第12話 五月七日八月一日

 注文したコーヒーがテーブルで湯気を立てている。

 湯気の先が朝靄のように幻想的なものは映し出したりはしない。


 これまで二人は店内に入ってからメニュー表を見て注文し、運ばれてくるまでの間会話を一切していなかった。

 那由多について会話をするために入店したのだが、初めてのお見合いのように互いを見つめ合って話始めようとしない。


 漫画などでよくある決闘時における地面に木の葉が落ちたら開始の合図ではないが、コーヒーを運びマスターが背を向けたのが会話の合図となった。

 

 「コーヒー、ブラックで良かった?」

 慣れ親しんだ友人のように真誉は五月七日に問いかけたのが、漸く発せられた言葉だった。


 「えぇあぁ、はい。」

 緊張をしていたのか五月七日の返答はぎこちないものとなっていた。


 店には他に数組の客がいるが、まばらに配置されているため普通に会話する程度では互いの会話が漏れ聞こえる事はない。

 仲の良さそうな女性二人組、老夫婦と思われる二人、スーツをビシっと決めた男性が一人。

 それぞれが所謂モーニングセットと思われるサンドウィッチや野菜の乗ったプレート、コーヒーとが置かれていた。


 「そういう真誉さんもブラックですよね。」

 教師と生徒の家族という間柄だからか、五月七日の言葉は丁寧であった。

 それとも元来丁寧な語り口調なのかもしれないが。

 一方で真誉はどこか近所の人と話すようなフランクさを感じる口調である。

 

 真誉はコーヒーを一口飲むとふっと一息吐いて落ち着かせた。


 「……先生は、どう聞いてる?那由多の事。」

 真誉の切り出し方には意図があった。

 それはかつて在学中に関わりのあった碧が情報を知らなかった事、那由多の同級生である加奈が事故にあったとしか知らなかった事に違和感を感じていた。

 情報はどこでどう伝わっているのか、どのように伝わったのか。

 

 「我々教職員は電話を受けた先生から校長に繋いで、その後に校長から聞きました。那由多さんが車に轢かれて病院で緊急手術を受けていると。」


 「それはどこから連絡を?」


 「校長は名前は伏せてましたが、女性警察官と言ってました。本当はその時に病院に行こうと思いましたが、緊急職員会議を始めるからと叶いませんでした。」

 それだけで判断するのは早計であるが、真誉はそれが春夏冬刑事だと思った。


 「緊急会議の内容は?」

 余程の事でなければ、見舞いに行くくらいは可能ではないかと思った真誉は聞き返す。

 恐らくは余程の事……強姦の痕の事も校長の電話相手である女性警察官は報告したのだろう。

 だからこそ緊急会議を開いて、どこまで生徒に伝えるべきか、または強姦の事が伝わらないような箝口令を敷いたのだろう。


 強姦の事がわざわざ体育館に集めた全体朝礼で伝えられていれば、あの口煩い加奈が見舞いに来た時に言わないはずがない。

 

 「それは流石に生徒の家族であっても社外秘のようなものなので言えません。」

 答えは案の定ではあった。

 情報漏洩については世間が、法もだけれど煩いためおいそれと漏らすわけにはいかない。

 

 飲んだ拍子に機密事項を大声で話してしまうなんて事が、過去には良くあったとかなかったとか。

 現代ではセキュリティに甘かった時代に会社のパソコンに取り込んだ個人のデータを、そのセキュリティにより取り出せなくて困っている人もいる。


 「そうか、そうだよなぁ。」

 しかし真誉は確信した。緊急会議・言えないの二言だけで警察官が強姦の事も伝達していたという事を。


 「那由多は真っ白い子だったんだよ。ちょっとお兄ちゃんッ子過ぎはしたかもしれないけど。」

 世間ではそれをブラコンというのだろうけれど、当人同士は特に意識していなかった。


 「それががあって……今も目覚めずにいる。俺は気が狂いそうだよ。」

 真誉の表情は怒りを耐えるような強面となり歯を食いしばって無理矢理声を発している。

 その急変に五月七日は若干の恐怖を抱きながら眺めている。


 大声を出しているわけではないので、他の席の利用客やマスターは気付いてもいない。

 ただ正面に座る五月七日だけはその様子にただ耐えるしかなかった。


 「学校が隠すのは……か?」


 五月七日がビクっと小さく震えたのを真誉は見逃さなかった。

 全員か、はたまた一人かもしれない。

 在校生か卒業生が関わっていたと真誉は判断した。


 もしそうだとしても名前までは流石にわかっていないだろう。

 警察もそこまで掴めているのなら動いているはずだからだ。

 暴行現場から離れて行く学校の制服をきた人物の目撃情報でもあった……といったところではないかと真誉は踏んでいる。

 若しくは防犯カメラに映っていたのだろう。


 「脅す心算も驚かせる心算もなかったんだけど、少し感情が入り過ぎていた。申し訳ない。」

 真誉は姿勢を正し頭を下げた。

 

 「あ、いえ。こういう時常に冷静でいられるはずもありませんから。」


 コーヒーは殆ど手付かずのまま温いを通り越して冷たくなっていた。

 せっかくのお高い豆が台無しではあったけど、冷めても喫茶店のコーヒーは美味しく感じる。

 ただ旨味も酸味も通り越し、ただ苦いだけだと感じた五月七日であった。

 

☆ ☆ ☆


 喫茶店の代金は真誉が支払っていた。

 強引に連れ込んだんだからと、割り勘を要望する五月七日を説得した。

 滞在時間は20分に満たない時間ではあったけれど、あの店内にいた先客は真誉達が退店するまで誰も出て行かなかった。

 

 20歳の真誉と24歳の五月七日は並んで歩いていると周囲からはどう映っているのだろうか。

 普段着の真誉とレディーススーツを来た五月七日の二人はどう映っているのだろうか。


 姉弟か恋人の二択に絞られるとは思われるが、姉弟にしては似ていない。

 当然後者に見られる方が多いだろう。 

 それだけ並んで歩く二人は周囲に溶け込んでいた。


 出掛けて1時間も経たずに病院に戻ってきた。それも毎回違う女性を連れて。

 それが真誉を何度も見た事のある看護師達の共通の認識だった。


 3人を案内した時と違い今日は個室病室。

 それだけでも案内していて少しは気が楽になる。


 「なゆ、担任の先生の五月七日先生が来てくれたぞ。」

 もちろんそれに対する返答は来ない。相変わらず機械の音が木霊しているのみで、たまに外から聞こえる車や飛行機の音が入って来る程度だった。

 

 「那由多さん……」

 真誉の顔を一度見た五月七日は頷く真誉に了承を得たと認識して、那由多の手を取って話始める。

 それは痛かったよねとかよねとかいう言葉であった。

 担任として何も出来なくてごめんねとか、お涙頂戴の言葉で語り掛けるが当然何の返答も示さない。


 事故にあったのだから痛いし辛いのは理解出来る。

 しかしそのほぼ瞬間から意識を手放してる那由多が辛いと感じる事が出来たであろうか。

 痛いという感覚は認識出来ていたかもしれない。でも辛いはどうだろうか。

 真誉は五月七日のその言葉に違和感を感じずにはいられないのだが、警察が……そして校長が強姦の事を教師陣に伝えているのであれば不思議な事ではない。


 真誉はその引っかかりはとりあえず胸の奥にしまっておくことにした。

 疑心暗鬼になって全てを疑っても仕方がない。

 これもあの那由多の夢と幻の影響なのか……と。


 

☆ ☆ ☆


 「午後から学校なのでは?」

 廊下に出た二人はそのまま自動販売機で買ったドクターペッパーを飲みながら、視線は外の景色に向いていた。


 「何故このチョイスなんです?」

 五月七日の疑問ももっともである。


 「多分ここの医者の誰かがドクペのファンなのでは?自販機の3分の1はドクペで埋まってるし。」

 メッコールで埋まっていてもネタにはなったのになと思っている真誉である。


 「病院なのにこの偏り方……あぁそうです。学校に行かなければならないのですが……」

 窓の向こうの景色を見ていた五月七日が真誉に向かって微笑みながら一呼吸入れる。


 「集合時間まではと少しあります。」

 3時間を強調して言う五月七日にはもちろん思惑がある。

 

 「それが何か?ここは病院だけど20分もあれば着くんじゃ?」

 偶然出会って喫茶店で少し話して、病院で見舞いしたとはいえ、空いた時間が多過ぎる。

 早めの行動を心掛けているため、朝の時間に学校方面へ向かっていたとも言える。



 「あの、こんな時に言うものではないけど、何もないの?」

 少し喋り方が和らいだ。それこそ友達と会話するかのような砕けた口調に。


 「何もとは?俺と先生の関係は、教師と生徒の兄というだけでは?」

 真誉の心境としては何を言ってるんだといったところだろう。

 病院で、大事な妹が、大事な生徒が未だ目覚めぬと言う時にと。


 「仮にも1年とはいえ交際していたのだからもう少しそういった会話も……今する事ではないのは承知しているけど。」

 「こういう言い方は未練がましいと思われるかもしれないけど……ベッドの上でなら何か漏らすかもしれないよ。」


 真誉が碧と別れた後、しばらくしてから二人は交際をしていた。

 丸1年は持たずに別れてはいるけれど確かに二人は恋人だった時期があった。

 付き合いが始まった時、真誉は五月七日つゆり八月一日ほずみが那由多の担任である事は知らなかった。


 真誉や碧の在学中にはいなかった教師だから知らないのも無理はない。

 卒業してから赴任してきたのだから。


 「こんな時に情事の誘いですか……」

 病院内で話す内容ではない。若い女性が切り出す話でもない。若い男性でもだけれど。


 「でもこんな時でないと、真誉さんは相手には応じてくれませんよね。」

 「妹の担任の教師との関係が、他の生徒に悪影響を与えるとかは一部の妄言狂信者の戯言です。」

 「私はそれで成績や評価を変えたりはしませんでしたし。ダメだというなら教師は一生独身じゃないとダメじゃないですか。」

 「司祭じゃないんだから結婚しますし恋愛もします。その相手が偶然生徒の身内である事だってあるじゃないですか。」

 檄を飛ばす五月七日であるが、それはあくまで自分の主張でしかない。


 その可能性は当然あるのだけれど、真誉と五月七日の別れの要因は……

 


 「わかった。情報と引き換えにその都度ニコニコ身体払いという事で妥協しよう。」

 真誉は五月七日の誘いを受ける事にした。

 情報は一つじゃない。今後の事も考えれば小出しにされる事もある。

 それならば最初からギブアンドテイクの関係でいるというのは、今の打開策のない真誉には微かな光にもとれた。


 「妥協というところに不満がないわけではないですが……」


 見舞いが主題だったにも関わらず男女の問題に話の流れは移行していた。

 本当に病院でする話ではない。せめて外ですべき会話である。

 他に誰かが聞いているかどうかの話ではない。


 モラルの問題でもある。


 しかし真誉にそれを強く言う筋合いがない事は理解していた。




☆ ☆ ☆


 「お前、まだコレしてたのか。」

 そこには生徒の兄と教師としての男女は存在していなかった。


 衣服を脱がせ全裸になった五月七日の胸には二つの金具が取り着いていた。

 二人が別れてから約1年、当然真誉がソレを着けたままの状態なはずはない。

 定期的にメンテナンスをしなければ耳に空けたピアスの穴のように塞がってくるためである。


 真誉はその辺も理解した上で聞いていた。


 「私の忠誠は止まらない。純潔を注いだ時から変わってない。」


 二人が別れた理由、それは五月七日という女が妹の担任教師という事が発覚したからではない。

 五月七日の情欲が当時真誉のキャパを超えたからに他ならない。

 年上のペットを飼う感覚で育てたM女が成長しすぎて、手に負えなく化け物になったからである。


 上手く制御して第二のセフレ?として使えば、那由多を強姦した者へ辿りつけるのではないかと思った真誉だったが、それはどうも早計だったかもしれない。

 

 「鍵のない貞操帯をつけて放り出すんだった。」


―――――――――――――――――――――――――――

 

 後書きです。

 

 自分の書く作品にM女が登場しない作品はほとんどありません。

 

 シリアスにエロやギャグをぶっこむのはどうよとおあるでしょうが……

 真誉は他の作品程良い人ではありませんし。

 浮気や二股等しているわけでもありません。


 そんな少しゲスい真誉ですが、その瞬間付き合ってる人としか関係は持ってません。

 碧とも別れてフリーですし、現状の関係も互いが納得の元です。

 五月七日との交際期間も碧との恋人解消した後の事です。


 名前については本当に申し訳ない。

 珍しい名前を使いたくて本当に無茶しました。

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