1章「那由多のいない日常」

第4話 もう泣かないと誓った朝

 ちゅんちゅんと雀が鳴いてはいないけれど、カーテンの隙間からは朝陽が部屋の中の真誉へと差し込んでいる。


 妹・那由多は集中治療室に入っていたために同じ部屋内に泊まる事は出来なかった。

 その代わり、付き添い者用の小部屋に泊まる事になった真誉。

 

 朝陽が目に刺さりその眩しさによって目を覚ます。

 「うっ」

 

 僅かな抵抗の声をあげて目を覚ますも、その顔は晴れる事はない。

 目が覚めたという事は現実を再び実感しなければならない。


 那由多を轢いた男、つなしあまねは名刺と連絡先を置いて昨夜のうちに病院を出ている。

 そのまま真誉に話しかけてきた女性刑事、春夏冬あきなし栗花落つゆりともう一人の刑事と一緒に警察署に向かった。事実上の取調へと移るのだろう。

本来即拘束されて取調を始めるのだろうけど、加害者とはいえ十もまた、治療を受けていた。その後家族である真誉が来るというので警察立会いの元、昨晩は謝罪をしたという事である。


 同じように春夏冬刑事は真秋に名刺を置いて行っている。

 無造作に財布に入れられた二つの名刺は、そのままレシートと同じようにただの紙と化していた。

 

 「現実……なのか。」

 真誉は昨晩聞かされた事、那由多の強姦の事、事故の事、そして今いるこの世界の事を実感して落胆していた。

 これが夢であれば良いのにと。


 なまじ夢の中で那由多と笑いあっていただけにその落差は大きい。

 

 「夢……夢の中の那由多は……なゆは……可愛かった。あんなに笑顔でお兄ちゃんって……」

 傷だらけの包帯塗れの那由多ではない、ほんの24時間前に笑顔で行ってきますと言っていた那由多の姿を思い浮かべていた。

 顔を洗い、部屋を出るとすぐ近くの那由多の眠る集中治療室の前に足を運んだ。


 鉄の錘でもついているかのように一歩一歩が重く感じられたが、真誉はそれが言いようのない不安への枷だと感じながらも足を前へ前へと進めた。


 「なゆ……」

 昨晩と変わらぬ光景。

 身体のあちこちに付けられた医療機器が痛々しく感じてみえる。

 

 顔や腕などの表面上の傷はいずれ消えると説明を受けた。

 緊急手術をしたとは聞いたけれど、内臓が潰れたとか脳が破裂したとかはなかったという。

 恐らくは精神的なショックを受けた脳が目覚めるのを拒否しているのではないかと説明を受けた。


 素人考えで最悪の事態を想定するならば、それは脳死ではないかと思う恐怖。

 それらも踏まえてしばらくの検査が必要だという。


 ガラス越しに見える那由多の姿を見て、真誉の両目からは液体が溢れて頬を伝い流れ落ちる。


 「泣くのはこれが最後だ。次に泣く事があるとすれば……それはなゆが目覚めた時だ。」



☆ ☆ ☆


 真誉は看護師に一度帰って那由多の着替え等を用意するといい病院を後にした。


 照りつける太陽が眩しくて暑くて痛い。

 今はその太陽ですら邪魔者に感じてしまい、鬱陶しく感じている事だろう。


 10月の初旬。

 辛うじて遅れて出てきた蝉の鳴き声が聞こえてくる季節。

 夏から秋にかけて色々な衣がその姿を変えていく季節。

 地中から這い出てきた蝉の幼虫が、殻を破り成虫し鳴くように、夏服から冬服に変えた那由多は、無惨にも処女膜を破られ泣いたであろう。

 それこそ命の灯の叫びのように。


 家に戻ってきた真誉はまず風呂の準備を進めた。

 会社には暫く休む旨を伝えており、上司はそれを受諾している。


 風呂に入って昨日の汚れを流しきった真誉は、そういえば昨日の昼以来何も食事をとっていないなという事に気付く。

 鍋の中には一昨日那由多が作ってくれたカレーが残っている。


 温めてからゆっくりと食べた。

 人間落胆していても、ゼンマイを巻いたブリキの人形のように同じ動きをする。

 それはもう壊れたマリオネットのように、ぎこちなくカクカクとした動きで。もはやただの本能でカレーを口に運んでは咀嚼し嚥下するを繰り返す。


 味を感じないだろうと食べる前は想像していた真誉であったが、一口目を口に入れた瞬間に集中治療室の前で誓った約束を早速破る事になった。



 「那由多の味だ……」

 零れた液体はそのままカレーに落ちる。

 涙が入ってもカレーがしょっぱくなる事はない。

 それでも気分の問題なのか、真誉にはその変化に敏感になっていた。


 「これは……希望と絶望の味だ。」

 なぜ希望が先で絶望が後だったのか。

 無意識の心算だったのだろうけれど、そこには意味があった。


 那由多の味=希望、涙の味=絶望。


 真誉は少し、壊れかけていたのかも知れない。その程度の微細な変化を感じ取れるくらいには。


 

 カレーを食べ終わり、食器を洗い片付けると真誉はキャリーケースを用意して那由多の部屋に向かう。

 正直聖域を荒らすようで申し訳ない感じはしていたのだが、背に腹は代えられない。


 禁断の箪笥の引き出しを開け、中から数日分の下着等を取り出し小分けの袋に入れてキャリーケースに詰め込んだ。


 どのみち服は病院の入院着を着用するのだから衣服は不要。

 下着類と簡単な化粧水関係、それと真誉が初給料で買ってあげたのぬいぐるみを詰めた。


 歯を磨き、火の用心をし、戸締りをして家を出る。


 すると隣家から声が掛かった。


 「あれ?真誉、そんな荷物持ってどこに行くの?」

 隣家に住む幼馴染で中学2年から高校を卒業するまでの間恋人関係にあった、久寿米木くすめぎあおいであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 後書きです。


 クマさんのぬいぐるみは……作者様に了承は得てませんし著作権とかあるので大きくは言えませんが。

 ユ〇ちゃんの召喚したあのクマさんですよ。白いのと黒いのがいますよね。

 作者の書く作品にヲタクがいないわけないじゃないですか。


 

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