第17話 幻影再び
「……ちゃ……ん。おに……ちゃん。お兄ちゃん。」
段々と鮮明になってくるその声は、真誉が聞き間違えるはずのない声。
先日でも病室で夢の中でも聞いた。
その前までは毎日聞いていた。
小動物のように愛くるしい那由多の澄んだ声。
真誉は覚醒する意識で理解していた。
ここは夢の中だと。
今いる空間が夢であると認識する事はままある事。
全体を見渡すような夢もあれば、一人称で進む夢もある。
現在は夢の中の自分の中に意識があると理解していた。
「なゆ……?」
真誉は声の方に向かって顔を向けると驚愕で動けなくなっていた。
「!?」
その姿は直接見たわけではないと言うのに事故直後の姿だと言うのがわかった。
実際の事故時のものよりも夢の中の方が酷いのだが、それは真誉にはわからない。
右手はだらんと垂れ、若干おかしな方向へ曲がっており骨も見えている。
右足も同じように引きずるようにゆっくりと歩いてくる。
右側が酷いのは身体の右側から衝突された事を物語っている。
夢の中だというのに血生臭いと感じるのは、脳が勝手に認識しているからだろうか。
右側に集中するあまり意識はしていなかったけれど、左腕や左足の損傷も激しい。
ゾンビ映画などで、よくその身体でゆっくりとはいえ歩けるよなという疑問は、この夢の中の那由多にも同じことが言えた。
左腕や左足も擦りむきが多く、血は全身から溢れている。
左側も右側程折れたりはしていないものの、普通の歩行のように手足は動かせはしない。
那由多の歩き去った後には無数の血痕が残されており、生々しさは夢だというのに脳裏に焼き付いてしまいそうだと思っていた。
しかし真誉はそんな那由多に後ずさったりはしない。
もしちろん、怖気付いて腰が抜けたとかでもない。
自分が仕事で傍にいてやれず、守ってやれなかったという思いが、逃げる事を許さなかった。
自分で自分が赦せない。聞こえは良いかも知れないが、それが果たして個人の美学のみで終わってしまわないかどうか。
真誉は立ち上がりそんなデンジャラスな那由多に近付き……さらに驚愕する。
少し離れていた時には那由多だと認識する事は出来てもその顔まではわからなかった。
顔がわからなくても、その人物が那由多だと認識するには兄たる真誉には難しくない。
しかし顔が見えた事で間違いないと確信してしまった。
元々那由多の声がする方を見て存在する人物なのだから、他の選択肢はないのだけれど。
真誉が見た那由多の顔は、地面を何度も転び擦れ何にぶつかったのか歯が何本か折れており、何が刺さったのか右目が……
ホラー映画の登場人物であれば逃げ出す場面であるが、真誉は逃げたり後ずさったりはしなかった。
「なゆ……」
声をかけるのが精一杯だった。
何を言葉を掛ける事が出来ようか。
「おに……ちゃん。あの人達……こわ……して。そうじゃないとわたし……起きれない。」
口から血を流しながら紡ぎ出した言葉は、那由多をこんな目に合わせた人物達に対する怨嗟。
何人いるかわからない犯人達をどうにかしないと、那由多は目覚めない。
真誉はそう判断認識した。
夢の中の事だし、本当の那由多がこんな事を言うかどうかなんて真誉にはわかりようもないし知りようもない。
ただ、夢の中の那由多はこう言っている。
今の真誉にはそれが全て。
「わか……った。俺がなんとかする。なんとかするから……」
その言葉を聞いた那由多から流れる血が止まっていく。
曲がった腕が元に戻っていく、同じように足も戻っていく。
折れた歯が元通り綺麗になっていく、無くなったはずの目が戻っていく。
「だから、あの人達って誰の事だ。俺の知ってる人物なのか?知らない人物なのか?」
あぁ、真誉が伸ばしたその手は那由多には届かない。
見えない壁があるのか、見た目の距離とは違うのか。
真誉が伸ばした手は空しくも空を切る。
微笑みながら真誉を見る那由多のその目は、嬉しそうなのか悲しそうなのか。
それとも哀しそうなのか……
真誉の耳には聞こえない。
那由多が動かす口の動きを読む事は出来ない。
真相に繋がる深層を読み解く事は出来ない。
濁っているのは那由多をあんな目に合わせた奴らか、それとも今の真誉か。
悲しげに微笑む那由多の深層を知る事は、今の真誉には出来ない。
真誉が作り出した幻影に、本当の那由多の幻影が掛かったために微笑んだとは考えようもない。
那由多のためならば、どんな事も厭わないと考え始めている真誉が、必死に伸ばしたその先に掴むは……
那由多の幻影に触れられたと思えばそれらは霧散していく。
そこに初めから何もなかったかのように。
「なゆ……俺はどうすれば良い。どうするのが正解なんだ。」
天を仰いで漏らした言葉は虚しくも空に霧散していった。
そして、幾度目かの
「朝……か。」
覚醒した真誉の目に入るのは久しぶりに見た我が家の天井。
そして何かを掴もうと伸ばした自分の右手。
空を掴んだと言えば聞こえは良いが、それは何も掴めていないという事。
自分がやろうとしている事が空回りしている事の暗示でもあるのだけれど、真誉は気付きようもない。
風呂に入った真誉は、その後リビングに敷いた親の布団で寝ていた。
もはやその本来の主のいない布団は、真誉を新しい臨時の主として寝具としての役割を再び呼び覚ます。
この布団の主である真誉の両親もまた、かつて交通事故で世界を去っていた。
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後書きです。
夢のなゆに翻弄されています。
自身の作り出した幻影なのに。
そろそろ犯人のしっぽでも見つけられますかね。
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