び交通事故に関して多忙を極めていた。

 しかし世間に強姦の件は公表されていない。

 それは確たる証拠がないためである。


 普通精液に塗れた虚ろな少女が車道に出てしまい車に轢かれたなんて事があれば、強姦を強く疑うはずだ。

 それなのに警察は強姦に関しては伏せている。

 和姦の結果、気持ちが朦朧となり赤信号に気付かず飛び出てしまったという線も捨てきれないからである。


 それこそ普通に考えれば、相当量の精液が媚びり着いている衣服や身体、胎内にも残っていたのだから和姦と考えるには無理がある。

 どう客観的に見ても一人が出した量とは思えない。

 それは言葉を濁しながらも治療に当たった医師団は口にしていた事だ。


 事件性も考慮し、治療に当たった者達には箝口令を敷いている。

 万一犯人が周辺にいた場合、更なる被害者が出る恐れ、二次災害等を懸念しての事であると説明していた。


 医師団の中には犯人に心当たりがあって、その中に警察関係者や政治関係者のような大物の親族でも関わっていたのではと思っている者がいても不思議ではない。

 それほどまでに、この件に関しての隠蔽感は強かった。


 確かにはっきりしないのに、強姦と決めつけるのもどうかとは思われるが、和姦と考える方が不自然だ。

 それでも1%に満たなくても、0か100でない限りは決めつけてかかるわけにはいかない。

 事故の被害者である彼女が目覚め、自らが強姦されましたとでも言わない限りは表立って動く事は少ないという事だ。


 少ないというだけで動かないわけではない。

 そのための人員が被害者と同じ女性でもある、春夏冬というわけである。

 他にも人員はいるが、少ないという事は否めない。


 事故や事件は日々起きている。

 何もない日は存在しない。自分の周辺では起きないだけであって、少し範囲を伸ばせば毎日何かしら起きている。


 テレビに出るか出ないか、新聞に載るか載らないか。

 この件は事故としてはテレビに数十秒程取りだたされた事はあったが、轢いた本人は謝罪の意思もあり進展もないため、世間からは数日で忘れ去られていた。


 当事者・関係者以外の認識なんてものはそんなものであった。


 春夏冬は日々の聞き込みと防犯カメラ映像の確認をしているうちに疑問を感じる。

 それは殆どの人が事故現場を気にしたり見ようとしたりする中、被害者である彼女と同じ学校の制服を来た数人と普段着を来た数人が事故があったにも関わらず、気にする事もなく反対方向へ去る姿が映っている。


 それだけならば偶然という事で片付けられても違和感は抱かない。

 違和感を覚えたのは事故の起きる少し前の映像。

 ふらつく彼女を周囲の人達が避けながら歩いている。

 恐らくは精液の臭いが嫌悪感を抱かせていると考えるのが妥当ではあるが、彼女から距離を取る人が殆どだった。


 そんな時、横断歩道で信号待ちをしている人の中へと彼女が辿り着くと、人込みに紛れて彼女と同じ学校の制服を来た男子生徒がおかしな行動をとった。


 人込みに紛れてはいるものの、その手は伸びており彼女の背中を押しているように見えたのだ。

 その瞬間彼女は車道へと飛び出してしまうが、虚ろなためにそれすらも意識しているようには見えなかった。


 その後人込みに紛れながら信号が変わるのを待つでもなく、周囲の人のように飛び出た彼女に驚くでもなくその男子生徒は去っていく。

 サングラスをかけていて顔までは判別は出来ないが、とても整った顔立ちには見えるが特定するには至らない。

 同じクラスの人がこの映像を見たとしても、もしかするとそうなんじゃない?というのが精一杯であろう。


 もう一つの違和感。

 それは同じ制服を着た数人の男子達とは別の方向に件の男子生徒は去って行った事。

 それが何を意味するのかは映像だけでは判断がつかない。


 交差点に掛けられた事故の目撃者の証言を募る立て看板を見て、その様子を間近で見ていた誰かの証言でも得られなければ進展はしない。

 偶然この映像に映る誰かと会う可能性がないともいえなくはないが、あくまでそれは希望的観測に過ぎない。

 知り合いが偶然その場にいる可能性こそ希望的観測ではあるが。


 この事はとても彼には言えない。

 先程夕方会う約束をした彼女の兄、福圓真誉には言えない。

 もし言うとすれば、立証出来た時だけだと春夏冬は思っていた。


 

 映像を見ていたら、今後どうしようか考えていたら時間の経過を失念していた春夏冬は、急いで帰宅の準備を進めた。

 少し崩れた化粧を直す事もせず、荷物を纏めると署を出ていく。


 これまでの考察を述べた者を保存したUSBメモリーを鍵の掛かる引き出しにしまった上で。

 そのUSBメモリーも鍵の掛かる小さな金庫のようなものに保管してある。

 警察内部の者が勝手に漁ろうとしても漏洩を少しでも阻止するためだ。


 春夏冬は二つのUSBメモリーを残している。

 一つは署にある自分の机の引き出し。

 もう一つは同じように鍵の掛かる箱に保管し自らが持ち歩いている。


 全ては改竄や隠蔽を懸念しての事である。


 

 そして真誉との待ち合わせに5分程遅刻してしまう。


 「お待たせしてごめんなさい。」

 少し乱れた息も整わぬまま店員によって席に案内されると、先約である福圓真誉はコーヒーを口にするところだった。

 


 「機密事項は話せないけど、これからはプライベートな時間なのででもしましょうか。」

 座席に座り注文を済ませると、深呼吸をして整えた後に話を切り出した。

 機密事項は話せないと言ったあたりで、やっぱりなという表情を浮かべた真誉を春夏冬は見逃さない。

 

 そりゃそうだろう。関係者は事件の進展や経過を気にするものだ。

 それが最初から話せないとなれば落胆なり怒りなりを覚えないはずもない。


 真秋の中にはそれならば、なぜあの時衣服の一部を手渡したとも思えるだろうけれど、それは春夏冬なりの賭けでもあり保険でもあった。


 民間であれば調査をどうしようとも構わない。付着したもののDNA鑑定をするには自由だ。

 


 「世間話……ね。まずはお久しぶりです。その後お変わりなくお過ごしでしょうか。」


 「そうですね。変わりなくと言えなくもないけど最近は多忙ではありますね。歩いたり映像見たりと心身共に疲労は否定出来ません。」

 変わりなくとは、警察では事故・事件については進展がない事。

 歩いたり映像見たりとは、隠語にしては簡素ではあるが、聞き込み・カメラ映像確認を指しているという事は真誉にも理解出来た。


 「そのせいか、最近眼鏡をするようになりましたよ。日差しもきついので黒いの……サングラスも良いかもしれないですね。ブルーなんとか波はガード出来ないでしょうけど。」


 ピクっと真誉のこめかみが動いた。

 今のが何かしらのサインのようなものではないかと感じたためだ。


 「人込みの中にいても日差しは厳しいものです。モデルのような体型や肌を気にするような人ならば尚更厳しいでしょうね。」


 真誉の中で何かを感じるモノを会話の中から読み取っていく。

 言葉の端々、というより殆どがヒントになっているのだが、後に誰かに言われても言い訳の出来る世間話の内容として、今日見た映像の事を伝えようとしていた。

 

 真誉は聞き込み・カメラ映像、サングラス、人込みをキーワードに受け取っていた。

 とってつけたモデルのようなというのも気にはなっている様子だ。


 真誉はメモは取らない。これは世間話だからだ。

 どこに犯人がいて、どこでどのように漏れるかわからない情報。

 犯人に真誉の存在が行きつくのは構わないが、それによって雲隠れされたりするのは避けなければならなかった。


 本当にどうしようもなければ、別件で逮捕された時に今回の事が露呈するという事でも最悪の場合は構わないと、ほんの少しだけは考えている。

 いち個人が真実を暴くのには所詮限界がある。

 

 犯人側がボロでも出してくれれば儲けものではあるけれど、世の中そううまくは回っていない。

 自分の時ほどうまく回らないものなのだ、この世界というものは。

 真誉はそう考えている。


 だからこそ、春夏冬という刑事が齎す情報も全てを鵜呑みにするべきではないとも考えている。

 この刑事の親族が犯人だった場合、おそらく真実は語らないだろう。

 真逆の事ばかりを言うかもしれない。一部真実を交える事で信憑性が増すようにするかも知れないけれど。


 手を握ると汗がこびり付き、真誉はタオルでそれを拭う。

 来店した時に置かれた濡れタオルは既に常温に戻っているので、気分までは爽快とはならない。



 「信号待ちしてるとたまに周囲の人の観察をする事ない?この人背が高いなとか、この二人は付き合ってるのかなとか。」


 「ない……とは言えませんが、確かにそういう時はそちらに気が行ってしまいますね。自分の目線が基準ですから、例えばこいつ175cmはあるなとか考えた事はあります。」



 真誉と春夏冬の階段はヒントと確認の応酬だった。

 隠語と呼ぶには苦しいものもあったが、あまりに有意義なだと真誉は思う。


 気付けば半分くらいだったアイスコーヒーは、溶けた氷によってかさ増しされ薄くなっていた。


 代金は春夏冬が払った。ちゃっかりポイントカードを押して貰っていた。

 既にいくつか押してあるカードだったので初めての来店ではなかったようだと真誉は悟る。


 「実は何度か来た事あるのよね。私が警察の人間だと言う事は知らないでしょうけど、お堅い人間だとは思われているかも?」

 それは来る時はいつもビシっとした恰好だからかもしれないと春夏冬は言う。


 店を出ると二人はそれぞれ別の方向へと歩き出す。

 春夏冬の家がどっちにあるかは真誉が知りようもないけれど、こういう時は実際の方向とは異なる方向に行くものだろうと勝手に思っていた。


 真誉が極悪人だった場合、家を割り出される恐れもあるからだ。

 もっとも真誉にそんな事をするつもりはないのだが、これも刑事のサガなのだろうと割り切っていた。


 

 そして真誉は家に戻るなり、アルバムを探す。

 その中に映っているかも知れない。

 サングラスをする美形の男子。

 モデルというのがヒントだとするならば、それはスラっとしているか身長が高いか。

 少なくともぽおっちゃりと低身長は除外出来る。


 那由多の傍にいる事が出来て、美形でサングラスの男子生徒に心辺りはない。

 それでもヒントに繋がる何かはあるのかも知れない。


 一縷の望みであっても真誉は掴もうとする。

 犍陀多の蜘蛛の糸ではないけれど、僅かでも希望が見えるならばそれに縋るだけだった。

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